第633話
「動くな! 妙な真似をしたら、全員殺すぞ!」
取り敢えず剣を抜こうとすると、集団の一人が吼える。
流暢な人語だ。だが人間の声らしくないと、直感的に思った。
フード付きの防寒着を着込んで体格も判然としないが、人間の大人サイズ、そして二足二腕のヒトガタだ。
目視圏内には九人居る。
声を上げた奴を含め、人間のように見えるやつが五体。防寒着の中に触手を詰め込んでヒトガタに見せているのが一匹。粘体頭が一匹。蛇人間が二匹。
顔も見えて完全に人間のように見えるやつもいるが、寄生されているか、幻覚や擬態の類だろう。
「へぇ、じゃあ僕からも……。動くな、妙な真似をしたら全員殺す」
アヒルの玩具を放り捨て、フィリップは青白い魔力の輝きを纏う龍骸の刃を抜き放つ。
とはいえ、相手は一行を取り囲むように散っている。
加えて、謎の棒に謎の球体。構え方からして銃器の類、もしくは魔術行使の補助具──信頼のおける遠距離武器だ。
剣を抜いたくらいでは威嚇にもならないし、撃ってくることもなかった。
「この水晶、サイサロスの断片を封じているものだね。君たちは信奉者か、利用しようとしているのか……ま、楽にしなよ」
眼前に屹立する、自らの身の丈を超す巨大な黒水晶。
それを顎で示し、フィリップはひらひらと空の左手を振る。
敵意が無いことを示すような仕草だが、むしろ周囲には敵意と疑念が満ちた。
こいつは何なのか。
何かは分からないが、間違いなく敵ではある。そして危険でもある。
そんな認識が声も無く広がっていくのが分かった。
「先の銃声、未帰還の哨戒……貴様らの仕業だな」
「カノンがつまみ食いをしたってことは──ナイアーラトテップがそれを許したということは、僕は最終的に……いや、少なくともこの場に於いては、君たちを見逃す可能性が高い」
問いには答えず、フィリップは自らの関心を語った。
なにも、会話の主導権を握ろうというわけではない。そんなものは必要ないし、その手の駆け引きや技術は知らない。
重要なのは自らの興味と関心。それだけだ。
憎悪を以て相対するべきか、否か。
「……貴様ら、何者だ? ミ=ゴの協力者かと思ったが、違うな?」
フィリップたちの後方、伸長した蛇腹剣も届かない位置に立った異形が問う。
防寒具の中に大量の触手を詰め込み、服の形で辛うじてヒトガタに見えるモノ。間違いなく人間ではなく、人語を解してはいるが、声は何種もの虫の音を混ぜ合わせたような奇怪さだった。
その音が気になったのか、雪の上に転がっていたアベルがもぞもぞと動く。
起き上がるわけではなく、むしろ耳を塞ぐように頭を抱えて丸くなった。
その動きに、誰も関心を払わない。
取り囲むモノたちは脅威と見做さず、カノンとアンテノーラは無関心で、フィリップも潰えるならそれまでと見限る。
そんなことより、もっと気になることがある。
「お前たちは何だ? ただのカルトじゃあないよね?」
かといって“宣教師”という感じもしない。
奴らはもっと智慧が深かった。それこそ、フィリップを一目見て『外神の寵児』と見分けるほどに。
カノンでさえ、こびりついた気配から「ナイアーラトテップの化身か、はたまたシュブ=ニグラスの化身か」と、間抜けな勘違いをしてはいたが、それでも即座に敵意が無いことを示した。
しかし、こいつらは。
「……」
バン! と激しい破裂音が響く。
銃声というより落雷に思われたその後に、フィリップの足元には雪の解けた穴があった。
直径は約10センチと、大きくはない。
だが雪は完全に蒸発し、地面に黒い焦げ跡が残っている。
見回すと、人間のように見える個体が、両手サイズの複雑な機械を銃のように構えていた。
銃のように、というか、銃器に類するものだろう。電撃、或いは熱放射系の非実弾発射機械。
