第47話 俺と一緒に大人(バカ)になれ

 俺は、彼女の懐に――


 飛び込んだ。



 両腕を広げ、無防備に。

 斬られることも、貫かれることも覚悟の上で。


 メディナの体が、俺の胸に当たる。

 柔らかく、温かく、そして小さく震えていた。



「ひっ……!」



 メディナの悲鳴が聞こえる。

 スライムが、俺の背中に回り込んでいる。

 触れれば肉を削ぎ落とす、致死の一撃。


 ――だが。



「……っ」



 スライムの動きが、止まった。

 俺の首筋に触れる寸前で、ピタリと。

 まるで、主人の躊躇いを映す鏡のように。



「……どうして」



 メディナの声が、震えている。



「どうして……武器を捨てたんですか……!」


「お前のことが、大切だからだ」



 俺は、彼女をさらに強く抱きしめた。



「え……?」


「俺がお前を斬れば、お前は死ぬ」



 俺は、静かに言った。



「それは、俺が望む未来じゃない」


「でも……!」



 メディナが叫ぶ。



「私は先輩を傷つけようとしたんですよ!?

 ライセンスに細工をして、騙して、攻撃して……!」


「分かってる」



 俺は、頷いた。



「なあ、お前のスライム、見てみろよ」



 俺は、背中に巻き付いているスライムを感じた。

 それは、今――俺を貫くのではなく。

 ただ、俺にしがみつくように震えている。



「……止めたんだな」



 俺は、優しく言った。



「お前が、俺を傷つけたくなかったから」


「うっ……」



 メディナの肩が、震え始める。



「私は……私は……最低ッス……。

 エリサたちと同じです……!

 自分のことしか考えてない、腐った人間です……!」


「お前は腐ってなんかない」



 俺は、彼女の頭を撫でた。



「ただ、怖かっただけだ。

 変わるのが怖くて、置いていかれるのが怖くて。

 だから、必死だったんだろ?」


「……はい」



 メディナが、小さく頷く。

 涙が、俺のシャツを濡らす。



「気づいてやれなくて、ごめんな」



 俺は、彼女の背中を撫でた。



「お前をそこまで追い詰めたのは、俺の責任だ」


「そんな……! 先輩は悪くありません!」


「いや、俺が悪い」



 俺は、首を振った。



「俺たちはパーティだ。仲間だ。

 仲間がそんなに震えてるのに、俺は前ばっかり見て、お前の心を見てなかった。

 一番近くにいたのに、不安を取り除いてやれなかった。

 相棒……失格だな」



 俺は、悔しかった。

 大事な仲間に、こんな顔をさせてしまった自分が。



「……先輩」


「メディナ」



 俺は、彼女の肩を掴んで、顔を覗き込んだ。



「自信を持て。お前は強いよメディナ。

 お前の才能なら、どこまで行ってもきっと上手くやれる」


「……無理です」



 メディナは、弱々しく首を振った。



「自信なんて、持てません。

 自分のことなんて……全然、世界で一番信じられないから」


「そうか……なら」



 俺は言葉を継ぐ。



「自信がなくても、勇気を持て。

 たとえ自分を信じられなくても、それでも未来に踏み出す勇気を」


「もっと無理です……!」



 メディナが叫ぶ。



「勇気なんて、もっと持てません!

 私は臆病者なんです。怖くて、怖くて、仕方ないんです……!」



「…………」



 俺は、言葉に詰まった。

 まいったな。


 メディナの恐怖は、あまりに根深い。

 俺の薄っぺらい激励じゃ、届かない。


 どうすればいい?

 どうすれば、こいつの震えを止めてやれる?



 俺は、メディナの涙に濡れた瞳を見た。

 そこには、深い闇がある。


 夜の試練リドル

 かつてスフィンクスが見せた、過去の絶望という闇が。



「……そうか」



 俺は、ふっと息を吐いた。

 励ますのを、やめた。

 それらしい正論を言うのを、やめた。



「メディナ、お前は賢い奴だ」



 俺は、静かに語りかけた。



「お前の考えてることはきっと正しいし、お前に見えてることはきっと現実なんだと思う。

 成功の先に破滅があるのも、人が変わっていくのも、きっとお前の言う通りなんだろう」


「……はい」


「でもな」



 俺は、彼女の手を握った。



「前に進むためには、賢いだけじゃ足りないんだと思う」


「え……?」


「未来は、世界は、正しいことや見えてることだけで出来てるわけじゃない」



 俺は、自分自身に言い聞かせるように言った。

 7年間、E級でくすぶっていた俺。

 現実を見て、諦めて、賢いつもりで腐っていた俺。

 そんな俺が動き出せたのは、なぜだ?


