5章―③ 青年とお嬢様、超頑張る。

 程なくして、2人は待機所へと連れられた。

 するとハテナマークの付いたシルクハットにマスカレードマスクを身に付けた細身の男が現れる。……その姿を見ただけで今日何をするのか大体分かってしまったのは悲しいところだ。


 「初めまして。本日お二人の対決を仕切らせていただきます。私は鈴木――いえ、クイズマンです!」

 鈴木さんは自己紹介と共に盛大なネタバレをしてしまっている。だが武士の情けだ。何も気づいていないフリを継続しよう。


 「ふっふっふ、お二人とも何をやるか分からないのは不安ですよねぇ? それを自分が知っているというこの優越感たまらないなぁ」

 「……」うわあ、テンションたけぇ……うざってえ……。

 そんな白けた視線に気が付いた様子もないクイズマンは実に楽しそう。

 「これからお二人が入場を終えてから気になる対決の内容をお知らせ致します。入場は実況アナウンスで行いますのでしばしお待ちを」

 最早対決内容そのものは全く気にならないが、公太は後半の情報に思わず目を見開く。

 「え、そんなに本格的なの?」

 たしかに先程からテンションの高い女性の声が会場を盛り上げているが、一人の令嬢の結婚相手を決めるという極めて私的な対決にしては豪勢過ぎやしないだろうか? それともお金持ちっていつもこんな感じなのだろうか?

 恐らくこの場で最も貧乏な公太は首を傾げるほかない。


 「まあ、これは父上の意向だと思うよ。あの人こういうの好きだから」

 公太の質問に答えた綾瀬の表情は冷めている。

 「綾瀬、お前は千尋と結婚したいんだよな?」

 「……うん。それがどうした?」

 「父親の意向が気に入らないのに、その父親の力を借りてまで結婚したいのかって聞いてるんだよ」

 公太の言葉に綾瀬は考え込むように少し顔を俯かせる。

 「なるほど……確かにキミの言うことは一理あるな」

 「だろ? だから……」

 この戦い降りてくれ、と続けようとした公太の言葉を綾瀬はニヤリと不敵に笑いながら遮る。


 「僕は確かに父上のやや強引なやり方には疑問を覚えている。だけど、それが自分の手に入れたい物を手に入れる為に有効な手段ならば利用することに躊躇いはない」

 そう力強く宣言する綾瀬の表情に爽やかな性格の裏に潜む狡猾さが初めて見えた。

 「……そうか」

 「軽蔑した?」

 「いや、寧ろ好感を覚えたくらいだ。これで心置きなくお前を倒しにいける」

 「……ははッ、お手柔らかに」


 『レディーーース、エーンド、ジェントルメーーーン!』

 丁度良い会話の切れ目で校庭の方から、華やかな女性の声が聞こえてくる。

 『今回はお集まり頂き、ありがとうございます。私、実況を務めるFKR99の愛田奈々あいだななでーすッ!』


 誤解のないように予め伝えておくが、FKR99(フクロウナインティーナイン)は梟市出身のメンバー中心の梟市のご当地アイドルであるものの、今や日本中を熱狂させている乃木坂46や欅坂46とは一切関係ないし、幸いそこから訴えられてもいない。ついでに言うとメンバーは99人もいない。そんな何ともコメントしづらいアイドルグループに所属しているこの愛田奈々は天然キャラとして、おじ様から絶大な人気を、一部の女子達からは盛大に嫌われている駆け出しのアイドルである。


 『そして解説は……天月コーポレーション秘書課所属、室井沙耶香さんです!』

 「え」

 紹介されてペコリと頭を下げた女性はよく知る女性だった。気のせいでなければ愛田の時より歓声が多い。――あの人何やってんの?

 「愛田奈々へのオファーで思ってたより予算に余裕がなくなったらしいよ」

 怪訝な顔をしている公太に気が付いた綾瀬が耳打ちで教えてくれたが、そもそもこんな私情丸出しの催しにアイドルにオファーを出すことがおかしいのではないか。


 『皆様、室井沙耶香です。こういった場は不慣れなので、拙いところもあるかと思いますが、よろしくお願い致します』


 クールビューティーな室井の丁寧な挨拶から大人の女性の魅力が出ていたのか小学生男児の「うおおおッ」という熱狂的な声が聞こえてくる。


 『さーて、本日は天月家の令嬢である天月千尋様の花婿の座を2人の男でルールの下で対決し、争うというものになっております。室井さんは千尋様とは長い付き合いだとか。簡単に千尋様の魅力を語って頂けますでしょうか?』


 『ええ、そうですね。まず千尋様といえば、その愛くるしい容姿です。お人形……いえ、お人形より美しく、どことなく儚さを思わせる可憐なお姿をされております。黒い髪は絹を思わせるほどサラサラで、頭には天使の輪が出来ております。まあ、天使な千尋様の容姿に対してこれを言及するのは野暮かもしれませんね。そして、アーモンド型の瞳、整った鼻に、桜色の唇。これら全てが絶妙なバランスでございます。黄金比という言葉がありますが、千尋様の存在によってこの言葉の定義を考え直す必要があるのではと個人的には思っております。しかし、しかしですよ? この様な天使と同等、いやそれ以上の容姿をお持ちの千尋様の更なる魅力というと――』

 『あ、あの! とりあえず分かりました! 分かりましたから!』

 『でも、まだ千尋様のパーソナリティについて容姿しか語れてません。容姿についてもまだ1割程度しか……』

 『いえ、もう充分分かりましたから……』

 ――おお、すごい! 天然キャラの愛田奈々がすごくまともに見える!

