第647話

 「血を見たい、浴びたい。その衝動の延長として、強い暴力性を引き起こす。強迫観念と軽度から重度の昏蒙、手足の震え、過呼吸や不整脈、頭痛……。吸血鬼の飢餓衝動を和らげて、食欲を抜いた感じね」


 辛いとか苦しいとか、無駄な主観を省いた客観的な説明は、自分が患う病気の説明をしているにしてはいやに冷静なものだった。

 きっと、それだけ長く症状と付き合ってきたのだろう。


 「人間の発症例は幾つか聞いたけれど、エルフの感染者は多分私だけね。無理もないけど、情報が少ないのは辛いわ」


 吸血鬼との長期的接触によって感染する。

 なるほどそれは、確かにとても希少な病気だ。


 吸血鬼に遭遇した人間は殺されるか食われるか、返り討ちにするか。

 彼我の強さにもよるが、一時間一緒に居るだけで「長時間」の部類になる。大抵は十秒とか長くても一分とか、そのくらいで決着するだろうし。


 が、しかし。

 ここに二年くらいずっと一緒に居て、日常的に触れ合い、数日おきに血を吸われていた特殊なケースが居るわけで。

 

 「そ、れが……吸血鬼との接触で発現するんですか? え? 待って? 僕ももう何十回と血を吸われてるし、血の治癒も何回も受けてるんですけど。どうしよう。そのうち発症する?」


 フィリップは慌てふためき、意味もないのにアンテノーラにまで尋ねた。

 当然に「さあ?」という身振りが返ってきたが、それに気を払う余裕もないほどに動揺している。


 だって、そんな奴が人間社会に混ざれるわけがない。

 そいつがどうこうではなく、人間社会がそれを許さない。


 ミナが人間の都市に平然と混ざっていたのは、彼女が人間に対して圧倒的に優越する化け物だったからだ。

 国家が有する暴力を彼女個人の暴力が上回り、人間社会の淘汰圧は彼女の前に膝を折った。


 だが、フィリップはそうではない。

 彼女のように振る舞ったとて、早々に衛士団なり上位の冒険者なりに袋叩きにされてお陀仏だ。


 というか、そんな爆弾じみた病気を抱えてルキアやステラの傍に居るわけにはいかない。

 衝動的に素手や剣で襲い掛かる分にはボコボコにされてお終いだが、フィリップの売りは奇襲性だし、何より衝動が自我の最表層に出てくる場合、邪神投入に躊躇しない可能性がある。


 最悪のケースとして。


 「血が見たいなあ。血と言えばシュブ=ニグラスだな。折角だし派手にお願い」


 と。いつぞや帝都を踏み潰した“脚”の化身を呼び、その血を絞り出して雨と降らせるようなことも、もしかしたら起こるかもしれない。

 

 衝動の強さや思考の鈍化具合を知らないので、悪い想像というだけだが。


 ──幸い、そんな想像の必要は無かった。


 カイナは今度は明確な否定のために頭を振る。


 「純粋な感染症じゃなく呪詛の伝播だから、理屈の上では魂の接触──眷属化レベルの吸血や性行為みたいな、儀式的に重要な意味を持つ行為を通じて感染するわ。食事や治癒程度なら大丈夫だと思うけれど……」

 「あ、セックスはしてないので大丈夫です。というかミナは人間に性的興奮を覚えるようなソドミストじゃないです」


 まさか、という目を向けられて、フィリップは断固たる態度で否定する。


 直後、「なんで僕は飼い主の母親相手に、飼い主の性癖の保証なんか語ってるんだろう」と複雑な気持ちになったりしつつ。


 基点が呪いなら、恐らく「精神影響」としてシュブ=ニグラスの守りに弾かれるはずだ。

 吸血後の酩酊感なんかは素通りだったから怖かったが、それなら一安心といったところ。


 「そ、そう。それなら大丈夫ね」


 カイナは明け透けな物言いに若干引きつつ、安心したように頷いた。

 

