エピローグ 青年、思いを馳せる。
あの対決から1週間が経過し、6月へと突入した。日を追うごとに気温が上昇し、湿度も最高潮。今現在も絶賛雨降り模様。
毎日朝の天気予報を見るだけで憂鬱になる時期だが、今現在自分より不幸な者はいないと思うくらいに公太は落ち込んでいた。
「くそが! 俺より幸せな奴家の鍵なくせ」
道行く人皆が自分を笑っている気がするのだ。
これだけ聞くとただの自意識過剰なのでは? で済みそうなものだが、彼の場合はそう笑い飛ばせるものでもないのが困りものである。
1週間前、彼は大衆の前で千尋に振られた。
てっきりあの戦いを通じて自分に惚れたのではと思い込んでいたあの時の自分をブン殴りたい。というか、あの頬の赤さは何だったのか。それとも鈍感系主人公の言うように日の差し込み加減でそう見えただけなのか。ツラい。
更に酷いことに、あの場面を録画していた何者かがYouTubeに投稿したのだ。そのせいで公太は“大衆の前でお嬢様に振られた男”として一躍有名になってしまったのだ。こんなことで有名になりたくはなかった。
「また溜息ついてる」
公太の態度を咎めるような物言いをするのは元凶とも言えるお嬢様こと、天月千尋。当然だが、その頬が染まっていることなどなく寧ろ呆れ返った表情だ。
「くそぅ……誰のせいだよ……」
そもそも告白していないのに振られるとは何事か。今まで振られた数はあの赤頭のバスケットマンとタメを張れるくらいだと自負しているが、こんな経験は初めてだ。
「花巻君、気持ちは分かりますが、まずは仕事に集中してください」
千尋と違って、優しく諭すように言う室井だが、冷静に考えれば周りを煽るような解説をしたこの人こそ諸悪の根源ではないのか?
色々と不満であるが、確かに仕事は仕事。私情を挟み込んではいけない。公太は目の前のノートパソコンの画面に広がる真っ新なワードファイルとの睨めっこを再開することにした。
*
1週間前の対決を終えた直後は公太は正直クビになることも覚悟していた。
社長に対してタメ口で啖呵を切ったのだ。
しかし、対決翌日に出た辞令の内容は予想に反するものだった。
【花巻公太、以上の社員を秘書課への異動を命ずる】
公太は【千尋ちゃんをパパのもとへ】というどこに出しても恥ずかしい名前のプロジェクトに参加していた。そもそもこのプロジェクトは好き勝手に暴れ回る千尋をどうにか自分の目に届く範囲に置いておきたい昭仁氏のニーズからくるものだった。千尋と本音を語り合った昭仁氏にとってこのプロジェクトは不要となったからには、そのために採用した公太の配置には困った筈。態度も話し方も粗暴な者など雇う必要などないと思っていた。それだけにこの辞令はかなり意外だった。
この辞令が出たと同時に昭仁氏から呼び出しを受けて公太は2人で彼と話をする機会を得た。
公太が内心ではかなり緊張しながら社長室に入ると昭仁氏は穏やかな表情を浮かべていた。
「まず、キミにはお礼を言いたい」
「お礼……ですか?」
「うむ、キミの言う通りだったよ。千尋との話し合いが私には必要だった。いや、千尋にとってもか」
千尋からはあの後も話をしたという報告をLINEで受けていたが、昭仁氏の表情から察するにお互いに本音を言い合えたことがうかがえる。
「昨日は何というか、久しぶりに満たされたような気分だったよ。こんな簡単なことなのにどうして気付かなかったんだろうな……」
お互いに話し合うこと――それは確かに簡単なことの様に思えるが、それを実際にできている例は案外多くない様にも思える気がしてならない。だが、公太が言わずともそんなこと大企業の社長である昭仁氏は分かっているだろう。
「そのきっかけをくれたキミには本当に感謝している。本当にありがとう」
昭仁氏は立ち上がり、公太に向けて深く頭を下げた。
「ちょ、ちょっと! 頭上げてください!」
自分の倍は生きている人に頭を下げられるのは何とも決まりが悪い。
「いや、これは私なりのケジメなんだ」
頭をゆっくりと上げた昭仁氏はニカッと笑う。
「いや、俺――僕の方こそ生意気なこと言いましたし……」
「もしかしてクビにされるとかでも思っていたのかね?」
「……ええ、まあ多少は……」
見栄を張った。多少はどころか十中八九そうなると思っていた。何なら昨晩は転職サイトを眺めたまである。そして、そこで千尋に振られたあの場面の動画がアップされているのに気が付き、不貞寝をしたのが昨晩のダイジェストである。
「クビになんかせんよ。私が見失っていた大切なことに気付かせてくれた。それに……」
昭仁氏は言葉を切ると、少し不服そうな表情を浮かべる。
「それに、千尋はキミのことをいたく気に入った様子でな。キミをクビにしたらそれこそ愛する娘に嫌われてしまうよ」
