第42話 ソウイチの戦い

 そこは暗い部屋だった。壁の上部に備えられた明かり取りの窓から月光が差し込んでくるが、それでもなお暗い。


 埃っぽく、すえた匂いがするのは普段から手入れがされていないせいだろう。


「ほらほら! 人質はおとなしくしてな!」

「いってーな! 静かにしているじゃねーか!」


 ソウイチは、笑いながら蹴りつけてくるエンパに反発して大声を上げた。


 どれだけ声を出しても第三者には聞こえないだろう。ソウイチが監禁されているのは、人通りのない倉庫だった。


 繁華街からは離れた大きな運河沿いに位置する倉庫が密集する区画で、さらに〈月猟会〉が所有している倉庫らしい。


 声を張り上げても外に届くはずはなかった。


「まだ元気があるじゃん。ま、ここは〈月猟会〉が監禁に使う倉庫だからね。助けなんて来ないよ。あ、十日前に殺した奴も、よくそこで胡坐をかいていたね」

「げっ⁉」


 慌ててソウイチが腰を浮かせて移動する。


「あははは! クルシェが死んだら、あんたも解放してやるってさ。五体満足で帰れるかは、あたしの機嫌次第だけどね。はははは!」


 エンパは最後に靴裏をソウイチに打ちつけると、高笑いしながら鉄製の重い扉を開けて出て行った。


 クルシェ達に配下の二人を殺されたのと、ここで見張りをさせられている鬱屈を晴らすためか、何度もソウイチを小突きにやってくる。


 機関銃を所持するエンパと、彼女以外の見張りがいるため、ソウイチも減らず口を返す以外に手立てがないのだった。


 ソウイチは冷たい壁に背を預けて虚空を睨んだ。


  外の様子は分からないが、ここに閉じ込められてから一両日が経っている。エンパの口振りでは、ソウイチの生命と引き換えにクルシェが〈月猟会〉に呼び出されているらしい。


 クルシェが出向いたところを、あの九紫美とハチロウの二人で仕留めるつもりなのだ。前夜目にした二人の実力を鑑みると、クルシェが二人を相手にして生き延びることは不可能だろう。


「クルシェ」


 ソウイチは、闇のなかに細身の少女の姿を描いて呟く。


〈別離にさよなら亭〉でソウイチとソナマナンを逃がすために、一人残った少女。深夜の公園で独り泣いていた少女。強さと冷徹さの裏に、脆さと温もりを隠した少女。

 このままクルシェを死なせたくはなかった。


「ソナマナン」


 ソウイチは、薄明かりに浮かぶ女性の面影を見た。


 ソナマナンの任務は標的を殺害することだ。ソウイチの身を守ることは仕事に含まれないのに、ソナマナンはソウイチの身代わりとなって傷ついた。


 ソナマナンは無事だろうか。ソウイチの脳裡には、血溜まりに倒れるソナマナンの映像がこびりついていた。


 クルシェとソナマナンが生命の危機にあるのに、自分は呑気にここで待っているだけでいいのか。


 いいや、俺は助けを待つお姫様じゃない!


 自分の身の危険など二の次だった。ここで二人を助けに行かなければ、ソウイチは『この力』を持つ意味が無い。


『この力』を所有していることが発覚すれば、ソウイチは平穏な暮らしをしていくことはできないだろう。恐らくこの水華王国において『この力』を持つ人物は、禁忌の存在であるはずだ。


