Ever lost memory:世界を犠牲に少女を選んだ、とある少年の観測記録

r.h

第1話「真夏の雪、運命、そして始まり」

 西暦2026年。

 世界は——否、人類はゆるやかに終わりへと近づいていた。

 日常を送る世界中の大半の人間は、その事実に気が付くことすらないままに。


「追え!逃がすな!『ネメシス』を市中にばら撒かせる訳にはいかん!」

「くそが、よりによって《被検体001》か……!」

「『プロメテウス』の化け物どもが介入してくるかもしれません!警戒を!!」


 7月31日、深夜2時12分、東京都特別指定先端医療開発特区——武摩区内、某所。

 を構えた男たちが悪態をつきながら路地裏を駆け抜ける。彼らは一様に夜に紛れる黒い軍服を纏い、大仰なフルフェイスマスクを被っていた。


「はっ、あ——、はっ、あ——」


 男たちが追っているのは、白い貫頭衣を纏った少女だ。少女は裸足で夜の街を走り抜けながら、必死に追っ手から逃れようとしていた。

 少女がから逃げ出してから早一時間と少し。彼女に浮かぶ疲労の色は濃く、だが、それ以上に追っ手の男たちの焦燥の方が顕著だ。


「くそ、ちょこまかと!」


 痺れを切らした男の一人が発砲し、銃弾が少女に迫る。距離にして十メートル程度。通常の人間であれば、その凶弾を避ける手立ては無い。しかし。


「防いで!」


 涼やかな声で少女が叫ぶと、少女の後ろ手に縦横1メートル程度のが展開される。直後、銃弾が衝突。盾に弾かれた銃弾はアスファルトを転がり、同時、氷の盾は澄んだ音を立てて砕け散った。


「っち、厄介な!」


 砕けた盾は細かい氷片となり、男たちの視界を遮るように空間に展開される。たたらを踏む黒服の集団。その隙に少女は路地裏沿いに建つ民家の屋根に飛び乗った。


「——」


 たんたんと、彼女は重力を感じさせない軽やかさで屋根を次々に飛び超えていく。

 覆面の男たちに追う術は無く、少女を歯噛みして見送るしかない。

 すると集団の中、一人のリーダー格らしき体格の良い男が声をあげた。


「総員聞け! 今は人類の存亡を賭けた緊急事態だ!《被検体001》は捕獲が無理なら最悪殺しても構わん! 何よりも被害を最小限に抑えるのを最優先にしろ!」

「了解!」

「くれぐれも一般人には悟られるなよ! 口封じで無駄な殺しはしたくないだろう! 以上だ!人類の盾たる『アイギス』、その本懐を果たせ!」

「はっ!」


 返事と共に黒服の男たちは一斉に散開し、闇に紛れて消えてゆく。

 夜明けの時間は、まだ遥か遠く。


 ——少女は独り、静かな夜の闇を駆ける。


  ×  ×  ×


「うん、異常なし。寝不足なのを除けば健康そのものね。ていうか、また夜更かししたでしょカズ。いくら夏休みだからってちゃんと生活リズムは整えないとダメよ」


 白く清潔な診察室で、白衣の女性がカルテを見ながら窘めるように言った。すると女性と向かい合う席に座った少年——燈下和希ともしたかずきは軽く肩を竦める。


「別に俺が夜更かししてもサキ姉には関係ないだろ?」

「んな訳あるか!」

「いてえ……」


 ぺしりとカルテの入ったファイルで頭を叩かれ、和希は呻きながら恨めしげな視線を女性に向けた。白衣の女性の名は竹内美咲たけうちみさき

 和希の八つ上の幼馴染で、姉のような存在だ。付け加えると、今現在の和希の担当医でもある。さばさばした性格でボーイッシュな美人の為、患者からの人気も高いらしい(本人曰く)。


(まあサキ姉はさばさばっつーか、ガサツなだけだと思うけど)


