第10話 ソウイチはやることにした。

「クルシェ、どこまで行くつもりなんだよ? さっきから歩きっぱなしだぞ」


 重くなった背嚢を背負って石畳を踏むことに早くも疲れたのか、やや不機嫌な声音でソウイチが問いかけた。


「目的地があって歩いているわけじゃないわ」

「おいおい、ちょっと待てよ!」


 それまで後ろを歩いていたソウイチが小走りになってクルシェに並んだ。先ほどまでの疲れを忘れたかのように大きく手を振って訴える。


「このまま当てもなく歩いたところで標的に出会えるわけないだろ? もうちょっと何か考えはないのかよ」


 ソウイチの抗議に応じたのは、悠然と二人に続いているソナマナンである。


「まあ、そう慌てるのはお止めなさいな、ソウイチ。クルシェだって、当てがないわけじゃないのよ」

「本当にー?」


 疑わし気にソウイチがソナマナンを振り返る。


「まあね。この入り組んだ街じゃあ、こっちから探すよりも有効な手段があるのよ。そうじゃなくて、クルシェ?」


 ソナマナンの言葉を受けてクルシェは沈黙をその返答の代わりとした。


 現在、クルシェ達がいるのは〈月猟会〉が縄張りとするカナシアの北部であるサクラノ街だ。ここは第三産業の発展した中規模地区だ。

 街自体の面積が狭く高い建物が密集している造りのため、人々は道路で互いに避け合いながら歩くこととなる。


 居住ではなく遊興のために存在する地区で、飲食店と小売店が軒を連ねる大通りや、歓楽街が近隣に有名だった。

 隣接する街々に車道と鉄道が伸び、入出する人間が昼夜を問わず絶えない。夜の無い街と評しても差し支えないだろう。


 そんな街でも昼過ぎの路地裏は人通りが空いており、三人が群衆の渦に飲まれて辟易することはなかった。

 天高く昇った太陽が直角に陽光を注ぎ、建築物の外壁に挟まれた路地も余すところなく照らされている。


 口数の少ないクルシェに代わってソナマナンが口唇を開く。


「いいこと、ソウイチ? このサクラノ街はカナシアでは新興の街なわけ。そうは言っても三十年は前の話だけれどね。その分、まだ確固たる地位を築いている組織がいないのよ」

「そのくらいは知ってるっすよ。で、その『確固たる地位』に一番近いのが〈月猟会〉なんだろ?」


 この街は繁華街が多いだけあって、犯罪組織同士による店舗の利権を巡る縄張り争いが止まない。酒食に次いで血生臭い事件が多発するのは、街の特徴でもあった。

 無論のこと、一般人には無関係の領域で繰り広げられる騒動だった。


 小規模の組織が乱立して混沌としていた街だが、ここ数ヶ月は〈月猟会〉の台頭で落ち着きつつある印象もある。


「そうよ。よく知っているじゃない」

「へへっ」


 教師に褒められた低学年男子のようにソウイチが笑う。その声を横から聞いて、学業もそれくらい頑張ればいいのにと、クルシェは思った。


「その〈月猟会〉の本拠はもう分かっているんだけれど、このまま三人で乗り込んだところで、ソウイチがハチの巣になるのが関の山」

「何で俺だけ……」

「で、私達が近づけないならもう一つの方法があるわ。向こうから来てもらうのよ」

「は?」


 それまで黙っていたクルシェが唐突に口を開く。


「クオンにとっての邪魔者が現れれば、きっと向こうから動き出すはずよ」

「邪魔者?」


 クルシェは振り向き、ひたとソウイチを見据えていた。


「そう。邪魔者」

「なるほど! で、具体的にはどうするんだ?」

「ソウイチがその辺の酒場や遊郭に入って、しらみつぶしに〈月猟会〉のことを聞き込みするの」

「それじゃあ、俺が〈月猟会〉に命を狙われちゃうだろうが!」

「『狙われちゃう』って言い方、何か可愛いわ」

「そんな場合じゃない!」


 握りこぶしを振って怒鳴るソウイチの剣幕に、さすがに数人の通行人が振り返った。ここで目立つのは芳しくないと、ソナマナンがソウイチを宥めにかかる。


「ま、落ち着きなさいな。ソウイチ。とにかく、何事かを成すに犠牲はつきものよ」

「落ち着けるか!」


 もはや言葉では問題は解決できないと知ったソナマナンが、行動で事態の打開を試みた。その身をソウイチの胸に預け、縋りつくように哀願する。


「とにかく囮になってほしいの。お、ね、が、い」

「嫌だあ!」


 あっさりと振り払われたソナマナンが悔しげに歯軋りしている。その噛み合わされた歯の隙間から、「私の魅力が通じないなんて……」という声が微かに漏れていた。


 このとき、何とクルシェがソナマナンを真似てソウイチの胸へと飛び込み、彼の身体に抱き着いた。


「お願い」


 まだ小娘のクルシェが色仕掛けをしたところで、ソナマナンを退けたソウイチが引っかかるはずもない。

 自分の二の舞を踏むだけだと、ソナマナンはほくそ笑んだ。


 実際、ソウイチはクルシェを払い除けようと、その両肩を掴んで引き離そうとした。だが、視線を落としたソウイチの目が見開かれ、その動きが止まる。


 そして、ソウイチの口から決然とした言葉が放たれた。


「やりましょう」


 ソナマナンが驚愕と敗北感に打ち震える。


「何でよ! 私のときはすぐに拒否したくせに! あ、ソウイチってば、さては少女愛好家ね⁉」


 激昂するソナマナンを尻目に、クルシェはソウイチから離れて歩き出した。ソウイチも静かに彼女に続く。


 ソウイチの手にいつの間にか三枚の紙幣が握らされていたことに、ソナマナンは気づいていないようだった。

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