第4話 魔法少女に花明かりの転校生(1)

「お、お邪魔します……ピコ」

「誰もいないから、そんなに畏まらなくても」


 ぎこちなく革靴を揃えたぴこぴは、そそくさと私の背後へ回り、さながら影のようにぴったりと後ろをついて、廊下を歩いている。

 ここに来るまでの道中もそうだったが、よほど人目が気になるらしい。


 海華わだか町を出た私たちは、とりあえず忍憑しのつく家へと帰ってきた。

 黄金山こがねやま金融ビルが瓦礫の山へ変貌を遂げたあと、私の魔法少女形態は解除されてしまい、普通の女子高生(半不登校)へと戻った。あれだけ仰々しい詠唱を行ったわりに、まだ仮契約の状態だったらしく、先刻は時間制限付きの試着に過ぎないという話だ。


 信じがたいことに、ぴこぴはあの廃ビルを根城としていた。

 住処が平らになってしまい、行き場に困っていたので我が家へ連れてきたわけである。

 そしてこれから、彼女と正式に魔法少女になる契約を結ぶ。


 普段使わないリビングに久しく電気を点けると、少しだけ埃っぽい匂いがした。


「適当に座ってて」

「はいピコ」


 海華町を出てからは、借りてきた猫のように大人しくなったぴこぴをソファに誘導してから、キッチンへと向かう。

 冷蔵庫を開けると、いつ買ったか分からない3個パックのみかんゼリーが倒れながら私を睨んでいた。他には賞味期限の切れた調味料しか見あたらない。見なかったふりをして冷蔵庫を閉めた。

 結局いつもの戸棚からカップ麺を2つ出して、お湯の沸騰を待つことにした。

 最中、ポケットに入ったままだった名刺を発見し、何の気無しに眺める。


 ────魔法少女契約妖精、木下きのしたぴこぴ。

 触り心地の良い厚紙に明朝体でそうある。


「妖精ってノンフライ麺食べれるのかな」


 ぱちん、と沸騰を知らせるスイッチ音が鳴った。



「……というわけで。正式に契約を結ぶ前に、いくつか大事な質問をさせてもらうピコ」

「どうぞ」


 二人でちぢれた麺を啜りながら、行儀悪く手続きを始める。


「少しの間だけど、アメは魔法少女になってみて、どうだったピコか?」

「どうだったって、なに?」

「な、なんというか、手応えというか、想像していたキラキラな感じと違わなかったか、とかピコ」

「面接みたい」


 真面目な顔で聞いてくるぴこぴがどこか可笑しく感じて、思わずくすりと笑ってしまう。


「だ、大事なことピコ! 本命企業だと思って真剣に教えてほしいピコ!」

「楽しかったよ」


 何やらおどおどと焦っている様子だから茶化さずに答える。これは紛れもない本心だ。

 私は魔法少女になったあの数分間、今までにない強い高揚感を覚えた。だって魔法で換装して、魔法で宙に浮いたのだ。こんな経験、誰だって心ひとつあれば躍ってしまうだろう。


「なんていうか、久しぶりに凄くわくわくした。またやりたい」

「アメ……!」


 私の真っすぐな好感触に、ぴこぴは胸を撫でおろした。そしてすぐ頭を振って自らの頬を両手で二度叩いた。ぺちぺちと乾いた音が鳴る。溢れかけた安堵をかき消そうと必死な様子だった。


「ま、まだ何個か質問があるピコ……!」

「気が済むまでどうぞ」


 口寂しさからカップ麺の残り汁を啜りながら、そう答える。見ての通り、私たちの問答には少しの温度差があった。


「屋上でも言ったけど、魔法少女の本分は人助けピコ。魔法の力を使って困ってる人を救済していくことがアメと私の役割になるピコ」

「うん」

「見たところアメは学生さんみたいだけど、場合によっては学業より優先して人助けに務めなきゃいけない時があるピコ。

 それって、アメがやりたかったことや、将来なりたい道に進むうえで、魔法少女の活動が邪魔になってしまう可能性があるんだピコ」

「うんうん」

「しかも魔法少女は、魔法少女であることをばれちゃいけないんだピコ。

 具体的な話を出すと、魔法は秘匿しないとこの世から消えてしまうピコ。恥ずかしがり屋なんだピコ。

 人々に”魔法が実際に存在する”という認知が広がることで世界から魔力が弱まっていき、やがて霧散してしまうピコ。

 逆に”魔法はフィクションの産物”という認識が蔓延はびこっているからこそ、魔法は存在を保って居られているんだピコ。

 夢見る少女とドライな大人の認知バランスのおかげで、魔法少女は魔法少女足りえているわけピコね」

「それで人目気にしてたんだ」

「そうピコ。……だから魔法少女をしたところで、経歴としても話せないし、友達にも自慢できないし、アメにとっては誰にも言えない隠し事なるピコ。それなのに生活の多くの時間を割いて頑張らなきゃいけないのは、苦痛に感じてしまうかも知れないピコ」