やっぱりこの男、親バカである。だがこちらこそ願ったり叶ったりだ。公太は深く頭を下げる。
「ありがとうございます」
「いや、本当に気にせんでくれ。あ、でもくれぐれも暴力沙汰だけは避けてくれよ?」
どうやら、友人の綾瀬父から因縁を聞かされたようだ。
「ヘヘッ、気をつけます」
「そうしたら、キミにお願いしたい仕事の具体的な話なんだが――」
「それがまさかまた千尋のお世話係なんてな……」
昭仁氏に命じられたのは千尋の将来設計のお手伝い。そして、秘書課の先輩である室井と二人三脚なのもそのままである。正直、対決前と殆ど変わっていない。変わったところといえば、昭仁氏に隠す必要がなくなったぐらい。
「ほら、文句言わないで手動かす!」
公太が真っ白なまま変化のない画面を前にボヤくと千尋からはピシャリとした叱責が飛んでくる。
今公太がやっているのは、千尋のライフプラン――最終的にどうしていくのか、そしてそこに行き着く為に何をしていくのかというスケジュールプランをワードファイルにまとめるという作業。しかし、こんなのまだ千尋自身が何も分かっていないというのに書けるわけがない。先程は仕事は仕事と割り切ったが、その決意は1分しか持たなかった。テスト前の学生以下のやる気である。
「なあ、もうめんどくさいから綾瀬と結婚でいいんじゃないか? アイツ将来性あるし、何ならお前のこと大事にしてくれるぞ? 連絡先教えるぞ?」
挙げ句の果てにはこの畜生発言である。当然千尋は大きく首を横に振って拒否の姿勢。
「目の前の仕事片付けたいがために人の将来決めないでよね」
「お前だって目の前の面倒事片づけるために、俺のこと振ったじゃん……」
そう公太がボヤくと千尋は目をパチクリ。そして、すぐにその目が期待に満ちた光で輝く。
「え、もしかして公太オッケーして欲しかったの?」
ずいっと距離を縮める千尋に公太は思わずその顔を至近距離で見てしまう。見た目だけは良いので、ついドキドキはしてしまう。
「んなわけないでしょーが。大勢の前でお前が振ったせいで俺一躍有名人になっちゃったんですけど? 昨日なんかコンビニ入った瞬間『キタ、振られ男(笑)』って店員同士でヒソヒソ話してるの聞こえてきて軽く泣いたからな? どーしてくれんの?」
「あー、YouTubeね。自分が振るのって外から見るとああ見えるんだと思うとちょっと恥ずかしかったね。私もこの前コンビニ行ったら『目の前で見ると可愛いー!』ってごく当たり前のこと言われたよ」
「なにこの格差……」
振られた側と振った側ではこんなものなのかもしれないが、公太はさらに落ち込んだ。ふん、どーせ俺は振られ男さ。
「まあまあ、花巻君元気出して下さいよ」
いつの間に用意したのかわざわざ公太の分のあったか〜いお茶を持ってきてくれた。それを公太の手元に置く際、
「ああ見えて千尋様、花巻君にはすごく感謝してると思いますよ。ずっと押さえていた自分を解放するきっかけをくれたんだから」
千尋に聞こえないように小さな声で労いの言葉を掛けてくれた。
千尋にとって身近な室井がそう言うってことはきっとそうなんだろう。自然と千尋の方へと目が行く。
「どうしたの、公太?急にニヤニヤしちゃって」
「んにゃ、なんでもない」
千尋ははて、と首を傾げ、室井に目を向けるが彼女も笑みを浮かべながら同じ様な仕草を千尋に向けてする。公太はそれには気付かないふりをして再び目の前の画面に目を向ける。
陰口は知ってしまったら傷付くが、日向口は知るとちょっとこそばゆい。そして、それは活力も与えてくれる。
「うしッ、頑張りますか」
公太は誰に言うわけでもなく、気合の一声をあげる。
仕事は面倒臭いことに変わりはないが、何だか今は気持ちがフワフワとしている。
最初は脅されて不本意ながらの仕事であった。いかにあの写真データを奪うかを考えていたが、そんな暇もないくらいにバタバタしていて、いつの間にか当初の目的を忘れていた。そしてそんな中で確かな達成感を得られたのだ。
全力で人生のレールを踏み外していることは分かっている。だが、この数週間頑張ったことは自分にとって得難い一部となっていることも間違いない。
「あ、晴れた。……ってあれ虹じゃない!?」
退屈そうにぼうっと外を眺めていた千尋が突如声を弾ませる。
そんな千尋の声に釣られて公太も室井も外を眺める。
分厚い雲の隙間から一筋の光が射し込んでおり、七色の橋が架かっていた。
〈了〉
パンピー君とお嬢様の虹色の日々 尻筋つい太 @a_12wata
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
近況ノート
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます