第6話


 目を開けると、見知らぬ天井があった。鋼はぼんやりとそれを見上げている。


「ここは……?」


 もう、眠気や倦怠は身体のどこにも残っていない。

 鋼はかけられていた布団を蹴飛ばすように跳ね起きた。腹をすかせた動物のようにあたりを見回す。

 そこは病室のようだった。掛け布団の中を見ると、病人用の貫頭衣を着せられている。

 金髪の男が、ベッド脇の冷蔵庫を覗き込んでいる。


「おい」

「ん? ああ、おはよう! 黒鉄くん。調子はどう?」


 振り返った男は虹色に反射するサングラスをかけていて、目元が見えない。

 歳は――鋼とさほど変わらないだろう。十七か八か。くたびれた白衣を着ている。

 男は鋼の答えを待たずにベッド脇の受話器を取って耳に当てた。

 

「もしもし、涼虎ちゃん? うん、そう、起きたよ。顔見せてあげてよ。僕まだ彼と喋ったことないし、正直気まずいんだよねー」


 そういって金髪の男はへらへらと笑った。本人を前にして歯に絹を着せろと思うが、かえって鋼の警戒はそれで解けた。

 金髪の男は通話を終えて受話器を元に戻した。

 

「えーと、やっぱりこういう時って初めましてかな? 僕は殊村真琴(ことむら まこと)って言います。『特異研』の研究員で――ああっと、どこまで話聞いてる?」

「変な女が、変なチョコを食わせてきた。リングに上げてくれるって」


 殊村は困ったように頭をかく。


「うーん、全然事情を説明されてないっぽいね。話しても無駄だと思ったのかな涼虎ちゃん。参ったなあ――ええと、じゃあ、涼虎ちゃんの名前は知ってる?」


 知っていた。あの黒髪の少女が名乗った名前が、確か、


「枕木涼虎……」

「そうそう。それは聞いてたんだ」

「名前も知らないやつに殺されたらたまんねーよ」

「ははは、確かに――おや、お早い到着だ」


 病室の扉から涼虎が入ってきた。今度はカーディガンではなく、殊村のように白衣を羽織っている。鋼は「よっ」と片手を挙げてみせた。

 涼虎はつかつかと鋼が座っているベッドに近寄ると、おもむろに顔を近づけてペンライトで鋼の瞳孔を覗き込んだ。

 

「どこか、体調に異常は?」

「みんなそれだな。むしろ気分爽快だよ。腹減って腹減って死にそうだ。なんかくれ」

「食べ物? そうですね、いまチョコレートならありますけど」


 涼虎がポケットから取り出した板チョコの包みを見て鋼は嫌そうな顔をした。


「甘いのはいい」

「そうですか、じゃあ私が食べます」

「なんでそうなる。……鼻血出るぞ?」

「大きなお世話です」

「気が強いやつ。……ああそうだ、真琴くんがさ、おまえは事情をろくすっぽ説明もしないでアブナイ薬をいたいけな俺に飲ませたひどいやつだって言ってた」


 涼虎が無言で殊村を睨んだ。殊村は汗だくになって「言ってない言ってない」と両手をぶんぶん振っている。

 

「りょ、涼虎ちゃん落ち着いて。いまは僕に怒ってる場合じゃないよ。黒鉄くんがちゃんと『目覚め』たのか確かめないと……」

「それならすぐに済みます」


 言って、涼虎は白衣の胸ポケットからボールペンを抜き取った。診断でも始めるのか――と鋼はのん気に思っていたが、大間違いだった。

 鋼の動体視力でも追い切れない手錬れさで、涼虎がボールペンを鋼の顔に向かって投げた。


 ぱキッ


 いつか聞いた、あの脳の中のどこかが切り替わる音。

 鋼はごくっと生唾を飲み込んだ。

 眼球すれすれの空中に、ボールペンが制止していた。

 そして鋼が目をそらす暇もなく、ぐしゃり、と紙くずみたいに捻られて真っ二つに弾けとんだ。鋼は左手で顔を庇った。

 