カノンが言っていた通りなら、防ぐにはバリアが要る。
「質問に答えろ。お前は何者だ?」
威嚇射撃をしたヒトガタは、次は当てると言外に示すように硬い声で言った。
は、と、フィリップの口から吐息が漏れる。
半分は驚きだ。ペッパーボックス・ピストルより
もう半分は──嘲笑だ。
「はは……。質問に答えろ、お前たちは何者だ?」
言われたままを返す。
嘲笑と、揶揄と、悪意を込めて。
再びの爆音と共に、また足元の雪に穴が開いた。
「物分かりの悪い奴は死ぬぞ」
カチャリ、と僅かな音が耳に届く。
構えられた機械に銃口らしきものは見当たらないが、照準が足元から心臓に向いたのが直感的に分かった。
対魔術師戦をルキアに教わったフィリップは、電気の恐ろしさを十分に理解している。
弾速も速ければ威力も高く、誘導性の付与も容易──というか、元来付いている誘導性を魔術で打ち消し、矢や槍のような直線性を持たせるほどだ。
加えて、高威力の電撃であれば、「掠める」という概念がない。
鉄の弾丸や他の実体投射系の魔術なら、ちょっと血が出る程度のカス当たりでも、電撃は身体へ流れ込んで肉を焼く。或いは心臓を止めることも。
──だが、狙って撃つ点攻撃だ。
「はははは……!」
哄笑に合わせ、竪琴の音と共に歌が始まる。
命令も無く、合図も無く。主の思いを汲んだ楽器が独りでに。
「──その通り」
直後、フィリップは銃撃者の眼前に居た。
咄嗟に起動された電撃銃は素直に雷撃を吐くが、誘導性のない電流は虚しく空に散る。
「あ──」
獲った。
そう確信できる位置、踏み込み、姿勢だ。まずは首一つ。
惨殺するかどうか素性を聞き出してから決めよう、なんて思ってはいたが、なに、九匹も居る。
一匹ぐらい適当に殺してもいいだろう。むしろ連中の舌がよく回るようになるかもしれない。
そんなことまで考えていたが、しかし。
振り抜いた剣は透明な壁にぶつかり、紫電を散らしながら弾かれた。
覚えのある独特の臭気が鼻を突く。
オゾンの臭い。空気が毒に変わっている臭い。レイアール卿の魔剣と──蛇人間のバリアで嗅いだことがある。
「蛇人間……! イグでもツァトゥグアでもなくサイサロスなんかを崇めてるとはね!」
「貴様……我々のことまで知っているのか」
いつぞやの司祭同様、人間にしか見えない完璧な擬態。
しかし正体を言い当てられて、防寒具に身を包んだそいつはあっさりと認めた。
反撃に放たれた電流は再び空を裂き、フィリップがいるように見える場所を通り過ぎる。
「前に同種に会ったよ。ブチ殺したけど」
スパークが迸り、間髪入れず二つ目が走る。
アンテノーラの“歌”で強化された肉体で、ほぼ整備したての龍貶しでも徹らない防御。相変わらず面倒、というか、前回はミナが居てなお手間取ったのだったか。
「……こいつは異常だ。ミ=ゴの兵器を連れていることといい、ただの人間じゃないぞ」
「そりゃそうだ。そりゃそうなのに、どうして“その先”を考えられないかな……」
まあ、考えたところで『外神の寵愛を受けているのか?』なんて思い付けるはずもないし、思い至る方が不自然というか、「どんな思考回路してるんだこいつ」というレベルの飛躍が必要だが。
「やむを得ん。全員、殺害も視野に入れて対処しろ!」
布と、金属と、触手と。色々なものが擦れ合う音がする。
正面に、背に、横面に。多種多様な敵意が向く。銃器、魔術、もっと別の知らない何か。
幾度かの銃声は何の成果も無く、勿論同士討ちをすることもなく、虚空や地面を穿つのみだ。
ただ、悲鳴は一つあった。
「ひょえっ!? フィリップ様! コレ避け続けるだけはキツいです! ぶっ殺しちゃっていいですか!?」
「ふむ……」
僅かに逡巡する。
どうせ、フィリップ自身の手で全員を惨殺するのは不可能だ。