 理屈じゃない。

 計算でもない。



「自信がないのは、みんないっしょだ。

 俺だって怖い。足がすくむ」



 胸の奥から生の気持ちを絞り出す。

 自分の吐息が燃えるように熱い。



「勇気がないなら、仲間に頼ればいい。

 俺が支える。シズクが支える」



 半分以上、自分に向けて言っている。

 ひょっとしたら、これは自分が一番言ってもらいたかった事かもしれない。



「だから、少し。少しだけ

 俺と一緒に、大人バカになれ……!」



 伝わったのは、俺の言葉か。

 それとも気持ちか。あるいは背中に添えたてのひらの熱さなのか。


 メディナの瞳から、色が抜けていく。

 あんなに濃かった絶望の闇が、光に溶けて消えていく。



 彼女に見えていた「夜の試練リドル」が、今、解けたのだ。



「……はい」



 彼女は、小さく頷いた。


 そして――



「……はいっ!」



 メディナは、俺の胸に顔を埋めた。



「うわああああああああん!!」



 子供のような、純粋な泣き声が響く。



「ごめんなさい……ごめんなさい……!

 先輩……先輩……バカで、ごめんなさい……!」


「ああ、いいよ」



 俺は、彼女の背中を撫でた。

 俺もバカだ。

 偉そうなこと言って、お前に救われてるんだから。



 スライムたちも、もう攻撃の形をしていない。

 ただ、彼女に寄り添うように――優しく、震えていた。



 *



 どれくらい時間が経っただろうか。

 メディナが、ようやく泣き止んだ。



「……すみません」



 彼女は、恥ずかしそうに顔を上げた。

 目は赤く腫れているが、表情は憑き物が落ちたように晴れやかだった。



「泣いてばっかりで……」


「まあそういうこともあるだろ」


「……ふふ、はい」



 メディナが笑う。

 その笑顔を見た瞬間、俺の肩の荷も降りた気がした。



「さて、と」



 俺は立ち上がった。

 全身が痛い。さっきの戦闘で負った傷が疼く。



「先輩! 怪我……!」


「大丈夫だ。それより」



 俺は、部屋の奥を指差した。



「とにかくD級階層突破の証明をしないとな。

 ライセンスのコーティング除去と、帰還門の読み取り機ライセンス・リーダーの記録を取らないと」


「あ……はい! すぐに!」



 メディナが慌ててスライムを動かし始める。

 いつものメディナだな。


 その時だ。



「マサキ!!」



 背後から、悲痛な声が聞こえた。

 振り返ると――


 シズクとミナが、息を切らして走ってくる。

 二人とも、必死の形相だ。



「あんたたち、無事なの!?」



 ミナが叫ぶ。



「ああ」



 俺は笑った。



「ちょっとした痴話喧嘩だ。解決したよ」


「……マサキ」



 シズクが、俺を見る。

 その目は――心配と、安堵が混じっていた。



「……血だらけ」


「大丈夫だ。全部、片付いた」


「…………」



 シズクは、メディナを見た。

 そして、ゆっくりと彼女に歩み寄る。



「……メディナ」


「はい……」



 メディナが、バツが悪そうに俯く。



「ごめんなさい、シズク先輩、ミナさん。

 私が……私が、全部悪かったんです」


「メディナちゃん……」



 ミナが、小さく言った。

 そして、メディナを――抱きしめた。



「え……?」


「……バカ!もう、本当にバカなんだから!」



 ミナの声が、震えている。


 メディナの目から、また涙が溢れる。



「……メディナ。生きることは戦うこと」



 シズクが横から口を挟む。

 相変わらず感情の読めない表情で。



「……戦いである以上、負けることはある。相手が自分であっても。

 生き残ったなら、誰も死ななかったなら、問題ない。

 次があるなら……それは勝ちの途中」


「シズク先輩……!」

 


 それでも、最近は少しシズクの気持ちがわかるようになってきた。



「もういいわよ。マサキが許したなら、私も許す。

 ただし!」



 泣き顔のミナが、指を立てた。



「今夜は罰として、洗い物は全部メディナちゃんがやること!

 あと、デザート抜き!」


「……ふふっ。はい、喜んで」



 メディナが、泣き笑いのような顔で頷いた。



「さあ、帰ろう」


 俺は、三人を見た。



「証拠を持って、ギルドへ戻るぞ」



「おう!」


 ミナが元気に答える。



「うん……!」


 メディナも、笑顔で頷く。



「……行こう」


 シズクも、静かに頷いた。



 俺たちは――再び、一つのチームになった。

 雨降って地固まる、なんて言葉じゃ足りないくらい、絆は深まった気がする。



 証拠を掴み、潔白を証明し――

 そして、昇格試験へ。



 未来に向かって、俺たちは歩き出した。

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