クローディア不在


リリク通りに面したギルド「不死鳥の冠」はこのところ、いつもにもまして閑古鳥が鳴いている。

もともと、所属の冒険者たちは独自のルートで直接、依頼を受けることも多く、また、「不死鳥の冠」も実質的なオーナーであるクローディア家とのつながりで受けた依頼を、冒険者に指名依頼で流すことが一般的で、いわゆる討伐や護衛やあるいは、もっと初心者用の「清掃」やら「配達」の依頼が書かれたボード自体がここには存在しない。


ここのギルマスはただいま、西域にご留学中である。

実質的に、サブマスターのミュラがここを仕切っているのだが、本日もつつがなく終了しそうだった。


閑古鳥がないているのは、表面上のことであって、「不死鳥の冠」所属のパーティで特別な指名依頼のないものは、「魔王宮」に出かけていた。

あそこは、素材の買い取りなどは現地で直接行ってくれる。あとから、各パーティの所属ギルドに分前が振り込まれる形になっているが、いまのところ支払いに問題はなさそうだった。そのための手数料もいくばくか発生しているが、もうじき魔王宮の管理が「ギウリーク聖帝国」に移管されればその手数料もなくなるわけで、収支はさらに改善されるだろう。

今日は一日、クローディア陛下も一度もお見えにならず、サンドイッチ用のパンも余っていた。夕食用に持って帰ろうかと、ミュラはなれた手付きでサンドイッチを作り始めた。

パンの厚さと同じくらいにハムを分厚く切るのが、ミュラ流である。そこにチーズや野菜、ピクルスを挟む。これを一口で食べるのは、いまのところ、親父殿とその娘、愛しいフィオリナくらいしかいない。


フィオリナ!


最初のときに誘ったのはどちらからだったのだろう。

フィオリナはその夜、かなりいらいらしていたように思う。

怒りも喜びも素直に発散する大公家の姫君は、悩みだけは深くしまいこむ。

フィオリナは一刻も早くハルト殿下を追いかけたい。長年の夢であったふたりで世界を冒険する夢がかなったのだ。だが、目の前にあるのは、処理して置かなければならない問題の山積みだ。

とくに彼女を悩ませているのが、ミュラのことだった。


なにがミュラにとって一番良いことなのか。それがフィオリナにはわからない。

かつて、フィオリナはハルトに話したことがある。


“わたしに出会わなかったら彼女はどうなっていたのか”と。

自分に出会ってしまったことが、ミュラの運命を捻じ曲げた。それだけは確実だった。ならば少しでもよい方向へ。


「よい方向がどっちなのか」

ミュラのサンドイッチを肴に、ワインを飲みながら、切羽詰まった顔で、フィオリナは言ったのだ。

「先のわからないエルマート政権のグランドマスターをさせたら、もう後戻りできない。『不死鳥の冠』のギルドマスターだったら、クローディア公国の影響下で助けてやることも出来る。あるいは・・・ギルドの仕事から足を洗って、親元に戻るか。いまからなら、良い縁談もあるだろう。あるいは、魔道院か、西域の学校に留学するか。」

もっと時間はあるつもりだった。

と、フィオリナは自嘲するように言った。あの馬鹿王子が、いや、馬鹿はわたしか。


ミュラは思う。

もしも、もっともっと賢いものがいたならば、王位継承権をかけたゲームを命じられた時点で、クローディア公爵領の独立をチラつかせて、王から譲歩を引き出したのだろう。おそらく単独でもクローディアの白狼騎士団に相当する武力はグランダにはなかった。もちろん、実際に軍事行動となれば、グランダは北方諸国に、はては西域にも援助をもとめ、クローディア軍対グランダ・北方西域連合軍よいう形にもっていくだろうが。

“親父殿がいる時点でそうはいくものか。”

とミュラは考える。

ミュラは、おそらくフィオリナよりもルトよりも、クローディア公爵を正当に評価している。


歴史ある伯爵家の令嬢として育った彼女は、フィオリナとルトが、迷宮を攻略したり、竜と戦ってリしている間、伯爵家の場合によっては当主となるべく、教育を受けてきたのだ。

北方各国はもちろん、ランゴバルド、ギウリーク、ククルセウ連合国のなかでは、クローディア公爵の評価は高い。はたして「なにもしない」ことを国是のように半世紀をすごしてきたグランダと、クローディア公国が対峙した場合、はたしてどちらを支持するのか?

名目的には、クローディア公爵は反逆者という形になるのだから、形式的にはクローディア「公国」を非難する声明を出して中立がせいぜいだろう。

そして、外交がそこまで煮詰まれば、グランダには戦う力はない。


ルトが懸念したような、そしてフィオリナがそうしてやろうと思っていたような、軍勢が衝突するような大規模な戦いはない。戦火に燃え落ちる街ない。住む場所を失い、飢えて彷徨う人々などはいない。


ミュラは黙ってフィオリナにキスをした。

そこまではしたことがあったので、ちょっとびっくりしたようにしながらも、フィオリナもキスを返した。


あとは、なしくずし的に朝になったのだ。


はあ。

ミュラは、ため息をついた。フィオリナとそうなってみてはじめて思う。

毎晩をそうして過ごしてみてわかった。


こりゃ、ずっと一緒に暮らしてたら死ぬわ。




「不死鳥の冠」のドアがノックされた。

そんなことをする連中は、決まっている。


妄想にふけっていたミュラは顔をあげて「どうぞ」とだけ言った。


「『グリュプワーンの古代樹』のワーレフです。」

一回り小さくなったような老魔導師は、深く頭を下げた。かつてはグランドマスターに変わる組織「八極会」の一員として、グランダの冒険者ギルドを仕切っていた男は、むしろ畏怖するような目つきでミュラを見上げた。

「グランドマスター、ミュラさまにご提案の議があって、参上いたしました。」

「お聞きましょう。ほかならぬワーレフ殿のお話ですから。」

「はい。『魔王宮』第二層の休息ポイントを設けるという件ですが、ギウリークとの契約では、迷宮内部の休息場所の運営については規定がなく・・・」


ようするに自分たちに仕切らせろ、ということね。

ミュラは、ワーレフの顔を見つめながら話した。


フィオリナの悩みとは別に、世間はもうわたしをグランドマスターとみなして動き始めている。


大丈夫だから。

わたしはちゃんとやってみせるから。


愛しいフィオリナ。あなたはあなたの道を行きなさい。

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