「あぶねっ」


 ふむ、と涼虎がこともなげに息をついた。隣の殊村は涼虎の突然の凶行に震え上がっている。

 鋼は心臓を抑えながら涼虎を睨んだ。

 

「あっぶねぇな、バカ!」

「そうですか? ボクサーは目で見るより速く、ボールペンが飛ぶより速く、己が拳を出せると聞いていたので、もし『目覚め』ていなくてもどうにかなるかと思ったのですが」


 そんなもの時と場合によるに決まっている。

 鋼と殊村が「この女ちょっとおかしいな」という意思を視線で通わせている間に、涼虎がねじ切れたボールペンの欠片を拾い上げた。

 

「ですが、実験は成功したようですね」

「俺は今、人体実験という言葉の意味を体感している」


 涼虎は鋼のクレームを無視して、続けた。

 

「これがあなたの手に入れた力、その末端です。

 これからあなたにはもっともっと強い力を操ってもらいます。

 私たちのために、そしてあなた自身のために」

「そう、そう、それよ」


 鋼は左手の人差し指を涼虎の白磁のような顔に向けてぴっと伸ばした。


「俺は一体全体、何をすればいいんだ? リングに上げてくれるとは聞いたけど、まさか超能力を使って人間を次から次へと虐殺しろなんて言わないよな」

「したいんですか?」

「したくない」


 涼虎は少し間を置いてから、続けた。


「まず、自己紹介と私たちの目的を改めて話しておいた方がいいでしょう。私と殊村くんは、ありていに言えば、『超能力開発』に携わっています」

「で、何ックスファイルなの、その話?」

「それ以上茶化したら、身ぐるみを剥ぎます」


 鋼はかけ布団を胸元まで引き上げてぶるぶる震えた。涼虎はそれを苛立たしげに睨む。


「超能力開発というのは、公にはもちろん知られていませんが、ある種の薬を人間に投薬することによって行われています。あなたが私と初めて会った日に飲んだあれも、そのひとつです。我々は、より強い能力を発現させられる薬を作り出すための研究機関の人間なのです」


 殊村が割って入ってきた。


「そうそう、特別な異常現象の研究所、正式には『ディープ・アンダーグラウンド・ESP・ラボラトリー』……って言ってね、通称『デュエル』。日本には七つ支部あるんだ。陰謀というものは密かに増やされていくもんなんだね。

 ここはデュエルの第七研究所。

 涼虎ちゃんはその所長。僕は下っ端」


 涼虎が頷く。

 

「あなたには、私たちが作る新薬――『アイスピース』と呼ばれています――の被験者になって欲しいのです」

「なるほど……それで『治験』だなんて言ってきたってわけか」

「そういうことです」

「じゃあ、俺はただクスリ飲んで、あんたらの実験に付き合えばいいのか? なんかの測定器みたいのに繋がれて、こう、人型のターゲットみたいなのをウルトラ・サイキック・パワー! ……でバコバコぶっ壊せば三度のメシにありつけるのか?」


 鋼は笑った。


「違うんだろ?」


 涼虎は、――顔を背けた。


「あなたには、人体実験に参加してもらいます」

「ボールペン投げられるよりも厳しいやつか」

「ボールペン投げられるよりも厳しいやつです」

「へえ。どんな?」

「我々の目的はブラックボックス能力の測定とさらなる強化――最終的にはブラックボックスの『解放率一〇〇パーセント』に到達できるアイスピースの開発を目指しています。しかし、能力や性能というものは必ずしも定例通りにやっていて限界を超えることはまず、ありません。

 練習だけでは意味がないのです。

 実戦を踏まえなければ、本当の価値、本当の強さはわからない」

「同感だね」

「あなたには『試合』をしてもらいます。べつのラボにいる、あなたと同じアイスピースを飲んだ被験者と、何を壊しても許されるフィールドで。脳の中にあるブラックボックスをクスリで叩いて開けて、超常の力を相手とぶつけ合うのです」

「……もし負けたら?」

「結果を出せない研究施設に資金を下ろしてくれるところなんてありません。『上』が求めているのは、より強力なアイスピース、ただそれだけです。結果、結果、結果――それを提供できなければ我々研究員は役目を失い、秘密を知ったあなたも本土には戻れない」

