第6話 魔法少女に花明かりの転校生(3)

 まったく、朝から一体なんだという。


 半刻ほど遡る。

 副顧問である女子バレー部の朝練を終えた直後。校長からの突然の呼び出しを受けた私は、いそいそと校長室へと向かっていた。朝のホームルームまで大した猶予もないというのに、迷惑なことだ。


 この幕間東まくあいひがし高等学校は5階建てで、校長室はその最上階に位置している。市内きっての古株校舎にエレベータなど設置されているわけもなく、用事があればその都度長い階段を上るしかない。

 さらに職員室は1階の最奥に位置しているため、校長からの招集は教員たちにとって、地獄からの呼び声に他ならなかった。

 挙句かなりの確率で面倒ごとを任されることになるので、本当にたまったものではない。

 汗を垂らしながら階段を上がるたび、用があるのなら自分で降りて話にこい、という真っ当な怒りが沸々と湧き出す。


 やっとの思いで校長室前に辿り着く。この最上階には校長室と生徒会室しかないため、無駄に長い廊下を歩かされているような錯覚を呼び起こさせられる。

 明らかに設計ミスではないかとぼやきたくなるが、一番の上司の手前、数々の不満を胸にしまって、着崩したスーツの襟を正した。


 焦げ茶色の両開き扉をノックする。使用頻度の多い他の教室扉とは違い、ニスの照った艶やかな扉だった。


逆叉さかまたです」

「おお、入りたまえ」

「失礼いたします」


 ドアを開くとやや効かせすぎた冷房が肌に触れる。道中でかいた汗が冷えて、身震いしそうになるところを何とか我慢する。

 校長は相変わらず大物ぶって社長椅子を回し、こちらに背を向けていた。

 そのまま振り返って顔を見せることもなく、私に言葉を投げかける。


「逆叉クン、キミを呼び出したのは他でもない。キミ以外には頼めない依頼があってだね。いや、他の教員でもまあ構わないのだが、私はキミを買ってるからキミに頼みたくてね」

「はあ」


 勿体振り、思わせ振りは我らが校長の得意技だ。ホームルームの時間が近づいているのでさっさと要件を済ませたいところだが、付き合わなければいじけ始める。

 この初老男性は、腹回りと一緒にそんな面倒な部分ばかりが膨れ上がってしまったらしい。

 そうしてたっぷり間を使って、ようやくこちらに向き直る。金縁の眼鏡がいやらしく逆光に煌めいた。


「そうだな……どこから話そうか。あれはまだ、私がこの学校に就任したての頃……まだ日本も春夏秋冬がはっきりとしていた日の……」

「先生、やほ! ピコ」

「えっ、」


 長くなりそうな口上を蹴散らして、机の裏から派手髪の元気溌剌な少女が飛び出す。

 ──直近も直近で見覚えがある顔。声。そして語尾。

 思わず面食らう。なぜ、彼女がここに……


「こ、こら! 話の途中で出るんじゃない。最高の演出で紹介したかったのに……」

「ぴこぴ、さん……?」

「さんはいらないピコ! だって今日から先生の生徒ピコだからね!」


 いじけの予備動作を見せた校長を無視して、彼女と言葉を交わす。

 ああ、なるほど。

 急な展開に驚きが隠せないが、そういうことか。


「コホン……本日より転校生として木下ぴこぴクンを我が校に迎え入れる。逆叉クン、キミのクラスで受け持ってくれたまえ」

「……校長。このような大事な話は、前もって伝えておいていただけないと……」

「もっともな怒りだな。だが私の主張にも耳を傾けてほしい。

 ……その、何故だかな。すっかり忘れていたのだ」


 思わず眉間に皺がよる。

 別に、ぴこぴを1年C組で受け持つのは全く構わない。むしろあめがクラスに馴染みやすくなる環境が作れるのであれば好都合だ。

 が、校長のこういった責任感の無さにはほとほと呆れてしまう。

 情報の伝え忘れからの丸投げ。私が来てからの3ヶ月間、これが初めてではないはずだ。


「……わかりました。今後、伝達事項がある場合は、その日のうちに共有することをお忘れなきようお願いします。生徒に関わることですので」

「す、すまない」

「ご、ごめんなさいピコ……」

「ぴこぴは何も悪くないぞ」


 漏れ出した怒りがさすがの校長にも伝わったらしく、冷や汗を拭いながら、彼にとっては極めて珍しく謝罪をしていた。なぜかぴこぴもそれに感化されていて、怖がらせてしまったようで少し胸が痛む。

