第33話 闇のなかから

 ソウイチとソナマナンは夜のなかを敗走していた。


 ソウイチの負傷は路地裏で応急処置を施したが、包帯はすぐさま深紅色に滲む。出血量を考えると病院に向かう必要があった。


 ただし、この辺はまだ〈月猟会〉の縄張りであるため、人気の多い通りを避けて移動しなければならない。


「ソウイチ、もう少しだから頑張るのよ。しっかり歩いて、ほら」

「ああ」


 ソナマナンが急かしているのは、早くこの地区を離れたいということもあったが、出血のせいか反応の鈍いソウイチの意識を繋ぎ止めるのも理由だった。


「クルシェは大丈夫かな」

「きっと無事よ。あの暗闇なら逃げるのは容易なこと」

「そうだといいけど」

「ほらほら、自分の心配もしてちょうだい。私達だってまだ安全なわけではないのだから」


 ソウイチは頷いてソナマナンの後に続く。


 二人は人通りの無い路地を選んで歩いた。人目が少ないと言っても拳銃を持ち歩くわけにはいかず、ソナマナンは拳銃を手にしていない。


 ソナマナンは周囲を警戒しながら思考を紡いでいる。


 今夜の戦いは、結果として自分達の敗北だろう。ウィロウやコホシュといった〈月猟会〉の貴重な戦力を削ぐことはできたが、目的は果たせなかった。


〈巡回裁判所〉を排除した後、今夜の一件があったことで〈月猟会〉は自分達を完全に敵だと認識したろう。これからは先方から攻撃を仕掛けてくるに違いない。


 後手に回る前に決着をつけたかったが、それが失敗した今となっては絶望的な状況であることは疑い無い。


 九紫美の魔力を目の当たりにし、クルシェやソナマナンでは勝つことは到底覚束ないことが判明した。もはや自分達の死は確定したようなものだ。


 生き延びるためには逃げるしか道はない。この街は嫌いではなかったが、ここらが潮時だろう。街どころか王国から出た方がよい。

 クルシェやソウイチはどうだか知らないが、ソナマナンはこの街や名声に固執するつもりはないのだ。


 ま、ソウイチを病院に送り届けてから、ゆっくり支度することにしましょ。


 ソナマナンはそう結論づけると、ソウイチへと振り向いた。


「どう? 体調は」

「血が止まらないせいか、疲れちゃったよ」

「そう。私、決して、あなたのことは忘れないわ」

「何つー不吉なことを……」


 ソナマナンは微笑している。逃亡することを決めて気持ちに余裕が生じたのだ。

 それが油断に繋がった。背後からソウイチに突きつけられている拳銃に気付いたとき、ソナマナンに対応する猶予はなかった。


「ソウイチ!」


 ソナマナンがソウイチを突き飛ばした直後、拳銃が火を噴いて暗闇を一瞬だけ白昼の明るさに染め上げる。


 俯いたソナマナンの腹部から鮮血が零れ、冷えた路面に深紅の花弁を咲かせた。


 ソウイチが咄嗟にソナマナンを支えようとするが、ソナマナンが掌を上げて近寄るなという仕草をして彼を押し留めた。外傷によって血を流したということは、ソナマナンにとっては重大な意味を持つ。


 続けざまに放たれた銃弾がソナマナンの左胸を貫通。さらに右脇腹が弾丸に食い破られる。たたらを踏んだソナマナンは叫びを出すこともなく仰向けに倒れた。ソナマナンが咲かせた花は大輪になり、夜闇に白い湯気が立ち上る。


「その女に近寄らない方がいいことよ」


 ソウイチは動かないソナマナンを凝然と見詰めていたが、不意に九紫美を振り仰いだ面に激情が溢れていた。


「てめー! よくもソナマナンを!」


 ソウイチは雄叫びを発して九紫美に殴りかかる。九紫美にしてみればどうということもないはずだった。


 九紫美は、思いっきり振り抜かれたソウイチの拳を避けていた。


 それに何より驚いたのは九紫美自身だ。自分の行動を信じられないように、勢い余って前につんのめっているソウイチの横顔を見やる。


 ソウイチの拳を恐れたのは、間違いなく彼の気迫に気圧されたからに相違無い。


 小僧のくせに!


 半分以上は自分へ向けた怒りに満ちた形相で九紫美はソウイチを睨んだ。


「静かになさい! この辺はもうウチの縄張りシマじゃないから、まだ殺しはしないわ」

「どうせ殺すんだろ! だったら!」


 九紫美が躊躇なく発砲する。右腕の肉を削がれたソウイチが痛みによって口を閉ざした。


「あなたみたいな雑魚、わざわざ殺すこともないわ。生命だけは助けてあげてもいいのよ」


 素直に安堵できないソウイチは、不審の糸を視線に絡ませて九紫美を見返す。


「あのクルシェとかいう小娘を殺すための餌にしてからね」


 九紫美から浴びせかけられた言葉が、ソウイチの全身を冷たく押し包んだ。


 ソウイチが抵抗できずに九紫美に連れ去られた後に残されたのは、血溜まりに倒れるソナマナンだけだった。


 ふと、ソナマナンの指先が僅かに動いた。


 薄目を開いたソナマナンはゆっくりと手を懐に入れる。その白い手が取りだしたのは携帯電話だった。荒い息を口唇から押し出しながら、力を振り絞ってソナマナンは携帯電話を操作した。

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