政治委員長

 スケパン仮面の謎も、“跳び越えた少女”の正体もつかめないまま、昼食休憩の時間になった。

 ヴァルヒコはしなやかで頑丈そうな背筋を伸ばし、午前の授業の疲れを解放する。

「んー……つまんねえ授業だったなぁ。お陰で腹が減って仕方ねえよ」

 大学教育を治めた僕にとっては、基礎的な内容過ぎてつまらない授業ではあった。しかし、リアル高校生のヴァルヒコは単に怠惰なだけだろう。

「共和国だと学校の昼食は配給制なんだっけ? 実は結構楽しみだったんだ」

 社交辞令ではなく、僕は本気でそう思っていた。ケモミミ美少女と同じ食事というだけで、涎が止まらない。

「そりゃ物珍しいとは思うけどよ」

 ヴァルヒコの歯切れは妙に悪い。まあ、西側でもこれは有名な話なのだが――

「腹は膨れるけど普通にマズいぞ、共和国のメシは。特に、この学校に限らず公営のケータリング屋――っつうか配給メシは終わってる」

 自由とは程遠い経済活動は競争の原理を駆逐し、公営企業の殿様商売をのさばらせた。前進が武家社会であったことを考えれば、言い得て妙である。

 さらに様々な要因が重なって、坂東共和国は世界的にメシマズで知られていた。

 妙なものを餌皿に乗せられた犬のような表情で、ヴァルヒコは祖国の現状を憂えている。

「まあいいや。食堂までは俺と行くだろ?」

 と思いきや、飼い主がリードを持ったときの犬のように耳を立て、僕を食堂まで誘うのだった。

「もちろん。不案内だからね」

「イヨッシャ! 女の子と食堂行くのなんていつぶりだっけかな!」

 よしよし。存分に喜ぶがいいヴァルヒコ君。さておき僕は男だが。

「じゃ、行くか」

「行こう」

「行こう」

 そういうことになった。



 食堂に着いた。

 なんかジャガイモの茹でたのと野菜の煮たのが出てきた。

 以上。



 と、これだけではあまりに寂しいので、もう少し視点を食堂に当てよう。

「たまには肉とか食いてえよなぁ」

 おそらくいつもと変わらぬふるさとの味を前に、ヴァルヒコは呟いた。

「ヒトミミどものトロい身体なんて欲しくもねえし、ケモミミ人に生まれたことに未練はねえけど、こいつだけはどうにもなぁ……」

 ケモミミの社会において、肉は貴重品だ。とても貴重だ。

 種族差が激しく同族意識が強いということ以外にも、ケモミミ文明の発展を長らく阻害してきた要因が一つある。ある意味、こちらが最大の要因だ。

 ケモミミ人は、動物に嫌われる。

 犬も猫も、馬や羊のような家畜も、原則ケモミミ人には懐かないし、飼養しようとしても難儀する。例外は、同じケモミミを持つ獣だけ。

 弓を持たせようが槍を持たせようが、徒歩ならばまずヒトミミ人には後れを取らないだろう。しかし歩兵として絶対的な適正を持っていても、騎馬の機動力や社会の強度がヒトミミ側の戦争力を底上げしてしまう。

 よってヒトミミ、ケモミミ間の支配領域は有史以来一進一退を繰り返してきた。――今現在はかなりの部分、ヒトミミ有利だ。この坂東共和国を除くと、ケモミミ人主体の国家などアフリカや中東くらいにしか存在しない。

 多数派は合衆国のように差別法を撤廃して融和策を取っている国だが。

「エーコさんは……僕らとは別の席なんだね」

 さておき、僕は気になるネコミミ美少女に目を向けた。徳川エーコは、中二階のいかにもVIPといった感じの席で、妙に知的な生徒たちと食事を取っている。

 席こそ特別だが、内容は僕らと同じマズメシのようだ。平等と平均化は共和国のモットーであるからして、どんなお嬢様でもこの雑メシからは逃れられない。

「あっちは生徒会の特別席だな。俺たち一般生徒にゃ近づけねえよ」

「そういうルールになってるの?」

『特別席』とやらは共和国らしくない。僕はヴァルヒコに質問した。

「いや、暗黙の了解ってやつ。何代前からかは知らねえけど、なんとなーく生徒会の特等席になってんの。――あの葦毛のウマミミ男が生徒会長・本多マクシムだ」

 ヴァルヒコが目線で示したのは、いかにも知的な眼鏡の男子生徒。澄まし顔であのマズい昼食を口に運んでいる。

「ロップイヤーが書記の服部シルス。シカミミが会計の石川カゾエル。ハツカネズミミミが広報の松平ヒロメロ。で、あのクロネコミミの美人はご存じ政治委員長の徳川エーコ。生徒会の主要メンバーはこんなとこだな」