 悪くないと訂正しても、ぴこぴは申し訳なさそうにしていた。むしろどんどんと顔を青くしている様子だ。


「では、ホームルームの時間が迫ってますので失礼します。ぴこぴ、ついてこい。ちょっと急ぐぞ」

「は、はいピコ!」

「逆叉クン、健闘を祈……」


 校長の言葉の途中でドアが閉まる。

 早歩きで廊下を渡りながら、私はぴこぴに話しかけた。


「今朝会った時に話しておいてくれればいいものを」

「ごめんなさいピコ……サプライズになるかなって……」

「その様子だと飴にも隠してそうだな」

「おっしゃる通りですピコ……」


 校長室での私の反応が芳しくなかったからか、はたまた喜ぶと思って行動したことが裏目に出てしまったことの罪悪感か、ぴこぴはすっかり反省モードに入っていた。思いの外繊細なところがあるようだ。


「ぴこぴ」

「はい……ぴ、ぴこっ?」


 隣を歩くぴこぴの頭をくしゃくしゃに撫でる。撫でられてる間だけへたったあほ毛が、手を離すとぴんと勢いよく立ち上がった。


「えへへ……なんだかわからないけど撫でてくれてありがとうございますピコ」

「おまえが来てくれて嬉しいよ。クラスが賑やかになりそうだ」


 撫でられてすぐに元気を取り戻したぴこぴを見て、自然と笑みが溢れる。

 しかしそれと同時に、お調子者のわりにやたら人の機嫌を伺う彼女の性根が、飼い主の許しを待つ犬のように思えて、どこか複雑な印象を受けた。



「えっ、ええ……っ!?」


 開け放たれたドア、逆叉先生に追従してきた転校生を私はよく知っていた。

 驚きのあまり漏れ出した声に、転校生へ釘付けだったクラス中の視線が、一度だけ私のもとに集中する。

 とっさに手元の教科書を開いて顔を隠す。息が跳ね返るぐらいの距離まで寄せた教科書には、ぼやけた文字で、「百年はもう来ていたんだな」と書かれていた。夏目漱石の夢十夜の頁だ。

 恐る恐る視線を戻すと、幕間東まくあいひがしの制服に身を包んだぴこぴの姿が、やはりそこにあった。

 彼女は黒板に丸文字で、『木下ぴこぴ』と自分の名を書き起こした。案の定、ピンク色のチョークを使用していた。


「な、なんでここに……」


 気取られないように今度は聞こえない程度の声で呟く。隣の席の肆零しあまりくんが、私の動揺っぷりを見かねて小声で話しかけてくる。


忍憑しのつくさん、知り合い?」

「……うん」

「へえ」


 互いに多くは語らない。というより今の私に、会話に勤しむ余裕はなかった。とにかく、逆叉先生とぴこぴの次の一手を待つしかない状況だった。

 そしてぴこぴは、予想に反して無難な自己紹介を述べた。何か余計な事を言うんじゃないかとひやひやしたが、彼女は普遍的域をでない転校生役を演じていた。もちろん魔法少女に関する情報などは、一切合切伏せたままだった。

 とはいえ口調や髪色を指摘されないのは、あの頬に貼られた錯覚シールのお陰なのだろう。

 そのまま何のひっかりもなく朝のホームルームは終了し、呆気なく一限目の授業に移った。

 いつの間にか空席が置かれていた私の後席に、ぴこぴは躊躇いなく座していた。


「アメ、やほ! ピコ!」

「……ぴこぴ! なにこれ!? どういうこと?」

「アメのこと驚かせたかったんだピコ!」

「……たしかに驚いたけどさ〜……」


 私の疲れ果てた表情を見て、ぴこぴは満足そうだった。

 たしかに、ぴこぴの急な登場には肝が冷えたが、気がつけば教室のアウェー感は完全に消え去っていた。

 これも魔法道具のお陰なのか、はたまた喋りやすい人間がクラスに来てくれたことに対する安堵なのか。

 肆零しあまりくんを含めて、クラス全員ぴこぴの持つ違和感には気づいていないようだった。

 彼女が魔法少女契約妖精だなんて、きっと誰一人、夢にも思っていないはずだ。なんなら当の私ですら魔法少女契約妖精が何なのかは、正直まだぴんときていない。

 日本史担当の……たしか、錆貝さびがい先生は、小声であるとはいえ私たちの会話を全く指摘しなかった。


「全員、"こうやって授業中でも喋ってるのが当たり前"って錯覚してるの?」

「そういうことピコ。でもシールについて人前で話すのはなるべく避けた方がいいかもピコ。会話のどこで違和感に気づかれるか分からないピコだし、朝方逆叉先生に効果がなかったのも引っかかるピコ。

 二人の時以外は念のため、魔法少女に関する会話は避けるピコよ」

「うん、わかった」


 疑心に駆られ周囲を見渡したが、私たちの存在を気にする影は一つもなかった。皆一様にノートへとペンを走らせている。

 私とぴこぴはまたあとで、とアイコンタクトを取り、勉学に励む大衆に紛れた。


 マジカルな素性を隠した二重生活が始まる────そこには不安を孕んだ確かな昂揚感があった。

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