 一見まともだが、その実千尋が絡んだ途端にぶっ飛び始める室井と愛田は案外バランスが取れているのかもしれない。自分がテンパっている時に自分以上にテンパっている人を見かけると途端に落ち着くあの現象を今愛田は味わっているのだろう。


 『さ、さて! そんな魅力的な千尋様を取り合う2人の花婿候補に入場して頂きましょう!』

 その瞬間、入場用のBGMが流れ始め、それと共に会場のボルテージが上がっていくのが分かる。それにしても本当にここまで盛り上げる必要があるのだろうか。

 『さあ、まずは赤コーナー! その甘いマスクと乙女にとって激甘な経済力! 更にその頭脳はIQ150! 高校時代は野球部でエースで4番! 最早私がこの人と結婚したい! あ〜や〜せ〜ゆ〜だ〜い〜!』

 愛田の己の願望丸出しの紹介と共に会場に現れた綾瀬は、会場中の女子小学生とその保護者や女性教諭が目をハートにして送る黄色い声援をその身に受けており、しっかり手を振り返している辺りはサービス精神が旺盛である。


 『いやあ、すごい人気ですね! 解説の室井さん、綾瀬様についてはどう思いますか?』

 既に綾瀬の魅力に陥落しつつあるであろう様子が伺える愛田の言葉に室井はそうですね、と言葉を挟む。

 『結婚の相手としては申し分ない方ですね。入場と共に彼のホームの雰囲気になりましたし、相手は非常にやり辛いでしょう』


 『ありがとうございます。そうしたら、続いては青コーナー!』

 その呼び掛けと共に公太は自身の胸の高鳴りを感じる。いくらおかしな対決とはいえ、選手入場があると如何にもプロのアスリートみたいでワクワクするではないか。公太は駆け出すべく、気持ち足に力を込める。


 『青コーナー。花巻公太(笑)。――はい、早く来てください』

 「…………」――なんか温度差激しくない? しかも名前の呼び方に嘲笑が混じっていたよね? 何なら俺達初対面だよね?

 少し待っても訂正される気配がないので、公太はトボトボと走って、登場。

 流石にブーイングが起こる様な悲惨なことにはならなかったが、会場中からの「誰アイツ?」という視線が痛い。同情めいた疎らの拍手も辛い。


 『えーと、そんじゃ一応花巻公太についても室井さん何かありますか?』

 明らかに綾瀬の時よりやる気のない愛田。しかも呼び捨て。話を向けられた室井も苦笑いである。そういうところだぞ、新人アイドル!

 『そうですね。私は立場上、何度か一緒に仕事をしたことがありますが、その……まあ、なんというか……面白い人です』

 ――ちょっと! 今褒めるところないから無理やり褒めましたよね!? 俺そんなダメでしたか?

 室井からの思わぬ低評価に勝負開始より早く心が折れそうになる公太。

 『型にはまらない人ではありますね。個人的には応援してます』

 室井はそう付け足す。

 「!」――ふっふっふ、“個人的に”応援する……ね。ちょっと本気マジになるか!

 パキポキと指を鳴らす花巻公太、実に安く簡単な男である。


 『へえ、そうなんですね〜。……よし、そうしましたら早速今回の戦いを仕切る――クイズマンに競技の説明をしていただきましょう!』

 会場には例の特徴的な格好をしたクイズマンが現れる。盛大なネタバレをかまされた会場中からは微妙に冷めた視線を浴びている。


 「では、私の方から今回の競技の説明をさせていただきましょう! どうぞ!」

 クイズマンがそう叫ぶと、会場に既に設置されていた物体に被せられていた青いビニールシートが取り除かれる。

すると現れたのはランニングマシン。


 だが、そのランニングマシンはただのランニングマシンでなかった。前方にモニターと補助用の手すりが付いているのは同じなのだが、実際に走るベルトコンベアの部分が優に10メートルはあろうかというくらいに長い。しかもその後方には鬼の様な生物の頭のオブジェがあり、ベルトコンベアの後方まで流されると鬼の口の中に飲み込まれるような形になっている。


