ワンダーウォール

 いや、やはりというか、遅かった。

 あの男の裏をかくなど、世界中の誰にとっても困難極まるだろう。

「可愛い服装をしているな、エージェントA1。こっちで趣味に目覚めたか?」

 グレーのコートにボルサリーノ帽。海外出張中のサラリーマンというには油断が無さすぎる男は、開口一番僕にそう言った。

「またエーチさんのお知り合いですか。――ええ、確かにエーチさんは可愛いですよね」

「同じ意見が聞けて幸いだ、レディ」

「徳川エーコです」

 仮面で顔を隠した意味も無く、エーコは能天気に名乗りやがった。

「ということは、彼女が“跳び越えた少女アウトランナー”かね?」

 局長は僕に向かって、疑問でなく確認するよう言った。この僕と密に行動しているネコミミという時点でそういう結論に達するのは当然のことだったし、事実エーコは“跳び越えた少女”だ。

 まずい状況だ。僕はこちらに来てから初めて冷や汗をかいた。

「連絡が途絶えたC4の様子を見に来てみれば、とんだ偶然もあったものだ。なあ、A1」

「そういう局長の用事はなんです? 観光するには寂しい国でしょう」

 何を目的に局長とC4が東側で行動していたか。……いや、僕にはもうある程度予想ができていた。

「MI3の目的は『彼』の亡命だ。“跳び越えた少女”の捜索は、敵対組織をいぶりだすための保険に過ぎない」

 敵対組織など、初めから無かったというのに。

 僕にはそもそも、『全面核戦争の抑止』など期待されていなかった。

「『彼』とは何のことだ? 憶測でモノを言うなど君らしくも――っと、シラを切るのも楽ではないな」

 局長の背後。ノブの壊れた扉を開け、姿を現したものがいた。

「三三氏、あまり私から離れられると困ります」

「あれっ?」

 そいつを見て声を出したのは、エーコだった。彼女にとってはあまりに唐突だったことだろう。

「アルベルト先生じゃありませんか」

 ネオセキガハラ共生学園数学教師、酒井アルベルト。

 僕は予測する。彼の亡命こそが、僕を除いたMI3主力の目的であると。

「“跳び越えた少女”の『暗躍』により不発に終わった、『超高高度経由ミサイルシステム』。その要である姿勢制御プログラムを開発したのが、アルベルト先生だ」

 なるほど。彼が西側に亡命する意義は、MI3の総力を挙げるに足るものだ。事実上迎撃不可能なミサイルを最大の敵国だけが保持している状況など、どこの国だろうと血眼で打開したくもなる。

 アルベルトはふむ、と一息つき、

「三三氏、彼に我々の説明を?」

「いえ、アルベルト教授。彼は自力で調査、推理したのでしょう。馬鹿げたパンツなど被ってはいますが、A1の頭脳は局内でも随一です」

 僕は顔に張り付いたスケパンを捨てた。

 アルベルトはくたびれた無表情で、淡々と喋る。

「昔であれば研究室に誘っていたかもしれませんがね。生憎今は政府と成果物をやり取りするのも秘密裏です。高校教師という職業も、それはそれで気に入っていたのですが」

「それは光栄ですね。――ですが先生、あなたの研究がもたらすものは、冷戦状態の継続なんかじゃないでしょう」

 核搭載可能、迎撃不可能な兵器を睨み合う二国が持つという意味。それは相互確証破壊の維持に繋がらない。

「先にそいつをブチ込んだ方が戦争では有利になる。だったら、とっとと撃ってしまった得だ……と、上の人間はどっちの国でもそう考えるはずです」

 その結果、

「あなたの亡命が、全面核戦争のトリガーになる。――局長も、それを知ってこんなことを?」

「結局は関ケ原の大戦より続く互いの憎しみが勝った。そういうことだよ、A1。島津真朱議員をはじめ、多くの『文民』による強烈な後押しがあってね。軍の一部である我々としては、国家の方針を違えようも無いということだ」

「そんな理由で……!」

 西側の衆愚政治もケモミミ嫌悪も知ったことか。こいつは、必要悪ですらない。

 それでも、

「さて、“跳び越えた少女”が見つかったのなら、君の任務もあと少しだ。我々とともに祖国へと帰るぞ、A1。ずいぶんと手間取り紆余曲折あったようだが、なに、成功してしまえば咎め立てはすまい」

