第38話 決戦へと
繁華街が夜空に放つ光の余波を受け、星は闇のなかに溶け込んで見えない。その希薄な夜の景色にあっても、存在を主張する半月が天空の暗幕に寄りかかっていた。
〈月猟会〉支部、若頭クオンの執務室。そこには三人の人影がある。
執務机の席にいるのは、〈月猟会〉若頭、クオンである。両手の指を机上で組み、視線をそこに茫漠と投げている。
部屋の中央に据えられた客人用の長椅子に腰かけているのは、非凡な剣の使い手である〈花散らしのハチロウ〉だ。
愛用の長脇差は邪魔にならぬように腰から外して胸に抱いている。
クオンの影のように彼の背後に佇むのは、クルシェにとって大事な三人の人物を害した女性。〈影踏み〉の二つ名を持つ九紫美であった。
「さて、こちらの要求通りに来るかな、クルシェは」
話題の口火を切ったのはクオンだ。
「来ると思うわ。あの娘が、昨夜は身を呈して逃がそうとした男ですもの」
応じる九紫美の声音は常の如く静かだ。クルシェを相手に気負った様子が無いのは、自身の優位を確信しているのだろう。
「才媛とは言っても、未だ少女の身。臆して現れないことも有り得ると思うが」
ハチロウにしては、やや暗い声が放たれる。
「別に来なくてもいいのよ。ソウイチを殺すだけ。そうなれば、あの小娘は業界では死んだも同然。恐れることもないわ」
「どちらにしろ、クルシェの敗北は決まったようなものか。ソウイチは、まだエンパに見張らせているのか?」
「ええ、あの小娘が監禁場所を特定して、直接助けに行くとも限らないから」
口を閉ざした九紫美に代わって言葉を紡ぐのはハチロウだった。
「エンパの奴、ウィロウとコホシュが殺されたもので呪詛ばかり喚いているからな。いなくて丁度いいくらいだ」
「エンパも叔父の配下だし、遠ざけるに越したことはないな。あの二人が死んでは利用価値もないのだから」
「結局、俺と影嬢しか残らんか」
ハチロウの一言でその場に沈黙が落ちた。
クルシェに対する優位は揺るがないが、さよなら亭に詰めていたクオンの数少ない手勢を失ったのは痛手であった。
ウィロウとコホシュが敗死したことで価値の無くなったエンパを切り捨てるとすれば、クオンに残された戦力は九紫美とハチロウしかいない。
若頭と呼ばれる地位に就いているだけあってクオンの部下も少ないわけではないが、急激に広がった縄張りを維持するために人員を割く必要がある。
クルシェ達が与えた損害は、クオンにとって大きなものであったのだ。その分、九紫美のクルシェに対する憎悪も深いと見えた。
「何のこともないわ。私と旦那が揃えば、この街で負けることもないもの。そうでしょう?」
九紫美の言葉を請け負うようにハチロウは立ち上がった。
「そうだな。……それでは、俺は少々出てくる」
「旦那、どこへ?」
「先ほども言ったが、あのお嬢ちゃんが逃げたり、小僧の監禁場所に向かったりすることも考えられるからな。俺としてはここで待つよりも、こちらから出向いて殺す方が得策と思っているだけだ」
ハチロウが背を見せて扉に向かうと、クオンが呼び止めた。
「ハチロウ、できればここにいてほしいのだが」
歩みを止めて半面を振り向かせたハチロウの瞳に凄味があった。意外な思いで九紫美がクオンに取り成す。
「クオン、旦那ならクルシェに万が一だって後れをとるはずないわ」
「……分かった。だが、俺の部下を五人連れていってくれ。足や連絡用にな」
普段ならばそのような要請をしないクオンが見張りを意図しているのは明らかであった。
「連れて行くのは断るが、勝手についてくるなら気に留めん」
そう言ってハチロウは退室していった。一時、険悪になりかけた空気に驚いたようだった九紫美がクオンに顔を向ける。
「旦那の身を案じているの? あんな小娘に負けるわけないわよ」
「いや……。俺の勘でしかないが、もしかしたら、ハチロウは……」
その先は口中で噛み潰したクオンが窓を向いて押し黙る。九紫美はその背中に怪訝な視線を注いでいた。
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