 それから暫し雑談しつつ朝食を終えた頃、階段を下りる足音に続いて、赤く汚れた掃除道具を手にしたカノンがやってきた。


 「フィリップ様、死体の処理と部屋の掃除、終わりましたよ」

 「早いね、お疲れ様……?」


 労いの言葉をかけつつ、フィリップは首を傾げる。


 階段を昇り降りする足音は食堂に居ても聞こえたが、掃除道具を持って階段を上がり、降りてきたのはこれが初めてだ。


 つまり、死体の搬出がまだ終わっていないはず。

 なのに掃除が終わったというのは、少し妙だ。


 自分の中で引っかかった部分をそこまで整理すると、フィリップの脳内でなにかが繋がった。


 「……あ! カノン、死体食べたでしょ!?」

 「えっ!? だ、駄目でしたか!?」


 こいつマジかと言わんばかりの愕然とした目を向ける、フィリップとカイナ。


 アンテノーラは優雅な所作で口元をナプキンで拭いつつ、事の行く末を見守っている。

 折檻の必要があれば動くし、そうでなければ、同僚の悪食に口を出すことはない。彼女自身も「ご飯だよ」と人間を出されれば平然と喰らう食人種だ。


 そして一秒ほど考えて、フィリップの表情からも力が抜けた。


 「……いや、よく考えたら別に駄目ではないね」

 「えぇ……。じゃあおっきい声出さないでくださいよ。びっくりしたじゃないですか」

 「うん、ごめん」

 

 カイナは最後まで正気を疑うような目をしていたが、彼女とて吸血鬼に近しかったのだ。

 食人種を見るのは初めてでもあるまいし、単にあの挽肉──ぐちゃぐちゃの生肉を喰ったのが信じられないのだろう。

 

 食器を片付けて歯磨きをしたあと、フィリップは僅かな期待を持って宿の扉を開けた。


 だが残念。

 外は真っ白だ。風向きと建物の向きからして、雪かきをしなければ出られなくなる、と言うことは無さそうなのが唯一の救いか。


 「……止みませんわね、吹雪」


 冷たい風に打たれながら白い溜息を吐くフィリップに、背後からアンテノーラが声をかける。


 「そうだねえ……。次の駅宿までの距離を考えると、昼過ぎくらいにはここを出たいんだけど」

 「うーん、残念だけど、今晩までは止みそうにないわね」


 今日も地元民の意見が辛い。

 しかし吹雪の中で平然と動けそうなのはアンテノーラくらいだし、フィリップには“歌”があるとはいえ逸れたら終わりだ。ここはぐっと堪えるべきだろう。

 

 となると、やはりもう一泊。

 怪奇的惨殺事件があった……というのはどうでもいいが、あからさまにあからさまな、どこからどう見ても疑う余地のないお化けが出る、この宿に。


 フィリップはまた溜息を吐いて、風に押さえられた重い扉をばたりと閉じた。


 「……セオリー通りなら、今夜は僕らのうちの誰かが死ぬわけだけど」

 「一夜につき一人死ぬっていうのはセオリーにしていいんですか? みんな無事だったり、犠牲者が二人だったりはしないんですか?」

 「お化けに、というか話によりけりだね。ここのお化けの性質は知らない」


 話によっては「顔のないお化けを見たと触れ回ったら、いつの間にか村の全員が同じ顔になっていた──」みたいなオチだったりするし、「お化けが現れた=誰かが死ぬ」という等式も前提ではない。


 ただ、昨日の段階で一人が死に、フィリップたちもお化けに接触したにもかかわらず死んでいないことからパターン分析すると、そうなる。


 一夜に付き一人死ぬ。

 死ねばそれまでだが、残された者は夜な夜な死の恐怖に怯えることとなり、やがては恐慌状態に陥った生存者同士での殺し合いにすら発展することもある。


 ……物語の中では。

 この顔ぶれで殺し合いにはならない。万が一カノンとアンテノーラが発狂した場合、が速やかに回収していくだろうし。


 「……そういえば、どうしてお化けが怖いの? あんな死体を見ても平然としているのに。殺されるのが怖い、というのなら分かるけれど、違うでしょう?」

 「あれ、昨日言いませんでしたっけ? 正体不明はそれだけで怖いんですよ」


 フィリップは適当に答えながらも、カイナの観察眼に意外さと感心を覚えていた。


 確かに、お化けに何かされるかもしれない、という恐怖はない。

 殺されることへの恐怖が無いのは、自分が死ぬ可能性を真剣に考えられないからだ。


 だから凄惨な死体を目の当たりにしても、「自分もこうなるのでは」という恐怖が湧かない。

 正常な生存本能として持つべき危機意識すら抜け落ちている。


 お化けに何かをされるから怖いのではない。

 何をされるか分からないから怖いわけでもない。


 ただ、お化けという未知の存在が怖いだけだ。

 