というか、蛇人間のバリアがある時点でミナ相当の戦力は必須。アンテノーラが自己強化して参戦して、やっとバリアを貫ける。
蛇人間をどうにか殺しても、あと八体は化け物がいる。
カノンが一匹獲って、フィリップ自身で一匹獲って、残りの六体にハチの巣にされて終わりだ。
「……無理だな。この数の本物相手じゃ、“歌”ありきでもキツい」
言って、フィリップはサイサロスの断片が封じられた黒水晶の傍まで下がる。
連中がこれを信仰しているにしろ、利用しているにしろ、これを砕くことは出来ないはず。近くにいるだけで寒気がするが、安全の代価と考えれば安いものだ。
誰も撃ってこず、幾人かが銃口を逸らしたのを見て、フィリップは笑う。
そして、徐に左手を掲げた。
「いあ いあ はすたあ はすたあ くふあやく ぶるぐとむ ぶぐとらぐるん ぶるぐとむ──」
拙い発音ながらも間違いなく邪悪言語での詠唱は、取り囲む化け物たちを激しく動揺させる。
魔術に詳しい人間や魔人でも、「自分が知らない魔術」と思うだけ。
未知の魔術に脅威を感じたり、或いは意味を解せない言語の語感などから、第六感が恐怖を訴えるかもしれないが、それまでだ。
しかし明確に智慧のある彼らには、もっと具体的な危機感と恐怖を齎す。
「っ! 黄衣の王の頌詩……招来の呪文か!? あれを使え!」
「あんな祝詞で──」
「馬鹿野郎! 早くしろ! どう見ても油断していい相手じゃねえだろうが! 全員撃て!」
ほう、と、フィリップは少しばかり感心した。
ハスターへの賛美であることを理解し、それにしては低次元な内容であることを理解し、その上で脅威と見做す。流石は人外、智慧が深いと。
判断も早く、意思の疎通も出来ている。
だが残念。フィリップが一枚上手だった。
サイサロスの水晶の傍に立つフィリップが、目に見えている位置に居ない可能性を、彼らはもう知っている。先の攻防で何発かの雷撃を『拍奪』で透かしたからだ。
だから撃てない。どれだけ精密な射撃が可能でも。
位置を誤認させるトリックが歩法であると知らない奴らは、フィリップを狙ったつもりで水晶を撃つ可能性を考えてしまう。
棒立ちのフィリップが、果たして本当にそこに居るのかと疑ってしまう。
目に見えている水晶の位置は、本当に正しいのかと勘繰ってしまう。
そして恐らく、一発くらいなら“歌”による強化で耐えられる。全員が同時に、あの雷撃銃レベルの火力をぶつけてきたら厳しいだろうけれど。
上位吸血鬼相当の運動性能を目の当たりにしては、距離を詰め白兵戦に持ち込む選択肢もない。
竪琴の演奏と歌が終わる。
そしてフィリップの詠唱も終わる。
鳴り響いた銃声と雷鳴は──ゼロだ。
「──あい あい はすたあ」
魔法陣が展開され、智慧を持つ者たちは低次元な祝詞に黄衣の王が応えたことに驚き慌てる。
事ここに至り、彼らは漸く覚悟を決めた。
サイサロスの断片を封じた水晶諸共、謎の人間を弾幕の中に沈める覚悟を。
「オブジェクトに構うな! 撃てッ!」
絶縁破壊の破裂音と共に、横殴りの雷が槍のように伸びる。
都合四つ、人体を丸焦げにして余りある電流量と電圧が襲い掛かり──しかし、雷速の弾丸が突き刺さったのは、狙い通りの人体でも、どうか当たるなと祈っていた黒水晶でもなく、巨大な黄色の繭だった。
幾重にも織られた、触手の繭。
五メートルはあろうかという巨大な塊は、黒い水晶も、謎の人間も、他の三人も纏めて包み込んでいる。
表皮に直撃したはずの雷撃は、何の痕跡も残していない。
その封はゆっくりと解かれ、繭は長い外套を纏ったような姿の巨人となる。
クエスチョンマークのような奇怪な図形が描かれた白い仮面。それに隠された頭部は、骨格のない動きで地表付近まで下りる。
「──あれも殺していいのかな。魔王の寵児よ」
ぐにゃりと歪むように傾げられた頭。