「ふむ」

「それに人助けの内容によっては、危険なことに巻き込まれてしまう恐れだってあるピコ。魔法少女はそりゃ一般人とは比べ物にならないくらい強いけど、それでも魔法が解けたら皆と変わらない、一人の人間なんだピコ」

「ふむふむ」

「一度魔法少女になったら72の人助けを終えるまで契約を続けなきゃいけないピコ。人によってはたくさんの時間を使わせてしまうし、途中でやめる方法が現状ないんだピコ。それは凄く大変なことだし、大した見返りもなくやってもらうには重すぎるピコだから……」

「ぴこぴは、私に魔法少女になってほしくないの?」


 否定的にも取れる言葉を繰り返すから、少し意地の悪い返答になってしまう。

 しかし自分で勧誘してきたくせに、何を今さらとも思う。今のぴこぴと話していると、出会った時の強引さが恋しくなってくる。それぐらいに気が弱い。


「ち、違うピコ! ……でも、心配や不安ごとも考えだすとキリがなくて……あの時は仮契約させちゃったけど、その時の楽しさだけで釣るのは、せっかく魔法少女になりたがってくれたアメに対して不義理ピコ……

 だからいろんな大変なことと精査して、しっかり考えたうえで答えを出してほしいピコよ」


 ぴこぴは申し訳なさそうに、けれど目線は外さずにそう語った。

 私は腕を組んで、うーんと頭をひねって考えてみた。


 こうしてみると物事を真面目に考えることを、最近はほとんどしていなかった気がする。

 それは一種の現実逃避で、私は様々な事象から向き合うことを避けて生きてきた。たぶん裏側に、自分の人生に期待しないことで保てるプライドだったり、人間関係を頑張らないことで傷つかないようにする、という自衛の意味合いを孕んでいたのだと思う。


 私が魔法少女になって、困難に立ち向かい人々を救う。


 在りえないはずの未来。一昨日までは想像もしていなかった運命。

 白紙だった人生設計に、パステルピンクの一滴が落ちる。

 そこから滲み出す景色はどんなものだろう。私の日々は色づいて見えるだろうか。

 退屈だと思ってた世界が変わる予感。

 こんな私だって期待しちゃうんだよ。


「ぴこぴ。私、魔法少女になるよ」



 一枚切れの契約書に血判を押した指先は、痛くはないけど何だか寒いような感覚が残っていて、それを誤魔化すためだけに絆創膏を貼った。

 私もぴこぴも急に疲れが押し寄せてきて、気が付いたらリビングで寝てしまっていた。


 魔法少女の勧誘。

 今はもう嘘のように消えたが、腕に刻まれた光る文字。ただ静かに夜を眺めていた彼女。廃ビルでの不自然な爆発と倒壊。魔法少女になった自分。


 魔法少女契約妖精、木下ぴこぴ。

 彼女はどこからやってきて、いつからああして来るかもわからない誰かを待っていたのだろう。

 屋上で盗み見た、物憂げな彼女の姿を回想する。

 揺れる撫子色の髪。揺れる。ゆれる……



 香ばしい香りが鼻腔をついて、目が覚める。

 リビングのテーブルにかかっていた薄埃は綺麗に拭き取られ、そこには目玉焼きののったベーコントーストが置いてあった。作り立てのようでまだ湯気が立っている。


「アメ、起きたピコか! おはようピコ~。

 ご飯作ったから、顔洗ったらすぐおいでピコ」


 エプロン姿のぴこぴがうれしそうにこちらを覗き込んでそう言った。

 バッと勢いよく上体を起こし、たれかけていたよだれを拭う。

 人に寝顔を見られていた事実に気が付くと、瞬く間に顔が熱くなった。焼けた小麦の匂いに釣られてお腹まで鳴るものだから、私の顔は一層に熱くなる。


「おっ……おはよう!」


 慣れない挨拶の言葉を口馴染み悪く放ち、ぴこぴの指示通り、急いで顔を洗いに行く。

 きりきりと顔を洗い、歯を磨く。

 私は朝にめっぽう弱いが、匂いたつ朝食を前にしてのみ、それは些末事だ。


「おはよう。ご飯作ってくれたんだ。そんなにしないでもいいのに」


 何事もなかったかのように食卓に座ると、ちょうどぴこぴが2つのマグカップにお湯を注いできたところだった。三角のティーパックがゆっくりと熱湯に揺れる。


「料理は良いピコ。精神の安定を促し、ほどよい集中が続いて、やがてゆっくりと脳が動き出すピコ。

 アメは朝食パン派ピコか?」


 よくわからない語りの後に、質問を投げかけられる。私は全然覚醒していないから、パン派というフレーズ以外は全て耳を留まらず通り抜けていった。


「基本朝は抜いちゃうけど、しいて言えばパン派かな」

「朝食抜きなんてもったいないピコ! 朝昼晩三食の中では朝ごはんが一番大事な役割を担っているピコよ。私はお米派ピコけど、今日はなんとなく新しい日になる気がしたから普段と変えてパンにしてみたピコ!」

