101冊目の私

尾崎中夜

101冊目の私

   『101冊目の私』


「今すぐ出てけー!!」


 雪平鍋を振り回して彼と彼の浮気相手をアパートから叩き出した日――人生終わったと思った。

 だけど、いくら泣いたところで人生も世界も終わることなく、一人ぼっちの部屋で聞こえてきたのは終末のラッパではなくお腹の鳴る音。ヤケクソでLサイズのピザを頼んで半分食べないうちに胸ヤケしたのを、今でも覚えている。


 よく言えば、ひと昔前の儚げな文学青年。悪く言えば、生活力皆無の夢み屋。

 二年前、付き合い始めの頃は

「たは、電気止められちゃった」と部屋に転がり込んできた彼が、いつか小説の新人賞を取ると信じていた。二人の夢が叶ったとき(献辞だっけ?)作者が本の最初に書く「○○に捧げる」その○○に自分の名前が入る日がいつか来ると……。


「いいアイディアはあるんだ」「あとは書くだけ」「傑作は焦って書くものじゃないから」


 当時彼は二十六歳で、私は二十四歳だった。

「どんなお話?」「出来上がったら最初に読ませてね」「ずっと応援してるから!」

 年齢を考えると、私も彼に負けず劣らず痛かったと思う。


 彼は結局、二年間畳でゴロゴロしていただけだった。

 そのくせ愛の物語だけは、新連載、二話連続更新、浮気がバレそうなのでしばらく不定期更新、このままだと追い出されるかもしれないから断腸の思いで終わらせます、一ヶ月後には新連載……と忙しかった。


 ただ、さすがに世帯主が仕事に行っている間に(どこで知り合ったのか?)ハタチそこそこの子を連れ込むほど、彼が馬鹿だとは思わなかった。


「ストッキング忘れてるからぁ!!」


 こうして、文学青年気取りの彼を浮気相手もろとも叩き出したわけだが、苦く滑稽な恋物語は、ピザの胸ヤケだけではどうも終わってくれなかった。


 本だ。


 彼がこの二年間で買い集め、少しずつ増やしてきた本が、カラーボックスごとそのまま残っていた。

 文庫、ハードカバー、新書……。

 小説、自己啓発本、ノンフィクション、海外作家のエッセイ、詩集、自己啓発本……。

 数えてみたところ、ぴったり100冊だった。


 燃やす? カッターナイフ?


 全て処分するのは面倒くさそうだった。まとめて燃やすにしても、一冊ずつ執拗に切り刻むにしても、それなりの労働になる。着払いで送り返そうにも、あいにく私は彼の住所を知らなかった。


 なら売ればいいじゃん。――と、今となっては思うのだが、あのときはなぜかその選択肢が思い浮かばなかった。


 たぶん、それでは面白くなかったからだと思う。


 見た目も性格も地味。これといった取り柄もない。だから、精一杯尽くそうとして空回りした。何度も浮気されて、最後は泣きながら雪平鍋を振り回して……。

 こんなにも悔しい思いを味わったというのに、エピローグは出張買取の電話を一本かけるだけ?


「……いっそ読んじゃう?」


 この何気ない呟きから、私の100冊チャレンジが始まった。――半年間、毎日、本を読み続けた。


 はじめの頃は読書の楽しさや面白さ以前に、読書という行為の「意味」が分からなかった。

 蟻じゃん。蟻みたいな字を何時間も追い続けるだけの非生産的行為。

 この人達、なんでこんなつまらないこと悩んでんの?

 古典小説はちっとも面白くないし、翻訳本は軽いエッセイでもカタカナが多くて読みづらかった。新書は薄くてすぐに読めるから「ボーナスステージ」と呼んでいた。自己啓発本を読むと、元カレの顔がチラついてムカムカすることもあった。


 それでも私は100冊チャレンジを最後まで達成した。

 仕事が忙しかったり急に遊びの予定が入ったりと、まとまった時間が取れないときには、通勤時間や待ち合わせ時間を読書にあてた。おかげでスマホ依存もいくらか改善され、スマホを触る時間が減ったので夜ふかしをあまりしなくなった。

 早起きした朝は、まず鏡の前でニッと笑ってみる。スッピンでもなかなかいけてる。

 仕事で長い文章を読む業務も、近頃苦でなくなってきた。


 もともとは浮気男を振り切るために始めた100冊チャレンジだったが、最後の一冊まで読み終えた今、新たな恋がまだ始まっていないことを除けば、まるで某ゼミの漫画みたいに色んなことがよくなった気がする。

 しかし、律儀に100冊読んだからこそ正直に告白する。


 私、やっぱ読書そんな好きじゃないかも。


 この半年間で長い本も難しい本もそこそこ読めるようにはなってきたが、読める=好きとはならなかった。つまらなかった本は今読んでもつまらないままだった。

 むしろゴールが近づくにつれて本への愛着は薄れてゆき、折返し地点にきたとき(読み切った本は売ってもいいんじゃないか?)とさえ思った。

 わざわざ出張買取を頼まなくても、十冊読み終えるごとに売りに行ったほうが楽でいいんじゃないかとも。


 なんて終わり方だ。


 もし私の100冊チャレンジを心清らかな書き手がいい感じにまとめたなら、今頃私は読書家になっていて、「これからは私も書いてみたい」と小説のハウツー本でも買いに行くだろう。爽やかな晴れ空に、ホップ・ステップ・ジャンプってね。


 しかし、現実は砂糖菓子のように甘くない。

 窓の外に広がっているのは、どんよりとした空。

 それに私はスキップ的なものが大の苦手だ。きっと開発途中のロボットみたいになる。


 と、我ながら散々な言いようだが、100冊チャレンジをやり切ったこと自体は褒めてもいいと思う。

 浮気男への怒りや意地が原動力だったとしても、読書家でもない私が100冊も本を読んだ。なにをやっても二日坊主の私が、一つのことを半年間毎日続けた。

 そのことは、素直に褒めていいはず。 


「……行くか」


 今日はせっかくの日曜日だから、これから出かけようと思う。

 今にも雨が降りそうな灰色の空だが、もしも降ったら降ったでかまわない。

 義務で読んでいた本から、そして過去の恋から解き放たれた今。


 私はなにをやっても、なにを読んでもいい。


 たとえば、チャレンジ達成のお祝いに喫茶店でまったり過ごす。となると、コーヒーのおともに本の一冊や二冊はほしい。その本が『あなたも今日からベストセラー作家!』なんてこともあり得る。

 たまたま寄った本屋さんで、たまたまそんな本を目にしたら。

 たまたまも二つまでなら重なるかもしれない。


「うわ、もう降ってるし!」

 玄関のドアを開けると、雨がパラパラと降り始めたところだった。

 どうしようかと少しだけ迷ったが、


「……行きますか」


 明るい色の傘を選んで、私は「えい!」と雨の街へと出かけた。


 新たな一歩を踏み出すため

 101冊目の私を探しに。

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