 「正体なら、もう分かっているんじゃないの? 貴族の婚約者でしょう?」

 「それも昨日……あぁいや、カノンにしか言ってないか。死者の蘇生は有り得ないんですよ」


 首を傾げるカイナに、フィリップは重々しい口調で語る。

 いや、重々しいというか、かったるそうに。同じ言葉を繰り返すのも、今日もまたこの宿に泊まらなければならないことも、どちらも気が滅入る。


 「あれは怪談が語っていたような存在じゃない。死者蘇生が有り得ない以上──」

 

 蘇った死者ではないことだけは確かな、正体不明の何かなのだ、と。

 確かな論理に基づいて自らの恐怖を説明したつもりのフィリップだったが、アンテノーラが不思議そうに首を傾げた。


 「……いえ、死者蘇生が有り得ないと断じるのは、早計ではありませんこと?」

 「そうですね。昨日は言いそびれましたけど、不可能ってだけでしょう? 完全な蘇生じゃなくても類似の技術とか、それが可能な種族や神格の介在までは否定できないんじゃ?」


 珍しく道具たちの意見が揃い、珍しく主人の言葉を遮る。

 その内容はフィリップの胸にすとんと落ち、同時に目を瞠らせるだけのものだった。


 「そ……れは、うん、そう……だね」


 どうして──いや、眠気のせいもあったのだろうが、お化けに怯えるあまり思考が散逸していたのだ。

 だがそれにしたって、これは酷い。

 

 フィリップは数秒前までの自分を思い出し、顔を覆って笑った。

 苦笑いで、呆れ笑いで、照れ笑いで、自嘲で──もう笑うしかないから笑っている。


 「らしくもなく「お化けに違いない! おばけこわい!」ってビビリ散らかしてましたからねえ。ぷーすす! ってことをよーくご存知のはずなのに!」

 「顔と言い方はむかつくけど……うん、君が正しい」


 明確な嘲弄に口元をひくつかせながらも、重い溜息と共に認めざるを得ない。


 普通、お化け──恨みつらみでこの世に留まる死者なんてものは存在しない。

 しかし実際に、怪談で語られるお化けと共通の特徴を持つ、お化けのようなものをこの目で見た。


 となれば、「お化けのようなもの」を生み出した何かがある。

 人為的なものか、人外の手が入っているのか、神格の意思が介在しているのか。


 「通常では有り得ないものが有るのなら、有り得ないものを有らせている通常ではないものが在る」


 こんなのは、特筆すべき論理ではない。


 木を離れたリンゴは地面に落ちる。

 もしも落ちなければ、そこには収穫用のネットがあったのかもしれないし、誰かがキャッチしたのかもしれない。或いは、そもそも誰かが木から捥いだのかもしれない。


 誰にだって考えられる、当然のことだ。


 それでも、フィリップはそれを誰よりも真面目に、そして広範に考えられるはずだった。

 人知を超えるモノ、想像も及ばぬモノが、この宇宙には星の数ほどあることを知っているのだから。


 「ええと……うん、そうね、そうかもしれないけど……」


 フィリップの論理を大袈裟すぎると感じたのか、カイナは苦笑気味に言い添える。


 「長く薬学を修めてきた立場から言わせて貰うと、有り得ないことが起こった時、最初に確認すべきは観察の不備よ」 

 「そうですね。僕らは今のところ、それさえも出来ていない。目を開けてさえいなかったようなものだ」


 リンゴが木から離れたという情報しかない現状、地面に落ちなければ異常としか判別できない。

 ネットや収穫者といった、それが本当に異常かどうかを判別するための情報が──観察が全く足りていない。


 これは未知ではない。

 自分が盲目であることにさえ気付けなかった。最も恥ずべき類のだ。


 「あのお化け……他に呼び方が無いから仮称としてそう呼ぶけれど、お化けの外観と殺し方くらいしか観測できていない。情報が足りなさすぎる」

 「殺し方というか、殺した後の死体……もっと正確には「あれが殺したと思われる」ですけどね」


 重箱の隅をつつくようなカノンの訂正に、普段なら「なんだこいつ」と眉を顰めるところだが、今回は有用な指摘と認めよう。


 あの惨殺死体が“お化け”の手によるものという確証すらも、本当は無いのが現状だ。


 目を開く必要がある。

 物を見て、観察して、思考する必要がある。


 「……ちょっと腰を据えて考えようか」


 言って、フィリップは食堂に足を向ける。

 「お茶をお淹れしますね!」と、カノンは一足先に厨房に消えた。


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