第626話
林冠付近の高い位置に上ると、木立や梢の合間から集落周辺の様子が垣間見えた。
一面雪景色で距離感は判然としないし、白色の中に埋もれている物も沢山あるのだろうが、森の外には小高い丘があるようだ。
街道からは森を挟んで反対側。つまり丘の向こうは、人の目も、エルフの目も届かない空間だ。
「いま集落の戦士たちは、お話した魔物狩りに出掛けていまして。カルト……人間の集団に強く拘っている者が残っております。話を聞くなり戦力にするなり、好きにお使いください」
リック翁は一つのツリーハウスの前で足を止め、その扉をノックしてエルフ語で呼びかけた。
家の中からバタバタと慌ただしい音が聞こえたあと、扉が内側から勢いよく開かれ、見た目は二十代前半の青年が出てきた。
エルフの例に漏れず非常に整った容貌は緊張に強張り、ぴしりと背筋を正し僅かに顎を上げた直立不動のまま、視線だけをこそっと動かしてフィリップたちを見る。
若葉のように鮮やかな緑色の双眸が、緊張から困惑へと移ろい揺れた。
『……この子がそうなのか、リックさん?』
『そうだ。首都を救った英雄の一人であり、魔剣を下賜された勇者。そして王女殿下のご友人だ。失礼のないように』
静かな、しかし釘を刺すように厳然とした言葉に、エルフの青年はいっそう背筋を伸ばす。
エルフ語で交わされた会話の内容はフィリップには分からなかったが、「
「あー……こんにちは、初めまして。私のお名前はアベルと言います。貴方のお名前はなんですか?」
青年は短詩でも諳んじるような調子で言った。
予めリック翁に教わっていたのだろう、そこそこ聞き取りやすい大陸共通語だ。
教科書みたいな文章だが、問題なく伝わる。
「……フィリップ・カーターです。こっちはカノン、それとアンテノーラ。パーティーメンバーのようなものだと思ってください」
「会えて嬉しいです。フィリップ……カーター、さん? ……よろしくお願いします。仲間の人たちも、会えて嬉しいです」
ガスマスクで口元を隠したカノンは目元だけで愛想笑いを浮かべる。或いは嘲笑かもしれない。
アンテノーラは昔を懐かしむように微笑を湛え、頷くように会釈した。彼女がもう少しフレンドリーな性格で、もう少し他人に興味があれば、「難しいですわよね、人語」なんて、過去の苦労を共有していたかもしれない。
「……」
握手を交わしつつ、フィリップは胡乱な顔でアベルを見つめる。
人語習いたてといった風情だが、果たして正確な情報提供は期待できるのかと。
人語や人間に深い造詣のあるリック翁に目を向けると、いつの間にか近くにいた別のエルフと何事か話していた。
……第三者の接近に、フィリップは全く気付いていなかった。
無警戒だったのもあるが、それ以上に気配が希薄だ。狩人か、集落の防備に残った戦士だろう。
地上から十メートル跳んできたのか、回廊から伸びる梯子を登ってきたのかは分からないが、流石はエルフと言ったところだ。
「申し訳ない、カーター様。村長と話がありますので、私は少し席を外します。何かありましたら、先ほどのツリーハウスにお越しください」
急ぎの用事なのか、リック翁は申し訳なさそうに頭を下げると、ぱたぱたと慌ただしく去っていく。
見た目は老人だが、やはり彼もエルフ。小走り程度のフォームで、フィリップの全力疾走くらいのスピードが出ていた。
そうして、信頼できる通訳が居なくなったわけだが。
「あー……私は人語を一か月学んでいます。あなたはエルフ語を話せますか? もしくは、簡単な人語を話せますか?」
「……少し待ってください」
アベルの口ぶりは機械的を通り越して虚ろとすら言える。
他言語を学んだことのないフィリップだが、一か月というのはあまりにも短く感じる。
率直に言って、彼の話している内容が、彼が伝えたい内容と一致しているかどうか不安なくらいに。
まあ別に、ハスターの投入を前提として考えるなら、事前情報の確度なんか大した問題ではないけれど──ハスターのカルトということもある。
信仰対象に会わせてやるのも癪だ。より楽しめる殺し方のために、正しい情報を持っておきたい。
「エルフ語の同時通訳が出来る人!」
手ぇ挙げて! と、フィリップは自分も手を挙げて示す。
アンテノーラは静かに頭を振ったが、甲殻に覆われた手が高々と、自信満々に掲げられた。
「申し訳ございません。貴方様の言葉を覚えるのに手一杯で、別の言葉までは」
「はい! はいはいっ! 私は出来ますよ!」