 面と向かって言うのは怖すぎるので内心だけで呟き、和希は椅子に背を預けてふすっと息を漏らす。すると美咲がニコリと笑った。


「どうしたのカズ?何かあたしに言いたいことでもあるのかしら?」

「いえ、何も」


 あまりに鋭すぎて恐ろしい美咲の勘だった。和希がぶんぶんと首を振って否定すると、美咲はあきれ顔でカルテで自分の首をトントン叩く。


「大体ね、あたしはカズのこと任されてるんだから。ようは保護者よ保護者。ちゃんと言うこと聞きなさい、このバカズキ」

「はいはい、すみませんね」

「ったく、生意気になっちゃって。ちっちゃい頃は可愛かったのになあ。ぼく大きくなったらサキ姉と結婚すりゅ——!って言ってたのに」

「それは本当に止めてくれ……! 以後、夜更かしにはちゃんと気を付けますんで」


 小言は適当に聞き流すつもりだったが、唐突に幼い頃の黒歴史を掘り返されて和希は即座に抵抗を諦める。握られている弱みが多すぎて、美咲には勝てる気がしない。


「けど異常なしって言ってもずっとだろ。いつまで診察受けないといけないんだよ」

「まだしばらくよ。あんた、死にかけたんだから。おじさん達のおかげでどうにかなったとはいえ、原因もよく分かってないんだし」

「そうなんだけどさ……」


 諭すように言われ、和希は頭を掻く。5年も前のことだ。5年前、つまり小学6年生だった頃、和希は一度死にかけたらしい。

 自分のことなのに「らしい」というのは変な感じだが、それも仕方がないだろう。


 なにせ和希にとって、当時の記憶というのはほとんど空白と同義だ。物心ついてから今に至るまで連続している記憶の中で、その一期間だけが靄がかったように曖昧と化している。

 それはあまりにもどかしく、胸を掻きむしりたくなるような感覚だった。


「——」


 そのまま、ちらりと美咲のデスクに置いてある写真に目を向ける。洒落た写真立てに飾られているのは、父と母、小学生の頃の和希、そして大学生の美咲の笑顔の写真だ。次いで写真から目を逸らすようにして、和希は医務室の白い天井を仰ぐ。


「にしても親も親だよな。子供だけ治して、自分たちは逝っちゃうんだから」

「ちょっとカズ、そういう言い方は——」

「分かってる。憎まれ口だって」


 咎められ、和希は寂しげな笑みを浮かべる。

 だが、そういう風に言わずにはいられなかった。

 だって、でなければどうやって振舞えばいいのかが分からないから。果たして、自分や苦しむ人たちを助ける為に力を尽くした両親に感謝すれば良いのか。それとも、自分だけを残して逝った両親に詫びればいいのか。


 問いかけてみても、死者から答えが返ってくることは無い。ならばせめてと記憶を手繰るも、それは空白に塗り潰されて父と母の最期に出会うことは叶わない。

 であれば5年前。

 あの断絶の期間に、燈下和希は一度『死んだ』のかもしれなかった。


「カズ。別におばさんもおじさんもカズを責めたりしてない」

「……それも分かってるって」


 あるいは、そう言う美咲こそが一番彼女自身を責めているのかもしれない。当時は学部生に過ぎなかった美咲が医者として両親の跡を継いでいるのが、和希には何よりもその証拠のように思えてならなかった。


「それはそうと、ねえカズ?」


 するとサキ姉が空気を切り替えるようにパンと両手を合わせて、ニコニコ笑顔になった。


「昨日は一体何をして夜更かししたのかな?」

「それは……」


 問いかけた美咲は笑顔のはずなのに、迫力が半端ではない。和希はこそっと俯くも、言い逃れるのは不可能だと経験から推測、諦めて大人しく白状することにした。


「……いつも通り、夜の街を散歩をしてた」

「はあー、そうだろうとは思ったけど。毎日毎日、その徘徊癖はどうにかならないの? あんた未成年なんだから補導対象じゃない」


 もはや怒りを通り越して呆れの境地に居る美咲。だが何を言っても無駄だと悟っているのかそれ以上のお小言は無く、美咲は軽く首を傾げて問いかけてきた。


「で、何か成果はあったのかしら?」

「サキ姉、うるさい。聞かなくても分かるだろ」


 和希は渋い顔で答える。そもそも「何」を探しているのかすら、自分でも定かではないのに、成果など有る訳が無い。

 徒労にため息をついて時計を見やると、時刻は午後8時を過ぎていた。いくら診療時間後とはいえ、長居し過ぎる訳にもいかない。帰るには丁度いい時間帯といえる。


「じゃ、そろそろ帰るな。サキ姉も仕事頑張れよ」

「うー頑張る。いいなあ夏休み。お姉ちゃんも高校生に戻りたい……」

「それは諦めてくれ……。お休みサキ姉」


 椅子から立ち上がると、和希は軽く手を振って診察室を出る。

 後ろ手にドアを閉める直前。


「——ねえ、カズ。


 小さく呟かれた美咲の声が、微かに聞こえた気がした。


  ×  ×  × 


 午前0時。それが、和希が街の徘徊を開始する時刻だ。

 今日もいつものように外出しようとし、玄関のドアに手をかける。だが瞬間、告げられた美咲の言葉が蘇って、和希は行動を制止させた。


 外に出るか、このまま家で大人しくしておくべきか。

 胸中で渦巻く二択を天秤にかけ、思案する。


 気がかりなのは、美咲の声音だった。普段の美咲なら、わざわざあんなことを言ってきたりはしないはずだ。それに、元よりさして意味のない徘徊だ。一日しなかったところでさして何かが変わる訳でもないだろう。