「つまり?」

「勝つことです」


 涼虎は言った。

 

「勝てば、すべてが解決します。それが、あなたの新しい仕事です。超常の力を相手とぶつけ合って勝ち、自分の飲んだアイスピースの効果と精度を証明し、我々はそのデータを国家に収めて資金を融通してもらう。『ギブ&テイク』です。なにか問題がありますか?」


 なにもないようにも思えるし、問題だらけのような気もした。

 だが、いずれにしたって、同じこと。

 

「ふうん――」


 鋼は深々と柔らかいベッドに身体を沈めた。そして、どうでもよさそうに聞いた。


「死ぬの?」


 答えはなかった。

 それが答えだった。


「率直に答えてくれ。どうせ滅茶苦茶な実験なんだろ。どれぐらいの割合で人が死んでる?」


 涼虎でなく、殊村が答えた。


「そうだね、ボクシングでたとえるなら、13R以上で殴りあった時に起こるリング禍よりかは、多いかな。たぶん。数えてないけど」


「…………」


 鋼は目を閉じた。そのまま、涼虎の話を聞く。


「詳しい調整はこれからになっていくとは思いますが、数日中にも、最初の測定試験を受けてもらうことになると思います。その時はまだ対戦形式ではありませんから、安心してください」


 鋼は答えずにヒラヒラと手を振ってみせた。涼虎はちらっと殊村を見て、


「それでは、私はこれで失礼します。……殊村くん、彼のことをお願いします」

「了解」


 涼虎が去り、殊村が椅子に座って文庫本を読み始めた頃になって、鋼はぱちりと目を開けた。


「真琴くん、連れションいこ」

「……ひょっとして、タイミングうかがってたの?」


 ◯


 病室を出ると、廊下はほとんど真っ暗だった。

 ところどころに非常灯が灯っているほかは、明かりはすべて落とされている。

 真夜中の病院かと思ったが、窓がひとつもない。

 昼なのか夜なのかもわからない。


(……地下?)


 スリッパを履いた鋼の足がよろけた。殊村がそれを支える。

 

「なんかフラフラする」

「無理ないよ。『ノッカー』を初めて飲んだ人間は、みんなしばらく平衡感覚を失うんだ。

 まあ、他の『ダーク・ロイヤル』とか『ヴァンプ・メーカー』とかに比べれば軽い方だけど」

「……ノッカー?」

「君が最初に飲んだアイスピースだよ。涼虎ちゃんに渡されたやつ。一番古くて、一番やさしいんだ」

「ああ、あれ。ノッカー? マズくしてしょうがなかった。最悪のバレンタインだ」

「夏なのにね」


 二人して、トイレを目指して廊下を進む。

 次第に鋼は回復してきて、支えなしに歩けるようになった。殊村は少し驚いていたようだ。普通はもっと体力を喪失するのかもしれない。

 

「にしても、これから俺も超能力者か」

「ハハ、今はもうそんな呼び方してないよ」

「そうなの?」

「うん。さっき涼虎ちゃんが言ってたろ? 僕たちの作る薬――アイスピースは人間の『脳のブラックボックス』を揺さぶって超常の力を引き出させる。その力を使う君たちのことを僕らは」


 鋼は次の言葉を待った。

 殊村は、それを言った。

 

「『ブラックボクサー』、って呼んでいるんだ」





 思えば。

 

 自分は決してボクシングが好きだったわけじゃない。

 

 ただ、それが自分にできることだっただけ。

 

 勉強するより、働くより、拳を振るっている時が一番誰かに認めてもらえたというだけのこと。

 

 ボクシングのことは愛していたが、決して好きじゃなかった。

 

 奇妙な言い回しだが、鋼の中では確かに、そういうことになっていた。

 

 その言葉の責任を取る時がやって来たのかもしれない。

 

 鋼は、残った拳を強く強く握り締めた。

 

 傷になるほどに。

 

 前を向く。

 

 やってやろうじゃないかと思う、その口元は、懐かしい知り合いを見つけたように、

 

 

 笑ってる。

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