第38話 ……私はもう、”人間”だよ。
「……様!白巫女様!どうされたのですか!?」
中年男のしゃがれた声に、私ははっと我に返る。
薄暗い祈祷室。スラムには似つかわしくないような華美で幻想的な私の部屋には、中枢神経に作用するお香の香りが漂っていた。
「ああ、お気づきになられましたか
さあ、今日の治療をお願い致します」
男が引き連れているのは若い女達だった。
顔、腕、腹、背中。
打撲傷、切り傷、刺し傷、絞め痕。
空っぽの表情で心を閉ざす彼女たちの肉体には、いたるところに生々しい傷を負っていた。
「いやあ、
こんな三級品の娼婦共でも、殴り放題痛めつけ放題ってオプションをつけりゃあそれなりの値段で売れるもんですからね!
普通なら使い潰す売り方なんて結構な金額を取らなきゃワリに合わないですけど、
上機嫌な男の口上を聞き流しながら、私は彼女らの傷を診察する。
いつものことだ。スラム産まれの無戸籍者や、迷宮都市外から夢を持って流れてきた農村戸籍者の成れの果てなど、概ねこんなものだ。
ヤクザや
生きる気力のすべてを失い、ただ時が過ぎ去ることを待つことしかできなくなった娼婦たち。
放っておけば何年もしない内に死ぬだろう人達を、しかし私の回復魔術で苦役の時間を長引かせてしまう。
疑問はなかった。
それが私の役割、この居場所にいられる存在理由だったから。
「……して」
何人目かの患者が、治療中に不意に口を開いた。
「殺して!もう、こんな人生!
ぶち壊して!こんな世の中!こんな連中!
できるんでしょ!?アンタ!神様だって言うんなら!」
ゴっ!
言い終わるか否かというところで、例の中年男が彼女の頭を殴りつける。
一撃で卒倒した彼女を、なお馬乗りで数発殴りつけてから若い衆に引き取らせ、今度は私に向かってヘラヘラと笑いかけてくる。
「いやあ、すみませんねえ
ウチの商品がご迷惑おかけしました。しっかり教育しときますんで」
「オイコラ。ウチの
テメエもぶっ殺すぞ」
私の飼い主ーースラムのチームのリーダーが男に凄む。
流石に少し動揺してドクドクと早なる動悸を感じている内に、私はある違和感に気づいた。
今のやり取りは、過去に経験した覚えがある。
……待て。
今は、いつだ?
こんな、スラムの一室で治療に明け暮れていたのは、ずっと過去のことなのではないか?
――――そうだ!
私は冒険者だ!
最近昇格し、マサキとともに活動しているD級冒険者だ!
待て待て待て待て待て。
それどころか!今は戦闘の最中のはずだ!
マサキ、メディナとともにD級階層の隠しボスであるスフィンクスと!
なぜ私はこんなところにいる?
頭を振って記憶を掘り起こす。
そうだ。【朝のリドル】、【昼のリドル】を乗り越えたところまでは覚えている。
そして対策済だったはずの【夜のリドル】に挑戦した時に、予定外の事が起きたのだ。
スフィンクスの形態も、
そしてやつが放った黒い霧に包まれて……気付けばここにいた。
これは……幻覚?
私の過去を見せられているのか?
己の姿を知り、変化を重ねた末の晩年、人の身をもっとも重くするものは何か。
だったか。
己の姿を知る、とは【朝のリドル】の回答である”鏡”。
変化を重ねる、とは【昼のリドル】の回答である”変化”に対応している。
己を――自分が何者であるのかを知り、そこから変化していった者が抱える重み。
「
「
縄張りに迷い込んだヨソ者を襲ってみたら、反撃で骨を折られちまったよぉ!」
「
今見せられてるもので、わかった気がする。
「……答えは、”過去”。そういうこと」
自分が巫女でも神でもなく、ただの獣人だと知った今。
冒険者となり、体の不調も治り、仲間もできて上を目指すように変わった今。
このどうしようもない過去が、私の足首を掴んでくるのを感じる。
「……悪いけれど、私はあなた達を救わない。救うことが、できない」
私の言葉を聞き、そこにいた全員が凍りつく。
……
しかし私は立ち上がる。
いつまでもこんな所にいるわけにはいかない。
「オイコラ、シズクぅ!テメェ誰に向かって口聞いてやがん……」
ヒュっ。
トス。
ドサっ。
私の放った矢が、いきり立つリーダーの額を射抜く。
いつの間にか、私の服装が冒険者時代の物に変わって……いや、戻っていた。
崩れ落ちるリーダーには目もくれず、私は部屋の出口に歩き出す。
直感する。
そのドアを開ければ、マサキのいる戦場に戻れるのだと。
ツカツカと迷いなく歩く私の背中に。
「行かないでくれよ。シズク」
不意打ちのような、温かい声が浴びせられる。
私の足が止まる。
振り返ってはいけない。
もしも振り返ってしまえば、私は。
「俺と一緒にいてくれよ。
2人で冒険者になろう。2人で”人間”になろう。
もうすこし頑張ったら、こんなところ抜け出してさ。
俺と君が一緒ならきっと無敵さ!きっと楽しいよ!」
明るい声。
無邪気な声。
希望に満ちた、声。
この声を信じることが出来たらどれほど良かっただろう。
彼の語る夢はどんなに輝いていることだろう。
その希望に満ちた輝きの前では、無関係の弱者を傷つけることなど、たいしたことではないと思いたくなってしまうほどに。
「……アナタには、感謝している」
絞り出す。
締め付けられる胸に、肚に、力を込めて。
「……でも」
私はドアに手をかける。
仲間の顔を思い浮かべながら。
「……私はもう、”人間”だよ。
自分をまだ”人間”と思ってない、アナタ達と違って」
私は歩き出す。
戦場へ。
マサキのいる未来に向かって。
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