 俺は——。


「——悪い、サキ姉」


 けれど、今日はどうしてか予感があった。それは、今日こそは「何か」が見つかるかもしれないという、根拠も何もない願望に近い期待だ。


「いってきます」


 だから和希は美咲のお願いを無視して、夜の街へと繰り出していく。

 その決断が、己の運命を大きく左右することになるなど、今の彼は知る由もなく。

 無意識に、無防備に。燈下和希は、日常の裏に潜む世界へと一歩足を踏み入れた。


 ×  ×  ×


「……雪?」


 和希は思わず我が目を疑った。だが何度瞬きをしてみても、目にした光景に変わりはない。

 見上げた先、遥か前方。街外れにある寂れた展望台の上空では、疑いようもなく白い雪がちらちらと宙を舞っていた。


 それは常識的に考えれば有り得ない光景だ。いくら異常気象続きで地球がおかしくなっているとはいっても、流石に夏に雪は降らない。

 であれば、考えられる可能性としては——。


「……降雪機の誤作動か?」


 もしくは秘密の科学実験か。何しろここは、科学技術の粋が集められた武摩区だ。歯止めの効かない地球温暖化に対する何らかの方法が開発されている可能性もある。


 さて、どうしたものか。和希は徘徊の足を止め、思案する。今から展望台に行って帰ってくるならば、所要時間は1時間を下るまい。

 俺は——。


「——行くか」


 僅かな逡巡の末、和希は展望台に向かって駆け出した。今は夏休みの最中だ。夜更かしした所でさしたる支障はないし、この異常現象の原因を解明せずには寝られるものも寝られない。


「はっ——、はっ——、はっ——」


 それから走ること5分程度。誰一人としてすれ違うこともなく、和希は展望台の麓に到着する。立ち入り禁止のテープが貼られているのを見るに、どうやらこの展望台はもう既に使用されてはいないようだった。

「……?」


 瞬間、一瞬の違和感が和希の脳裏を過ぎる。

 なにか、大切なことを、忘れているような。

 だがその感覚は、即座に肌を刺す冷気に打ち消されてしまう。


「寒……」


 展望台周りの気温は異常なほどに低くなっていた。吐いた息は白く、Tシャツからはみ出した腕に鳥肌が立っているのが分かる。見上げた先、展望台に続く階段には薄っすらと雪が積もっていた。