カノンは自信満々に進み出ると、こほんと咳払いを一つ。
彼女を作ったのは星外の存在であるミ=ゴだが、思考を司るパーツは人間ベース。加えて情報収集ツールとして「言葉」を使えるように設計されている。
とはいえ、この大陸で最も話者数の多い人語ではなく、マイナーなエルフ語まで使えるとは知らなかった。
ナイアーラトテップの調整、だろうか。
何にせよ、カノンは初めから人語を流暢に使えた。
ならばエルフ語も、とフィリップは簡単に納得した。何なら、「便利だなあ」と感心の目を向けたくらいだ。
『誰に向かってクチ聞いてんだ。跪け、首を垂れろ、玉体をその目に直接映すな。貴様如き劣等が──』
「……だって」
足元からぴょこりと現れたシルヴァがカノンの言葉を通訳するまでの、短い間だったが。
「……こっちのエルフ語話者はこの子だけです。ちょっと舌足らずだけど、どっちの意図も完璧に汲んでくれるから心配しないでください」
『ドライアドの幼体か! 精霊に好かれるなんて、心根がとっても綺麗なんだな!』
アベルの感動を、ヴィカリウス・システム幼体は何とも言えない顔で訳した。
それを聞いたフィリップも、同じくらい何とも言えない顔をしている。
『……ところで、あの子は大丈夫なのか?』
「気にしないでください。じゃれてるだけです」
アンテノーラに綺麗なオクトパス・ホールドを決められて悶絶しているカノンに、フィリップよりアベルの方が興味を持っていた。
いや、フィリップも笑っているし、内心では「なんだあの技」と興味津々なのだが、それはそれ。
いま重要なのは道化の演目ではなく、カルトの方だ。
「本題に入りましょう。カルト……不審な人間の集団について、いまある限りの情報をください」
『あぁ、分かった。そいつらは何百年か前から、あの高原の向こうに居着いててな──』
至極真面目な顔で話し始めたアベル。
しかし直後に、フィリップが慌てて止めた。
「ちょ、ちょっと待ってください。な、何百年……?」
『俺がまだ子供の頃だから詳しくは覚えてないが、4、500年ぐらいだ。別に、その時は俺たちに絡んでくることも無かったし、俺たちも高原を越えることはあまりなかったから、特に気にしてなかったんだ。精々、辺鄙なところに住んでる変なヒトが居るな、くらいで』
フィリップの困惑は平然と流された。
というか、アベルはフィリップが困惑していることに気付いていない。彼にとって、そして彼が語ろうとしている情報の中で、その時のことは重要ではないのだ。
『けど、この間……100年ぐらい前だったかな、偶々高原の方に行ってた俺の姉が、負傷したエルフを連れ帰ってきたんだ』
100年前を「この間」なんて適当に語る、推定500歳以上のエルフ。
流石に大雑把なのは時間感覚だけで、場所や人数といった情報は精度高くあってほしいが、ちょっと怖くもある。
この森は500年前からあったのか、なんて余分が、現実逃避気味に脳裏を過った。
『その
やけに熱の籠った、アベルの語り口調。
フィリップはそこに、何ら引っ掛かりを覚えなかった……わけではない。
言葉の意味を人語に訳して伝えるシルヴァが淡々としているのもあって、アベルはいっそう上機嫌に見えた。
しかし、彼の機嫌の良し悪しも、その理由も、今はどうでもいいことだ。
「ふぅん。その姫様と話せますか?」
『あぁ。実は、今は俺の奥さんなんだ。会いたいか?』
上機嫌で、期待に満ちた声。
胡乱な顔のシルヴァが訳した内容を聞いて、フィリップも同じ表情になった。
さぞかし自慢のお嫁さんなのだろうが、今はそんな話をしていないし、今でなくても至極どうでもいい。
いや、そもそもカルト狩りに対する温度感は、フィリップと彼で違う。
違って当然だ。そもそもエルフは、その暫定カルトを500年も放置している。
魔王の復活が百年周期だとして、魔物の活発化は五回あったはずだが、その全てにおいて。
確か今回は、死者が出たから漸く重い腰を上げ、人間などという弱小種族をわざわざ狩り立てる気になったのだったか。
カルトが居ると聞いて、寒空の下を馬車で一週間もかけて狩りに来たフィリップとは、モチベーションがまるで違う。
温度感も違って当然、ではあるのだが。
「はぁ……。うん、呼んでくれますか?」
惚気話とか始まったらどうしよう、と、フィリップは一抹の不安を感じていた。
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