 しかもよく見ると鬼の口の中には滑り気のある液体に満たされた箱がある。

 「では説明させていただきます。今からお二人にやって頂くのは耐久クイズマラソンです!」

 「……ふーん、クイズに答えながらランニングするってことか」

 公太が思わず頭に浮かんだ光景をそのまま口にすると、クイズマンはツカツカと近づいてくる。

 「私が今から説明するので、黙ってもらえますか?」

 「し、失礼しました……!」


 胸ぐらを掴まれてしまったので、公太は素直に謝罪せざるを得ない。その返答に満足がいったのかクイズに命を賭けている男は再び説明へと戻る。

 「まあ、競技名から分かると思いますが、これはひたすら走りながらクイズに答えていくという競技になります。ただ、このクイズ競技はただのクイズではありません!」

 「なん……だと……」

 あの鬼のオブジェとヌルヌルの液体から大体察しがつくが、場を盛り上げる為に驚く仕草だけ見せつける。


 「ふふッ、それを今から説明しましょう」

 何となく得意げなクイズマンはぐるっと会場を見渡し、ある一点に目を留めると「ああ、それじゃキミこっち来て」と一言。


 指名された手伝いらしき憐れなバイト君は「ええ、僕ですかぁ?」と不満を露わにしたものの、クイズマンに何やら耳打ちされると一応は納得したのかすごすごとランニングマシンの上に乗り、合図とともに動き出したマシンに合わせて動き始める。ウォーキングくらいの速度といったところか。

 「はい、では一度デモンストレーションを行いましょう。――では、第一問、1+1は?」

 「2です」


 デモの為か実に簡単な問題で、当然のようにバイト君の解答にピンポーンと正解のファンファーレが鳴り響き、特に変わった様子もなくそのままゆったりとしたペースでマシンは動き続ける

 「このように正解すればマシンのペースはそのまま保たれます」

 実に全く期待を裏切らない内容である。


 「じゃあ、第二問。2022年1月27日に行われたサッカーW杯アジア最終予選の日本対中国で日本の2点目を挙げたのは誰でしょう?」

 「え」

 急に問題の難易度が跳ね上がった。さっきまでは一般教養があれば誰にでも分かるものだったが、突然マニアックな内容に変わった。


 「さあ、あと10秒です。10、9、8――」

 「お、大迫!」

 ブッブーという不正解を知らせる音が会場に響き渡る。

 「残念、不正解です。大迫佑太は1点目で、正解は伊東純也です!」


 クイズマンのその言葉と共に、ランニングマシンの速度が急激に上がる。

 「ちょ、え! 待って! 速度上げないってさっき言った……って、うわああああああ!」

 バイト君は急激に上がった速度によってマシンの上ですっ転び、そのまま憐れにも鬼の口へと吸い込まれていき、ヌルヌルした液体へと放り込まれていった。そして、何とか鬼の口から這い出ようとするその姿はちょっとグロテスクである。


 「畜生! 騙しやがって! そもそも俺は野球派なんだよぉ!やってられるか!」


 ヌルヌルになったバイト君は叫びと共にアルバイトであることを証明するネームプレートを投げ捨て、そのままうわあああんと走り去ってしまった。


 なるほど、辞める時はあれくらいの思いっきりも必要らしい。公太は心の中であのバイト君に合掌をした。

 まあ、何はともあれとりあえずルールは分かった。走り続けながらクイズに答えるという実に予想通りの内容だった。ある意味では頭脳と体力両方が試されるわけだ。そして、負けた暁にはヌルヌルになり、目の前で結婚を見届けるという屈辱を味わうことになる。絶対に負けられない戦いがそこにある。


 「ただ、今回は2人対戦です。この場合は相手側が先に正解した場合も自分の走るマシンの速度が上がる仕様になっております。そして、マシンの速度を上げる役割を担うのは天月千尋様ですッ! どうぞ!」

 クイズマンの呼びかけと共に千尋は現れた。その手には2つのスイッチが握られていた。

 千尋が現れると会場はにわかに色めき立つ。綾瀬が登場した時とはまた違ったリアクションだ。

 千尋はそんな観衆に対して、スカートの裾を軽くつまんでペコリと100点満点の挨拶。こういう仕草を見るとやっぱりお嬢様だとは思う。


 しかし、嫌なルールである。これだと仮に問題の答えが分かったとしても綾瀬より先に答えることが出来ないと速度は段々上がっていくことになる。元々サッカーをやっていたのでそれなりに体力には自信はあるし、今でもトレーニングは日課とはいえ、勿論限界はある。体力に自信はあれど、頭脳には全く自信がない公太の不安は募るばかりである。


 ふと、綾瀬の方を見る。ぐっと身体を伸ばしているその仕草はどことなく洗練されており、先ほどの肩書きは伊達ではないのが分かる。公太に見られていることに気が付いたのか、不敵に微笑んでくる。

 「それでは、大方のルールの説明は済みましたし、始めましょうか」

 クイズマンの号令と共に公太と綾瀬はそれぞれのマシンへと向かった。

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