 MI3の一員である僕は、従うことが正しいのだろう。エーコを当局に引き渡し、それで僕の任務は完了だ。上官である局長の命令は絶対なのだ。

 僕は――

「ほう、上官に銃を向けるか。それほどまでに信用されていなかったとはな」

「僕が国や組織を信用したことなど、一度もありません」

「スパイとしては満点の解答だ、A1」

 僕と局長は互いに銃を向け合っていた。――僕は、組織を裏切った。

「徳川エーコを引き渡せ」

 古めかしいリボルバー拳銃を構えた三三が、冷たく言い放った。

「断る」

 僕は短く返す。

 冗談じゃない。そんな思考停止で、そんなくだらない理由で、徳川エーコを西側に渡せるものか。

「“跳び越えた少女”の真相は今更盤面に影響を与えるものでもないが、確保できるというなら私はそうする」

「大した真相じゃありません。諦めた方が得ですよ、局長」

「それを決めるのは君じゃない」

 押し問答を続けつつも、僕らは互いの腹を探り合っていた。

 抜き打ちなら、反射速度の分僕が強い……はずだ。局長がこのまま退いてくれるならば良し。さもなくば……

「ッ!?」

 構えた銃を先に引っ込めたのは、僕だった。

「ぐわっぷ!?」

 僕はエーコの襟首を掴み、音を立てずに飛び退いた。

 さっきまで僕の右手があった場所を何かが通り抜け、チィンと、跳弾の音が響く。

 狙撃されたのだ。ボロボロになったカーテンの隙間、一センチも無いような空間から僕を捉え、銃を持つ手を撃ち抜こうとした。

 異常な腕の狙撃手だ。こいつはまさか、

「エージェントM2の狙撃まで躱すか。やはり優秀な狗だ。手を噛まれるには惜しかったが……」

 エージェントM2。MI3でも最強と謳われる射撃の達人だ。正体の露見した爆弾魔よりも、余程手強い。

 局長は僕に背中を見せ、ついでにケツ丸出しで気絶したC4を担ぎ、アルベルトと去っていく。僕が彼を撃てば、次の瞬間にはM2の弾丸が僕を貫くだろう。サイレンサー付きとはいえ、発砲音がしないわけではない。ガラス窓とカーテンの向こうから位置を気取られれば、そこで終わる。