「……どうなってんだ? これ」


 現実離れした、見るからに異常な空間。だが、ここまで来て引き返す訳にもいかない。和希は黒と黄色のテープを掻い潜り、かじかむ手を擦り合わせながら歩みを進めていく。


 一段、一歩。展望台の頂上に近づいていくにつれて身を刺す寒さは程度を増し、降りしきる雪のせいで数歩先を見通すのが困難になる。

 やっとのことで階段を登り切った和希は、開けた展望台に足を踏み入れ——。


「————————————————————————————————————」


 そして、言葉を失った。

 世界の全て、呼吸と鼓動、時間と空間までもが凍り付く——そんな錯覚。

 眼前、佇んでいたのは少女だった。


 この世の全ての夜を閉じ込めた、流れる濡羽色の長髪。

 透き通る群青の宝石が煌めく、強い意志を秘めた切れ長の瞳。

 その端正な顔立ちは、まるで繊細な硝子細工の人形のようで。

 夜風に揺れる細身は儚く、ともすれば消えて無くなりそうな危うさすら秘めている。寂れた展望台を背景に、少女は降り積もる雪の如く、どこまでも澄み切ってそこに在った。


「——」


 だから、言葉が出てこない。

 何かを言おうと思っても掠れた息が零れるだけで、言葉が形になることはない。

 和希の胸中で、焼け付くような激情と正体不明の感傷が荒れ狂う。


 痛むのは空白、叫ぶのは欠落だ。如何ともしがたい衝動に突き動かされるまま、和希はふらふらと少女に引き寄せられていく。


 すると俺の存在に気が付いたのか、少女の群青の瞳がふと和希の方を向いた。

 交錯する視線と、跳ね上がる心臓。

 その瞬間に抱いた想いに、果たしてどんな名前を付ければよいのだろうか。


「——」


 己を構成する全て、その根幹にある魂が震え、意志とは関係なく溢れ出した涙が、ボロボロと零れ落ちて己の頬を濡らしていく。

 哀切か、歓喜か。涙の訳も分からぬまま、それでも確かなことが一つだけ。

 見つけた、と。少女の名も、声も、存在も、何一つとして知らないはずなのに。

 己が探し求めていたのは「彼女」なのだと、どうしてかそれだけは理解出来た。


「……君、は」


 喘ぐように空気を求め、和希はどうにか言葉を紡ごうとする。

 だが、刹那。


「——え?」


 気が付けば、和希は地面に仰向けになって倒れていた。一体何が起こったのか。認識が現実に追いつく間もなく、和希の喉元に氷の刃が突き付けられる。


「所属と目的を言いなさい、今すぐに。でないと、あなたの命はないわ」

「っ、」


 間近から聞こえる凍てつく声音と、容赦なく肌を刺す冷気。

 それでようやく、和希は目の前の少女に押し倒されたのだと理解した。


「あなたは間抜けな研究所アイギスの追っ手? それとも解放戦線プロメテウスのお迎えかしら?」


 和希の上に圧し掛かったまま、淡々と問いを重ねる少女。刃の先端が喉元に触れ、ひやりとした死の感覚が差し迫るのが分かる。


「早く。それとも死にたいの? 答えないなら、敵とみなして殺——」

「——俺は、君に会いたかった。……本当に、それだけなんだ」

「——、え?」


 それで和希が己の心の思うままに告げると、少女の瞳が僅かに揺れた。


「……何を、言ってるの? 私はあなたのことなんて知らない。会ったこともないはずよ」

「……ああ、俺も知らない。けど、ずっと君を探していた。それだけは、絶対に確かなんだ」


 言っていて、思う。自分はもしかしたら、頭がおかしくなったんじゃないかと。


「すまん、変なこと言ってるよな。けど、その、なんというか——」


 それから言うべき言葉を探し求めていると、ややあって少女がため息をついた。


「——。……、もういい。敵意が無いのは分かったから」


 言って、少女は突き付けていた刃を手放すと、和希の上からどいて立ち上がった。

 どうやら警戒は解いてくれたらしい。和希は安堵の息を漏らしつつ、少女を見やる。


 それにしても不思議な少女だ。恐らくはこの降雪も彼女の仕業なのだろう。となると、本当に異能の類の現象なのだろうか。


「なに? じろじろと。言いたいことがあるなら言いなさい」

「いや……。なんというか、君は何者なのかなと思って、つい」


 和希が頭を掻いて言うと、少女が目をぱちくりとさせる。


「——、驚いた。あなた、本当に一般人なのね」

「一般……? まあ、そうだな。夜中に徘徊する人間が普通と言えるのかは知らないけど」


 個人的には十分異常だとは思うが、それはともかくとして。


「それで、君は何してたんだ? こんなところで、しかも真夜中に」

「……その質問、あなたにそのまま聞き返したいところだけど」


 少女は呆れたように肩を竦め、それから静かに天を仰いだ。


「——を、見にきたの」

「え?」

「星を見にきたのよ。ここならよく見えるかと思って」

「星、好きなのか?」


 少しばかり意外に思って重ねて問いかけると、少女は小さく微笑んだ。

 見ているこちらの胸が痛くなるくらいに、寂しげに。


「……


 その言葉の意味も、少女の微笑みの理由も和希には分からない。

 ただ、そんな笑い方をさせたくないとだけ和希は強く思う。


