断章 あなたがいない間に
その少女がいつも小路の路端に座っていることに少年は気付いた。
伸び放題の黒髪が背中を覆っていて、珍奇なのは前髪の一部だけが赤い色をしているところだ。
髪と対照的に白い肌をしており、それが他人の視覚に強く印象づけられる。
ただし、せっかくの可憐な顔立ちをその表情が損なっていた。世を拗ねたように自分以外のものを睨んでいて、しかも恨んでいるというよりは傲然と見下している風情がある。
興味をそそられた少年は、ついに意を決して話しかけてみた。
「こんにちは」
少年が声をかけると、少女は黙って見返すばかりで返事はなかった。その少年は挫けずに再度言葉を放つ。
「こんにちは!」
「うるさい」
やっと口を開いた少女の返答は素っ気なかった。
「君、いつもそこにいるよね。何で? 家は?」
単刀直入な質問に、さすがに少女は面食らったようだった。
少年は少女のことを年下と思っていたが、初めて近くで見ると九歳になった自分よりも年上のようだと少年は感じた。年下に見えたのは、少女がひどく痩せていて身体が小さかったからだろう。
「ねえ、君、何歳?」
「しつこいわね。ほら、あれを見なさい」
少女が指差した方向を見やった少年は、何ら変哲の無い景色が広がっているばかりであったので、少女に目を戻す。いつの間にか少女の姿は消えていた。
その小路は両側を壁面に挟まれていて、道の向こうまで隠れる場所は無い。
目を離した数秒で向こうまで行けるとは思えなかった。少年は小首を傾げてその日は諦めた。
翌日、別の路地で両足を抱えて座り込む少女を見つけた少年は、懲りずにまた話しかけていた。
「やあ。昨日はどうしたの?」
「あんた、また来たの」
少女は呆れたように言ったが、二日続けて顔を見せた少年に多少は警戒心を解いたようだった。
「俺はクオン。君の名前は?」
「知らない」
「じゃあ、『お前』ね」
「……九紫美よ」
クオンは屈託なく笑った。その害意の無い様子に少女、九紫美は毒気を抜かれたようにその顔を見つめる。
「九紫美はいつも道端にいるよね。どうしてさ」
「家に帰りたくないから」
九紫美が訥々と語る。九紫美の父親は警察官だったが、九紫美が三歳の頃に犯罪組織の摘発をしようとして殺害されたという。それからは母親が一人で九紫美を育てていた。
「どうして帰りたくないの。お母さんが悪いの」
「ううん。お母さんは優しかったわ。でも、この前首を吊って死んじゃったから、怖いもの」
「それでずっと外にいたんだ。大変だったね」
「あんた……、クオンは何で私に話しかけたの」
クオンは昂然と胸を張って応じる。
「この辺はもうすぐ俺の縄張りになるからね。君みたいな子を放っておけないのさ」
「クオン、〈月猟会〉の子なの?」
「うん。俺の親父は〈月猟会〉の会長だったんだ。敵に狙われてもう死んだけど」
「……ごめん」
「いいよ。お互い様だろ」
あっけらかんとしたクオンの態度に九紫美が黙ったとき、間の抜けた音が鳴った。九紫美が顔を赤くして俯いたのを見て、クオンが明るい声を出す。
「腹減ったなあ。一緒にご飯食べに行こう。金ならあるんだ」
クオンはそう言って数枚の紙幣を取り出した。
「子どもがそんなの持っていたらいけないのよ」
「俺をそこら辺の子どもと同じにしちゃダメさ。さ、行こう」
クオンが手を伸ばして九紫美の手を掴んだ。
魔女である九紫美はその手を擦り抜けることも簡単だったが、彼女は引っ張られるがままにクオンの後についていった。
その日から二人は毎日会うようになった。その生い立ちのせいで心を許す相手がいなかった九紫美が初めて心を開いたのがクオンだった。
二人だけの時間を重ねるに従い、交わす会話の内容も深みを増している。あるとき、クオンは自身の野望を九紫美に語ってみせた。