「君の処分は追って沙汰を出す。世界のどこに逃げても無駄だぞ、A1。知っての通り、MI3(われわれ)からは逃げられない」

 立ち去る三人に、僕は何も言えなかった。

 外に出るのも危険だ。僕一人ならともかく、エーコまで守り抜く自信はない。

 ひとまずは窓の影に隠れてやり過ごすしかないか。

「エーコさんはなるべく音を立てないようじっとして――って何やってんだァ!?」

 緊迫状態のぼくが叫ぶほどに、エーコは――アレだった。

「へ? なんですか?」

 あろうことか、局長たちが去った途端、エーコは踊り始めた。

「いやぁ、さっきのステージが忘れられなくて。アイドルってホントいいものですよね、エーチさん」

「さっきの僕らの会話聞いてた!? 派手に動くと狙撃されるからじっとしていようって話じゃない!?」

「え、そうなんですか? 難しい話だったので、途中からロリポップスのこと考えてました」

 やはり、徳川エーコは馬鹿だった。そしてこんな常套句がある。

『馬鹿は死ななきゃ治らない』

 狙撃された。

 エーコに向かい、弾丸という馬鹿治療薬が迫る。

 それを、

「あら?」

 エーコは回避した。雪の上でも踊り切った彼女が、奇跡的にバランスを崩し。

 で、どうやってバランスを崩したのかといえば、

「誰だよ、こんな場所にバナナ置いたやつ!?」

 バナナで滑って、エーコは派手にコケた。

 いや、コケたというか、空中で縦回転しながら窓に向かい、

「た、縦型四回転半……!」

 僕はその様子を、茫然と見ているしかなかった。

 徳川エーコは窓ガラスを割り、ビルの外に身を投げ出す。狙撃の危険も顧みず、彼女を掴もうとした僕の努力も無駄に終わった。

 エーコは黒いセダンの天井に落下し、そのまま群がる市民をどかすクラクションとともに去っていった。

 黒塗りスパイセダンの運転手は、誰あろう石田三三。

 つまり、結局僕必死の抵抗と葛藤にもかかわらず、徳川エーコは西側へ拉致された。

「ふざけんなアアアッ!!」

 馬鹿馬鹿しいにもほどがある理不尽に、僕は叫んだ。

 叫んだところで無駄なことは理解している。こうなればあの車を追跡するしかない。越境される前に、というか局長が車の天井に乗った変な荷物に気づく前に取り戻さないと。

 僕は走り出す。――いや、分ってる。もう無駄だ。もう遅すぎる。彼女の『奇跡』にばかりは、僕も勝てない。

 それでも……!

 と、覚悟を決めた僕の前に、一人のタヌキミミ女性が現れた。

「あなたが、エージェントA1だったんですね」

「徳川ミッコ……大統領」

 何をしに現れた? いや、そもそも……

「『あやしい悪魔』の伴奏は、閣下の仕業ですか」

 彼女はヴァイオリンケースを抱えていた。

 いや、普通に考えて異常事態だ。東側の最高権力者が、敵国の音楽を知っていて、あまつさえ演奏したなどと。

 僕は無謀な追跡を続けるか、ここで大統領から情報を得るかで迷い……後者を選択した。

 ミッコ大統領は僕の問いに、立場相応の泰然さで答える。

「私もロリポップスは好きですよ。……友達が作った歌なので」

「友達?」

 ロリポップスのプロデューサーは正体不明。西側の音楽業界はおろか、国内の裏情報は大概耳に入るはずの僕ですら把握していない。

 とはいえ、今は謎に包まれたプロデューサーと共和国大統領の関係を考察している場合ではないだろう。

「閣下、あのとき酒井アルベルトとコンタクトを取っていた黒服は、あなたの側近じゃないですか?」

 第四ステージで彼女の隣に侍っていたタヌキミミの男。夜の学園で、僕は彼を目撃していた。

「『ワンダーウォール』とはなんです? 閣下は……いえ、あなたとMI3は実際のところ何を企んでいる?」

 少し考えれば分かることだ。

 公共の場での暗殺未遂。それも民間に出回っていない高性能プラスチック爆弾による犯行。疑惑の矛先はどこに向かうか。

 そして、国家が戦争状態へと移行した場合、最高指導者の地位はどうなるか。被害者たる彼女への市民感情と支持はどうなるか。

「国家非常事態宣言の発令により、あなたの権力はほとんど無制限のものとなるでしょう。あの、互いに仕組まれた爆殺未遂によって」

 思えば大統領の反応は早過ぎた。ステージの上でいきなり叫んだ参加者に対する反応とは思えないほどに。

 全ては八百長。C4の目的が、そもそも大統領暗殺ではなく逆だったとすれば。

 ああ、辻褄が合ってきた。

「何をする気なんですか、ミッコ大統領」

 僕の、繰り返すような問いに大統領は、

「好きなことをやっているだけです。アルベルト先生も私も、みんな、好きなことをやっているだけ」

 三十を超えてなお怜悧な美貌に、少女のような微笑を浮かべてそう言った。

 その様子はどこか、同じ姓を持つあのネコミミ少女にも似ている。――立場というものを顧みず夢を追う、破滅的なところも含めて。

「さてA1君、“ネイキッド”からメッセージを預かっています。『ワンダーウォール』については、彼に訊くといいでしょう」

「……」

 西側、東側、MI3、徳川ミッコ、『ワンダーウォール』、“ネイキッド”――蠢く勢力が多すぎる。

“ネイキッド”との接触で、複雑に絡み合った糸は少しくらい解れるだろうか。


 ミッコとその側近たちもビルから去った。ここは彼女が封鎖したようだ。市民は入ってこないだろう。

 そして僕はテープレコーダーのスイッチを押した。

「久しぶりだな、エージェントA1」

 男とも女ともつかない、“ネイキッド”の声が再生される。

「『ワンダーウォール』について話がある。ネオセキガハラ共生学園の生徒会室に来い。私の要件はそれだけだ」

 そのメッセージは短かった。

「なおこのテープは自動的に消滅する」

「……」

 燃え尽きたテープの臭いを嗅ぎながら、僕は学園への――いや、エーコ奪還への一歩を踏み出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る