 他はともかく、エーコさんと一緒に食事とは羨ましい。ケモミミ美少女をあんな手の届かぬ高みで独占するなど、許されざる悪徳だ。

 僕は義憤に駆られた。

「呆れた暗黙の了解だ。許しておけん」

 暴君を思い付きでアサシンしようとする牧童のようなことを口走り、僕はマズメシのプレートを持って立ち上がった。

「おいエーチ! どこ行くんだよ!? ……俺のトーク、つまらなかった?」

 どこか悲しげに鳴くヴァルヒコは、それでも自分のプレートを持って僕に付いてきた。

 僕は中二階まで登り、生徒会の面々に開口一番言い放つ。

「ご一緒しても?」

 生徒会長と政治委員長以外はポカンと僕らを見つめていた。謎の闖入者の意図を計りかねているのだろう。――何を隠そう僕は敵国の工作員で、生徒を一人拉致しに来た。計れたら計れたらで機関に勧誘したい人材だな。

「いいとも、歓迎しよう。君は転校生の小早川エーチさんだね。後ろの男子は二年の井伊ヴァルヒコ君。二人とも、どうぞこの『特等席』に座りたまえ」

 葦毛の生徒会長はキザったらしい微笑で、僕に着席を促した。生徒全員の名前を憶えているのだろうか。

 末は政治家か官僚か。共和国での将来を約束されているだけあって、中々の器だ。

 他方、エーコさんは相変わらずの澄まし顔でマズメシを口に運んでいた。『スケパン仮面』なる怪ワードを囁いたのと同じ口には思えない。

「実のところ、だ」

 生徒会長・本多マクシムはどこか楽し気に僕らを受け入れている。

「君のような思い切った生徒がこの『特等席』に現れないかと、ずっと待っていたのさ。いつも同じメンバーだと、話題も流動性に欠けるからね」

「僕は『暗黙の了解』という単語が嫌いなのです。というより、非言語的に無制限の配慮が求められる共和国本国の気風が嫌いです。自分の権利や意見ははっきり主張するべきだ。違いますか?」

 生徒会メンバーは苦々しく僕を睨み、ヴァルヒコはとっととこの場から逃亡しようと愛想笑いを浮かべながら昼食を掻き込んでいる。

『体制に反感を持ついけ好かない帰国子女』のロール、こんなもんで大丈夫だろうか。

 僕とて別にマジで義憤に駆られてこんな場所に来たわけではない。

 まず第一にエーコさんを間近に見たかったから。第二に、反体制発言をして“跳び越えた少女”の出方を窺うため。

 僕は“跳び越えた少女”の正体は極端な民族主義者か極端な反体制派の二択だと思っている。絶滅戦争上等の核攻撃など正気の沙汰ではないし、そんなものに関わるならば思想は両極端だろう。

「実に忌憚の無い意見だ、エーチさん。実に。気分がいいほどに」

 本多マクシムは相変わらず鷹揚に僕の意見を聞き入れている。怒るでもなく、密告に戦々恐々とするでもなく。

 肝心のエーコはどうだ? 僕は最初から彼女をガン見していた。

 この中では、“跳び越えた少女”の条件に該当するのはエーコだけだ。長髪かつネコミミという条件に、完全に合致している。

「政治委員長としての意見はどうだね、エーコさん? さすがは帰国子女だ。党の方針とは真っ向から対立する思想のようだが」

 マクシムが沈黙のエーコに話を振った。

 政治委員長は党と学生の仲立ち役。機関紙の配布などを管理する他に、反体制思想を告発する権限も持っている。

 ある意味生徒会長や教師すら上回る、学園影の支配者が彼女だ。

 徳川エーコは、

「……」

 黙々とマズい昼食を取っていた。

「エーコさん?」

「なんでしょうか、マクシム会長」

 エーコは二度目でようやく、素晴らしく形のいい耳をピクリと動かし、マクシムの方を向いた。

「今のエーチさんの意見だが」

「ごめんなさい。聞いていませんでした」

 なるほど、と僕は内心膝を叩いた。『聞かなかったフリ』とは、この場では最も賢明な対応だ。

 ただの演技ではなく、エーコはこちらの会話に対し完全な無反応を貫いていた。まともな肝の座り方ではない。

 徳川エーコ。ますます興味が湧いてきた。

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