 故郷を出たのも『この力』で家族に迷惑がかかるのを恐れたから。

 ただの酒場だと思って働き始めた〈白鴉屋〉が暗殺の仲介をしており、スカイエの誘いに乗ってその手伝いを始めたのも、『この力』を隠すため。


 特異な能力を有する魔女のなかに混じれば、ソウイチの『この力』も目立たなくなるのではないかと考えたからだ。


 だが、クルシェとソナマナンを見捨ててまで自分の平穏を守るほど、俺は薄情でも、臆病でも、落ちぶれてもいない。


「うおお! おとこ、ソウイチ! 俺が顔だけの男じゃないってことを見せてやる!」


 彼が助けようとしている二人の女性が聞けば冷笑を漏らすような台詞を叫び、ソウイチは勢いよく立ち上がった。


 大股に扉に近づくと、取手を掴んで力任せに押し開ける。




 ……倉庫から出る直前、背後から轟音が響き、慌ててエンパは駆け戻った。


 広い倉庫の一角から細い通路が伸びており、その先の小部屋にソウイチが監禁されている。通路に入ったエンパの両目が見開かれた。


 鉄で作られた重厚な扉が大きく歪んで開いている。しかも、扉が通路側の壁にめり込んでいるということは、内側から強烈な力を加えられたのだ。

 扉の前で見張りをしていた男は弾き飛ばされたらしく、床に倒れて失神していた。


 これらのことをなした張本人は、小部屋の入り口に佇んでいる。この状況からもソウイチしか考えられなかった。


「お、おい。お前、何をしやがった?」


 その場の指揮を任されているという矜持から、エンパが掠れる声で詰問する。


「……」


 ソウイチは、普段の騒々しさとは無縁の静謐を湛えた瞳でエンパを見返す。その超然とした姿に畏怖を抱いたエンパが、我知らず一歩退いた。


 異変を察知した構成員が集まり、総勢五人になるとエンパの気炎も戻ったようだ。


「いいか、そこを動くなよ! 動いたら……」


 その恫喝を歯牙にもかけず、ソウイチが小部屋から進み出てきた。


「いっ⁉ て、手前ら、撃て!」

「殺していいんで?」

「やっちまえ!」


 エンパの号令のもと、機関銃と拳銃が紅の光彩を散らして弾丸の群れを吐き出した。だが、鉛弾の驟雨を浴びても、ソウイチは微動だにせず佇立している。


 エンパの目が確かならば、弾丸はソウイチの肌に触れると、鋼鉄に当たったように潰れて弾かれている。悪夢のような光景に、エンパの顔が引きつった。


 その時間は長くは続かない。エンパの機関銃は二秒で弾を吐き尽くし、他の男達の銃撃も五秒ほどで止んだ。


 硝煙で灰色に染まる視界のなかで、黒影と化したソウイチの輪郭が立っている。衣服まで無傷であるその異様な姿を瞳に写した一同が戦慄の呻きを漏らした。


 この人数が発砲して外したとは考えられない。何より、ソウイチの身体が弾丸を弾くところを全員が目撃している。


 そのような異能を所有する存在と言えば、唯一つしかあり得なかった。


「男の〈魔女〉?」


 エンパの呟きは国家の創生に関わるものだった。


 この水華王朝の根幹は、初代王女が〈魔女〉であり、歴代女王が代々〈魔女〉であることに依存している。


 国家の歴代元首が女性である根拠はこの国の伝説で、この世界を創生した神々が全て女神であり、その能力を受け継ぐ〈魔女〉が全て女性であることだ。


 もしも、男にもこの異能を持つ者が存在するとすれば、女王の存在意義が根底から揺らぐことになる。

 王朝の成立から現在までの王室の歴史が否定されることになるのだ。


〈魔女〉の力を有する男など、存在してはいけないのだった。


 眼前にいるソウイチの存在の危険性を察知したエンパが叫びを上げる。


「こいつを生かしておいたら、あたし達も危なくなるかもしれない。殺せ!」


 一団は恐慌に駆られて、急いで弾丸を装填すると再び銃撃を開始した。


 無表情のソウイチは前進を続ける。


 ソウイチの魔力は〈逸脱〉だった。凡人から逸脱していくことで自身を強化していく能力。今のソウイチは、鋼鉄の扉を押し開けるほどの腕力と、銃弾を弾く強靭な肉体を手に入れたのだ。


 しかし、この魔力は逸脱していくだけで、元に戻ることは決してできない。

 ソウイチは、大切なものを容易に破壊してしまう膂力と、拳銃では死ねない身体のまま生きていくことを、決断したのだった。


 錯綜する朱線を弾いてソウイチは男の一人に肉薄すると、無造作に右掌を突き出した。突き飛ばされた男は水平に宙を走り、背中を壁に強打すると動かなくなる。


 ソウイチの反撃に驚倒したエンパ達の動作が鈍った。

 その隙を突いて、ソウイチが片腕を振り回して二人を弾き飛ばす。常軌を逸したソウイチの能力に恐れをなした一人が背を見せて逃走を図った。


 ソウイチはもう一人の男の胸倉を掴むと、走り去る男に向かって投げつけた。人形のように放り投げられた男は叫びを上げながらもう一人に命中し、二人揃って埃の溜まった床に這いつくばった。


「うわわ……!」


 あっという間に手勢を失ったエンパが弾丸を補充して発砲するが、難なく銃弾のなかを突き進むソウイチに完全に圧倒されている。


「いーっ⁉」


 エンパが最期にその瞳に移したものは、ソウイチの拳が自分に向かって振り抜かれる映像だった。

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