第10話 ローマは一日にして成らず
雨の日の学食。僕たちはその一角を占拠してカレーを食べていた。
学食のカレー300円。値段相応の味だ。
「で、その後どうだ」
カレーをつつきながら的場が尋ねてきた。MO2作戦の進捗状況のことだ。
「ローマは一日にして成らずだ」
「こうやって怠惰の言い訳がなされるたびに未完成のローマが増えていくのだな」
荒野に林立する未完のローマたち。
「ん? しかしこの場合のローマが成るとはどういう状況を言うのだろう」
的場はローマの話を始めた。
自分で言った「未完成のローマ」という語に引っかかったらしい。
尋ねたわりに僕と忍野さんの関係にはそれほど興味がないのだろう。
「ローマとは国としてのローマか? 国だとすると共和制ローマだろうか、ローマ帝国だろうか。どちらにせよ、その政体が成立したときがローマが成ったとき、なのだろうか」
的場はカレーを食べる手を止めてまでローマについて考えている。なにが彼をここまで駆り立てるのだろうか。
僕は適当に相槌を打ちながらカレーを食べていた。
「……ローマと一言で言って思い浮かべるのはやはりローマ帝国だな。神聖ローマ帝国とか言うやつはひねくれ者だろう。だからやはりローマ帝国が最大版図に至ったときがローマが成ったとき、つまりトラヤヌス帝の頃を指すのではないか」
「……国によってローマの部分はパリになったりモスクワになったりするらしいぞ」
パリは一日にして成らずとかモスクワは一日にして成らずとか、あまり聞いたことはないが。
「なに? ではローマとは国としてのローマではなく都市としてのローマか。そうなるといよいよローマが成ったときとはどういう状態なのかわからなくなるな」
ローマがいつ成ったか、なんて問に答えはない。
ローマは一日にして成らず、と言ったのが誰かなんて知らないがその人物が言いたかったことは「ローマという都市が一朝一夕に作られたものでないように大事を成すには長年の積み重ねが必要だ」ということだ。
ローマがいつ完成したかなんてことは問題にしていない。そもそもその発言をした時点で完成している必要すらない。長年建造中であっても成り立つ発言だからだ。
だから「ローマは一日にして成らず」と聞いて「え、ローマはいつ成ったの?」となること自体間違っている。意味がない。不毛だ。
しかし僕はこの的場との不毛なやり取りが楽しくて仕方ない。的場と出会ってもこの方、こうやって時間を浪費してきた。
議論にもならない議論に身を投じてきた。
議題は主にカレーだった。ローマでは精々昼休みを潰すくらいしかできない。しかしこれがカレーになると「跳ねる」のだ。
カレーであればいつまでも話していられる。弄っていられる。だから僕はカレーが好きなのだ。
「……ローマにおける水道の敷設といえば」
「的場」
共和制ローマの都市整備について話が及んだところで、僕は話を遮った。
流石に昼時の学食のテーブルをいつまでも二人で占拠しているのは心苦しかった。
「ほら、これ」
僕は的場から頼まれていたものを取り出した。もともと「これ」を的場に貸すために来たのだ。
「あ、忘れてた。魔法の粉な」
「ガラムマサラ! 学食を怪しい取引の場にするな」
僕はガラムマサラの入った小瓶を的場に渡した。
ガラムマサラというのはインド料理に使われるミックススパイスだ。
スパイスを混合したもので明確な決まりはないが市販のものだとブラックペッパー、赤唐辛子、コリアンダー、クミンなどが入っていることが多い。
「これこれ〜」
的場は食べかけのカレーにガラムマサラをパラパラと振りかけて食べた。
「いやあ、このガラなんとかをかけるとそれだけで学食の安カレーが本格的になるからなあ。魔法の粉だよ」
「大げさな」
振りかけただけで本格カレーになるというのは言い過ぎだが、エスニックさは増す。
学食のカレーとかコンビニで買ったカレーでもかなり雰囲気を味わえるようになるので僕は常に鞄にガラムマサラを忍ばせている。
的場はそのことを知っていて僕を学食に呼んだのだ。
「そんなに気に入ってるなら自分で買えよ」
「名前の覚えられないものをどうやって買うんだ」
「確かに。いや覚えろ!」
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