目も何もない仮面の示す先には、ハスターとほぼ同時に召喚された、もう一つの異形が居る。
黄衣の王への頌詩を召喚目的と看破した奴らが、即座に選んだ
銀灰色の霞と、星々の間を満たす黒色とが像を結んだ曖昧なるヒトガタ。
目のように思える緑色の炎の他は、およそ外界を認知するための器官を有さないように見える。
その輪郭は外套を纏った人間のように見えるが、円や球、曲線や錐体といった幾何学的図形の集合にも思われる。有機的、生物的な生々しさや生命の気配が感じられない。
ハスターに対抗するように五メートルもの巨体で現れた、影の巨人。
それは、この場に於ける三体目の神格だ。
「ヴォルヴァドスか……」
旧神ヴォルヴァドス。
……いや、旧支配者、か。
いて座のオメガ星雲などで信仰されており、地球外にルーツを持つものだ。
しかし、その行動目的は旧神や惑星の保護、旧支配者の封印維持と、地球本来の神々に利するようなもの。
存在のルーツや来歴を見るに旧支配者ではあるが、行動は旧神的。どっちつかずの存在だ。
……とはいえ、ハスターなら問題なく勝てる相手のはずだが。
「どうして態々訊くんですか?」
「奴はこの星に封じられている旧支配者たちの看守だ。それがいなくなれば、囚人たちは早晩自由を求めて動き出し、牢は破られるだろう」
仮面の下から聞こえるのは、男とも女とも、若者とも年寄りともつかない声。
しかし明確に人語を話すハスターに、取り囲む集団から驚愕と動揺の声が上がった。
人間の側が邪悪言語を使って意思の疎通を図るのなら、まだ分かる。
それでも、ハスターがそれに耳を傾けるかどうか、意思を伝えたとて応じるかどうかは別の話だ。
そのはずなのに──絶対的に格上で、隔絶していて、同じ論理や価値観で話せるはずもなければ、力の一端を利用することすら難しい。呼びかけることすら烏滸がましい。
そういう存在のはずなのに、眼前に現れたそれは、人間の子供と目線を合わせるように頭を下げ、意を窺っている。
ハスターという存在を知っていればいるほどに、驚愕が強くなる光景だ。
「囚人、というと……」
「イタクァやアフーム・ザー、シアエガ、
君たち、という言葉が指すのは、アベルを含めた四人ではない。
外神だ。フィリップもそこに含まれる、というか、代表みたいな言い方をされているが。
しかしシアエガと言えば、どこぞの司祭が唯一神を殺すために使おうとしていた──宣教師会がそれに能うと見做して教えたもの。
そしてクトゥルフは、その居城たるルルイエが浮上すれば、地上の支配種が人間からゾス星系種へシフトするほど。
外神やフィリップには取るに足らないものでも、人類からすれば絶滅の原因になりうる。
「片っ端から見つけて潰していく……っていうのは、流石に間に合わないですよね? っていうか、流石に星外の旧支配者にも目をつけられそうですし」
「それ以前に、旧神と旧支配者の戦争が再び始まって、星が滅茶苦茶になるだろうね。まあ、この星の自己修復機能であれば、きっと一億年とかからず傷を癒せるだろうが」
星外の邪神は「人類がどうなるか」を語らなかった。
知ったことではないのか、推測の正確性に自信がないのか。……或いは、言うまでもないだけか。
「じゃあ、殺さない程度に……というか、看守業務に支障が出ない程度に。邪魔さえされなければいいので」
「……いや、少し待て。どうやら私も君も、些か逸り過ぎているようだ」
命令に、ハスターは即座には従わなかった。
暗雲の身体を持つ巨人は、するするとその体躯を縮小する。
やがて長身の人間ほどのサイズになったヴォルヴァドスは、ゆっくりと両手を上げた。
それは人類のボディ・ランゲージで言うところの、“降参”の身振りだった。
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