「けど、どうしてもここには来なくちゃいけない気がしたの。……なんでかしらね」


 そのまま、胸に手を当てて不思議そうに言う少女。それで、もしかしたら彼女も自分と同じ感覚を抱いているのかもしれない——なんてことを思い、和希の口はつい滑った。


「それは、俺と会うため、じゃないか?」

「……」

「……」


 そして言った瞬間に、秒で後悔した。 

 いたたまれない沈黙が場を支配し、和希は即座に発言を撤回する。


「悪い。今のなし。取り消しで。聞かなかったことにしてくれ」

 正直、頭が湧いているとしか思えない痛すぎる発言だ。深夜テンションか、あるいは高揚感かなんかで、頭のネジが五本ぐらいぶっ飛んでいるらしい。

 和希が自己嫌悪と羞恥に頭を抱えて悶えていると、目を丸くしていた少女がややあってふっと表情を緩める。


「さっきからおかしなことばかり言うのね。変な人」


 どうやら幸いにも、彼女は冗談として受け取ってくれたらしい。


「それじゃ、私はそろそろ行くから」


 それからひとしきり笑った後、少女は笑みを納めて言った。


「行くって、どこへ?」

「さあ。分からないわ。けど、逃げないと」


 逃げる。それで、和希の脳裏には先に少女の口にしたアイギスなる単語が過ぎる。

 故に、追われている彼女を放っておく選択肢など和希にはなかった。


「逃げる足が必要なら、原付くらいは出せるぞ」


 和希の提案に、少女が瞳を見開く。和希が迷わず助力を申し出たのが予想外だったのだろう。だが、次いで少女はゆっくりと首を横に振った。


「……ありがたい申し出だけど、遠慮しておくわ」

「どうして? 流石に信用できないか?」

「そういうわけじゃないわ。ただ——」

「ただ?」

「ただ、お人好しをわざわざこちらの世界に巻き込むほど馬鹿じゃないの、私」


 だから気持ちだけ受け取っておくわ、と少女が淡く微笑む。

 それで和希が何かを言おうと口を開きかけたその時、――ぱぁん、と乾いた音が空気を切り裂いて響き渡った。


「——」

「——――。……え?」


 目を見開き、血赤に染まった己の腹部に手を当てる少女。

 その間にも幾度も乾いた音――銃声は連鎖し、容赦なく少女の身体を貫いていく。

 そうして少女は、己の血で真白の雪原を真紅に染め上げながら倒れ伏した。

 

   ×  ×  ×


「——っ、大丈夫か!?」

 少女が銃で撃たれた。

 それが理解された瞬間、和希は気が付いたら走り出していた。

 服が血で濡れるのも構わず膝を着き、少女を抱き上げて声をかける。彼女の身体は恐ろしいほどに軽く、その分、命が血になって流れ出ている感覚があった。


「なんで、こんな——」


 焦燥と動揺。目の前で少女の命が失われていく恐怖がない交ぜになり、和希の思考が散り散りになる。その時、腕の中で、少女がゆっくりと瞼を開いた。

 鮮やかな群青が和希を捉え、僅かに揺れている。

 そして、彼女が弱々しく言葉を紡いだ。


「——て」

「……え?」


 か細く、途切れ途切れの声だった。まるで、今にも消えてしまいそうな程に。

 なのに、だと言うのに。


「私は、いい、から、逃げて——」


 馬鹿げたことを口にするから、和希は思わず叫んでいた。


「っ、んなこと出来るわけないだろ!」

「な、ん、で——」

「——おや。どうも鼠が一匹入り込んでいるようですね」


 しかし彼女の声は、背後から聞こえて来た男の声に塗り潰されてしまう。


「誰だ!?」

「誰だ、とはこちらの台詞なのですが。あなた、もしかして解放戦線忌々しい屑共のお仲間で?」


 反射的に振り向くと、慇懃な口調での応答が返ってくる。

 その男は、ひどく奇妙な格好をしていた。全身を覆うのは黒の迷彩服、手にもつのはハンドガン、そして頭部全体を覆いつくす武骨なフルフェイスマスク。

 悠々と現れた男は、その拳銃で油断なく和希を射線に捉えている。


「……お前は——」

「その反応。もしやあなた、一般人ですか?」

「……だったら、なんだよ」


 下手な動きをすれば即座に撃たれるだろう。和希が渇いた唇を舐めながら返事をすると、フルフェイスからぐぐもった笑い声があがる。


「はは! いえいえ、でしたらとんだ馬鹿者だと思いましてね。残念ながら、上から目撃者は全員抹殺しろとの指示が出ているんですよ。ですので、ソレに関わってソレの存在を知ってしまった以上、あなたにはここで死んで頂く以外に道はないということです」

「……そうかよ」


 元より見逃されるとも思っていない。どうにかしてこの場を切り抜けるには、まずは男から銃を奪わなければならないのは明白だ。すると、圧倒的な優位な立場にあって気でも緩んだのか、男はお喋りを継続してくる。


「ええ。けれど、なぜ殺されるかも分からぬまま殺されるのは可哀想ですし、冥途の土産に教えて差し上げましょう」


 そして、男は両手を広げると誇らしげに胸を張った。


「我々は、『ネメシス』の災厄から人類種を保護し、絶滅を回避する為の機関——あらゆる災厄と邪悪を退ける伝説の盾にあやかって、『アイギス』の名を冠させて頂いております」