「今は叔父さんが代わりをしてくれているけど、俺が〈月猟会〉の会長を継いだら、この街を全部支配するんだ」
「偉くなりたいの?」
「違うよ。敵がいるから争いが起きて人が死ぬんだ。俺の親父みたいに。でも、俺がこの街を支配して敵がいなくなれば、争いはなくなるだろ」
「へえー。確かに、そうね」
「九紫美のお父さんみたいに巻き込まれて死ぬ人もいなくなるさ」
「……そうね!」
この頃から、九紫美にとってクオンが友人以上の存在になっていったようだった。
そして九紫美が、このカナシアを震撼させた〈悪魔の降りた一夜〉事件を引き起こしたのは、二人が出会って半年後のことだった。
クオンの援助もあって九紫美の髪には艶が出てきて、身体も年頃の少女らしくなっていた。その日は九紫美が待っていてもクオンは現れなかった。今までは用事があって会えないことがあっても、クオンは前もって教えてくれていたのだ。
何となく不吉な予感がしながら九紫美はその日を過ごし、ついにクオンは現れなかった。次の日も夕刻まで待ってみたが、クオンが姿を見せることは無い。
九紫美は道端で足を抱えて不安に駆られていた。何か理由があってクオンは九紫美に会いたくないのだろうか。それともクオンの身に異変が起きたのだろうか。
昨日から九紫美の胸中はクオンのことしか考えられなくなっている。それほどまでに自分のなかでクオンの存在が大きくなっていたのかと、九紫美が驚くほどだった。
半年前は一人でいることなど苦ではなかった。だが、クオンと出会った今は、彼無しで時を過ごすことは耐え難い。
クオンが自分のことを嫌いになったのならば、仕方がない。ただ、それをクオンの口から聞きたかった。
九紫美は情動に衝き動かされて〈月猟会〉の事務所へと向かった。少女にしては肝の据わった九紫美も、柄の悪い男達が出入りする建物を前にして怖気づいていた。
しかし、そこから漏れ聞こえた会話に血相を変える。
「クオン坊ちゃんの居場所は分かったか?」
「まだだ。〈
「とにかく、クオン坊ちゃんを探すことが先決だ。行くぞ!」
道に佇む少女に目もくれず男達が走り出て行った。
九紫美は〈極峰会〉という名前に聞き覚えがある。以前、クオンが〈月猟会〉と縄張り争いをしている組織があると言っていた。
その配下である酒場の場所も聞いている。
九紫美はその酒場へと走った。酒場の裏口にいる男の胸へと、途中で手に入れた包丁を突き込んで殺害し、屋内へと侵入した。
酒場にいる〈極峰会〉の構成員は見慣れぬ少女の姿を見て摘まみだそうとしたが、〈逆照らし〉の魔力を行使する九紫美に触れることすらできず、少女一人を相手に死体が増えるだけだった。
その店の用心棒らしき男を殺して九紫美が拳銃を手に入れたときから、悪夢の夜が幕を開けた。
拳銃を突きつけて情報を引き出し、不要になったら皆殺しにすることを繰り返して拠点を移動すること三回。九紫美は〈極峰会〉の本部に踏み込んでいた。
弾切れになった拳銃を捨てて新しい拳銃と取り換えて殺害し続け、ついに九紫美は〈極峰会〉の構成員の大半を葬った。
その総数四十二名を一夜にして殺害したのは、この街で彼女だけだった。
暗い小部屋に閉じ込められているクオンを発見したとき、安心したのは彼よりも九紫美の方だったかもしれない。
「九紫美、助けに来てくれたの」
憔悴していたが、しっかりした声でクオンは言った。その姿を見て、九紫美は抑えていた涙が零れて頬を濡らしているのに気づく。
「クオン。私は、あなたのために戦うわ。あなたと一緒に争いの無い街を作る手助けをさせて」
「九紫美、どうしたのさ。今までの君とは違うみたい。いつの間に……?」
「考えたの。あなたがいない
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