第13話

 逆さま列車の停車するプラットホームは、スーニャン見たさの見物客でごった返していた。ほんの少し前まで閑古鳥が鳴いていたことを思えば、異常な人気ぶりだろう。もともと逆さま列車は住民の足としては利用されておらず、地下トウキヨになくてはならない必須の乗り物というわけではなかった。

 人間の住まうシト・トウキヨにあって、特別に郷愁ノスタルジーを感じられる乗り物という触れ込みであったが、ほとんどの人外には郷愁という感情がぴんとこないものだった。逆さま列車を見上げた人外たちはこんなふうに囁き合った。

「これのどこに懐かしさを覚えるんだ?」

「さあな。人間ってのはよくわからん生き物だな」

 そもそも人外には乗り物に乗る、という習慣がなかった。

 羽根の生えた鳥人は飛べばよく、たいていの獣人はノロノロ走る逆さま列車よりも速く走ることができる。わざわざお金を出して切符を買い、決まった座席に腰掛け、窮屈さを味わうなんて、一部の酔狂がすることであった。

 絵に描いたような不人気ぶりであった逆さま列車の乗車券を入手困難切符プラチナチケットに変えたのは紛れもなくスーニャンの功績だ。乗客のほとんどがスーニャン撮りたさの〈撮影者カメラマン〉で、発車時刻ぎりぎりまで列車に乗り込まず、スナネコ専用滑走路レーンにかぶりつくように陣取るのが常だった。

 撮影者たちが絶好の撮影場所フォトスポットをめぐって押し合いへし合いをすると、落下防止柵のないプラットホームから転落してしまう危険性がある。誘導係を務めるポポロは安全に撮影会を遂行するのが任務であった。

「運営さん、スーニャンはどこ? ぜんぜん見えない」

 前列はすでに常連で固められ、後方から不満げな声が上がる。

「はい、押さないでくださいね。背の低い方は前へ、背の高い方は後ろへどうぞ」

 運営さんと呼ばれるだけあって、ポポロは慣れた仕切りぶりだった。スーニャンに飛びつこうとするものがあればやんわり静止し、複数回注意しても態度が改まらないようであれば、「今後は出入り禁止にさせていただきますよ」と叱ることもあった。

 ポポロの関心事はスーニャンに気持ちよく飛んでもらいたいということだけで、一部の心ない乗客から口煩いだの、横暴だのと罵られることもあったが、一貫して公平な態度のポポロを「神運営!」と称賛する声もあった。

 ポポロの仕切りに不満を持つものもいたが、ポポロと親しくする常連もいた。

 キリンの獣人キリリグが長い首をにゅっと伸ばし、プラットホーム越しに気さくに話しかけてきた。

「運営さん、運営さん。見て、見て。スーニャンの写真をスライドショーにしてみました」

 空中に、スーニャンの飛空挑戦の様子が連続写真で映し出された。

 長い首、長い手足もあって、キリリグは逆さま列車に乗り込むことができないが、それでも律儀に乗車切符を買い求め、飛空の邪魔にならない定位置からスーニャンを撮り続けていた。撮影を終えると、キリリグは希望者に無償で自身の乗車切符を譲り、「私の分まで楽しんできてくださいね」と言うのがお決まりだった。

 大きく引き伸ばされたスーニャンの連続写真は、我が子の成長を慈しむかのような愛に溢れていた。

 飛空当初は背中になにもなかったスーニャンだが、この所、砂でできたちっぽけな羽根が生えつつある。まだスーニャンの身体を空に浮かすほどの大きさも力もないが、砂でできた羽根は徐々に、徐々に大きくなっていた。連続写真で見ると、それがよく分かる。ふいに誘導係の役割も忘れ、ポポロは思わず目を細めた。

「キリリグさん、いつもありがとうございます。とても良い写真ですね」

「肉眼だとよく分からないけど、これ羽根ですよね」

「そうですね。羽根のように見えますね」

「うわあ、やっぱり! 凄いなあ、挑戦し続けると羽根も生えるんですね」

 スーニャンが頑張っている姿を見て、純粋に喜んでいる見物客を見ると、ポポロもまた嬉しくなるのだった。こういう触れ合いがあるから、運営さんの仕事も捨てたものではない。

「キリリグさんの夢はなんですか?」

 スーニャンの夢を応援する者同士の近しさもあって、ポポロが訊ねた。キリリグはちょっぴり恥ずかしそうに首を縮こませた。

「……えーと、その、私も逆さま列車に乗ってみたいなあって」

 ポポロは意表を突かれ、とっさに返事をすることができなかった。

「あわわ、う、運営さん。今のは忘れてください。運営さんを批判しているわけじゃないんです。お前のその長い首でどうやって逆さま列車に乗るんだって話ですよね」

 キリリグが慌てふためいて弁解した。

「いえ、謝らないでくださいキリリグさん。キリンが逆さま列車に乗りたいと思ってなにが悪いのですか。悪いのは万人向けではない逆さま列車の構造です」

 ポポロが擁護すると、キリリグが泣き笑いのような笑みを浮かべた。

「え、それじゃあ、運営さんにキリン専用列車を作ってほしいです」

「承知しました。専用列車というのはお約束できませんが、キリリグさんが乗り込めるような車両を設けてくれるよう駅員に掛け合ってみます」

「……本当ですか?」

「はい。いつ実現できるかは分かりませんが、ご要望はしかと承りました」

 キリリグは長い首をしゃんと伸ばして、ポポロに礼を言った。

「やっぱり運営さんは神運営ですね。少数の声を無視したりしない」

「そう言っていただけると嬉しいです。小さな声ほど大事にしたいと思っています」

 ポポロとキリリグの心温まる一幕がそうさせたのか、今日の乗客は皆マナーがよかった。押し合いへし合いも自然に止んで、撮影位置をめぐってのいざこざもなかった。

 見物客たちは今か今か、と主役の登場を待ちわびていた。

 しかし、いつまで経ってもスーニャンは姿を現さなかった。

 気まぐれな猫だけあって、ちょっと出発時間に遅れたり、妙に早く飛ぼうとしたり、飛び方はいつも一定ではなかったけれど、それがかえって可愛いと評判になった。

 焦らされたり、急かされたりするのがスナネコ飛空挑戦チャレンジの醍醐味であったが、多少の時間の誤差はあれど、スーニャンが飛空をすっぽかしたことは一度もなかった。

「運営さん、スーニャンはどうしたんでしょうかねえ」

 キリリグが心配そうな声で言った。

「おい、スーニャンはどうしたんだ?」

「寝坊とか?」

「もしかして誘拐か?」

 キリリグのみならず、プラットホーム上の見物客たちもざわつき始めた。

 気が気でないのはポポロもまた同じだった。

「どなたかスーニャンを見かけた方はいらっしゃいますか」

 ポポロが問いかけるも、誰もスーニャンを目にしたものはいなかった。

「もしかして……」

 ポポロの脳裏に、キタキツネの獣人コンタが立ち去る姿が蘇った。

 ――誘拐?

 まさか、とは思ったが、現にスーニャンの姿はない。

 何はともあれ、スーニャンの安全が最優先だ。ポポロは毅然とした調子で言った。

「本日の飛行挑戦は延期にさせていただきます。お手持ちの切符は後日に振り返させていただきます。払い戻しをご希望の方はお近くの駅員にお申し付けください」

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