「——、は?」

「いえ、理解出来なくて構いません。ただ、あなたは人類種の守護という大義の為の尊き犠牲になるのだと、それだけ分かって死んで頂ければ」


 男の言動のほとんどは、全く理解出来なかった。

 だがその最中、腕の中で少女が身じろぎする。まるで、何かを訴えかけてくるような瞳。その瞳から伝わる意図を察して和希は小さく首肯を返した。


「……そりゃ嬉しくて涙が出るな。なら、ついでにもう一つだけ欲しいんだが。この子が撃たれたのも、その大義の為だってか?」

「ええ、無論。ソレは貴重な『ネメシス』の研究サンプルですからね。なので、大人しく引き渡して頂けると助かるのですが」


 身体を揺らし、くるくると右手で銃を弄ぶ男。その挙動を観察しながら、そっと少女を地面に横たえ、和希は皮肉げに頬を歪める。


「嫌だと言ったら?」

「それは仕方ありません。——あなたを殺してから、回収しますよ」


 ジャキと銃口が和希を捉える。引き金が引かれるまであと僅か。撃たれれば死ぬ。

 ——刹那。


「——今、行って!!」


 少女が叫び、右手をかざした。同時、和希は全力で身を低くして男の元へ駆ける。

 打ち合わせなどしていない。ただ何となく、そういう指示だと理解出来ていた。


「なっ!?」


 直後、少女の右手から射出された氷の礫が男の持つ拳銃に直撃。男の手から銃が離れて宙を舞い、男の視線が和希から逸れる。

 その一瞬が、勝機だった。


「うらああ!!」

 和希は飛びつくように男にタックルをしかけ、マウントポジションを奪い取る。

 既に銃は手放させた。であれば、次に行うべきは無力化だ。その為には——。


「貴様——!」

「まずはその面、拝ませろ!」


 叫び、頭部を保護するフルフェイスマスクを無理やりに剥ぎ取る。

 マスクの下から現れたのは、ひどく気弱そうな痩せぎすの男の顔だった。


「っ」


 一瞬、何をされたのか理解出来なかったのか、男が呆然として瞬きをする。だが直後、男はゾッとするほどの切羽詰まった恐怖の表情を浮かべた。


「あ、あ、あ、返せ! 返せ、返せ、返せ、返せ返せ、返せよおおおお!!」


 目を血走らせ、唾を飛ばし、半狂乱になりながら男が和希の下で暴れ回る。

 その恐慌度合いは、もはや尋常のものではなかった。


「私の、私のマスクが、嫌だ、感染する、感染、死、死、死ぬ、死にたくない、死ぬ、やだ、やめろ、か、え、返せ、かえ、かえかえ返せえええ!!」

「暴れんな、くそ——!」


 一体、このマスクの何がそんなに大事だというのか。必死に男を抑えつけながら、和希は手に持ったフルフェイスマスクを投げ捨てる。すると男は、恐怖のあまりか、その意識を途絶させてしまった。


「は、——、あ、——」


 それでようやく詰めていた息を吐き、和希は喘ぐように新鮮な空気を吸い込む。

 心臓が全力疾走をした直後のように早鐘を打っていて、今更ながらにぎりぎりと綱渡りをしていたことが実感された。


「あの子は——」


 礼を言わなければならない。あの子のおかげで撃たれずに済んだようなものだ。

 そう思って振り返ると、少女は力を使い果たしたのか、ぐったりと倒れ伏している。だが、そこで和希はようやく違和感に気が付いた。


「え?」


 銃に撃たれ血を流していたはずの少女——その身体からは、既に出血が止まっていたのだ。手当をした訳でもない。であればそれは、自然に治癒したとしか考えられなかった。


「……どう、なってるんだ?」


 真夏に雪を降らせ、虚空から氷の礫を生み出し、挙句、自然治癒の力を持つ少女。

 最早それは人の範疇から逸脱した異能だ。およそ和希の知る世界の枠組みには無い存在を前に、一瞬足が竦むのを自覚する。



 だが、それでも。

 それでもこの子を助けたいと、燈下和希の魂に刻まれた衝動が彼を突き動かす。


 それから気絶している少女を背負い上げ、ついでに男から拳銃を拝借して、和希は追っ手の援軍が来る前に一歩足を踏み出した。


 ——あるいは、一歩、道を踏み外した。

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