「へー……」


 香り立つ食卓を前に御託はいらなかった。トーストから目を離せなかった。


「ぴこぴ、冷めちゃう……」

「それもそうピコね! それじゃあ魔法少女アメに乾杯ピコ!」


 その言葉で一気に現実に引き戻された。

 目の前ではぴこぴがにこにことマグカップを近づけてきていたから、合わせて乾杯をした。ちん、景気は良いが鈍い音が鳴る。

 そうだ。

 私、魔法少女になったんだ。


 噛り付いたトーストの味は絶品で、舌の根から全身が喜んでいるのが分かった。食に興味ないふりをしてたけど、私美味しいものが好きだ……

 今までの蛮行じみた言い聞かせに涙が出そうになる。


「ぴこぴ、おいしいよ。ありがとう」

「それは良かったピコ!」


 合間に飲む紅茶で、食の深みは一層に増す。幸せとトーストを嚙み締める。


「ん……? 何そのほっぺの」

「お! 気がついたピコか! さすが魔法少女ピコね」


 昨夜と打って変わり元気印のぴこぴの頬に、きらきらとしたハートのシールが付いていることに気がついた。


「なんでも魔法少女に絡めるじゃん」

「いや、これは本当に魔法少女だから気がつけるアイテムピコ! ただのオシャレじゃないんだピコよ」


 ぴこぴはひと呼吸おいて、自慢げな表情で自らの頬を指差した。


「魔法少女七ツ道具、其の一──”錯覚シール”ピコ!」

「錯覚シール?」

「これは相手に認識改変を施す魔法のシールピコ。

 例えば学校に犬が迷い込んだとして、このシールを付けた犬なら何の騒動にもならずグラウンドを駆け回れるんだピコ! 猫でもゾウでも関係なくピコ!」

「それって消えてるように見えるってこと?」


 私の言葉を聞いて、ぴこぴが舌を鳴らしながら指を振る。むかつく。


「ちっちっち。もっと凄いピコよ。消えたように見えるんじゃなくて、いても違和感のないように錯覚させることができるんだピコ!

 もし授業中に堂々とマンガを読んでいても、これは『当たり前の光景』であるという錯覚を呼び起こし、見る者を無理やり納得させちゃうのがこの魔法道具ピコ!」

「お~地味だけどすごいね」

「ただ、注意点が2つあるピコ」

「なに?」

「見る側依存の魔法道具だから、もし一人が『教師に許可を取って漫画を教材にしている』と納得したのに対して、別のもう一人が『教師に呆れられて指導を放棄されている』と納得した場合、この二人がそのことについて会話した際、齟齬が生まれて、違和感に気づかれる場合があるピコ。そしたら認識改変が解けちゃうから、そこは上手くやる必要があるピコ。

 あともう一つ……」


 ぴこぴがずい、とこちらに寄る。注意喚起の意味を強くしようとしているのだろうが、全く圧が出ていない。


「魔力のある人間には、そもそも錯覚シールの存在自体を見抜かれてしまうピコ。さっきのアメみたいに。その時点で対象に対してシールは効果を失ってしまうんだピコ」

「へえ、なるほどね。で、ぴこぴはなんでそのシールつけてるの?」

「見ての通り髪色が派手すぎるからピコ。黒髪の状態でいるのは魔力を消耗するから、魔力消費削減の意味を兼ねてでもあるピコね。あと語尾の違和感も許されるからってのもピコ」

「あー……」


 おっしゃる通り彼女は目立つ。一般社会おいて違和感がありすぎるキャラクターをしている。


「便利なアイテムだから、つけておくだけで何かと都合が良いピコよ。これのおかげで注目の的にならずに今朝の買い出しにも行けたんだピコ。

 そしてもう一つ、大事な役割があるんだけど、それは学校に行ってからのお楽しみピコ」


 何か企んだ顔で笑うぴこぴ。別になんだっていいが、昨晩の弱弱しさは完全にどこかへ消え去ったようで何よりだ。


「そんなに便利ならずっとつけとけばよかったのに」

「それができれば苦労しないピコ! この魔法少女七ツ道具はその名の通り、契約してくれる魔法少女の存在がなきゃただのキュートなシールなんだピコ。魔法少女アメ様様なわけピコね」

「そうなんだ。たくさん感謝しといてね。

 ……ごちそうさま、おいしかった」

「! おいしかったピコか!」


 話を聞きながら朝食を平らげると、ぴこぴはうれしそうに小さく跳ねた。


「うん、本当においしかった。シールの説明ほぼ聞けてなかったぐらい集中して食べちゃったし」

「それは……! うれしいけど、複雑ピコ……」

「うそうそ、魔法道具それの凄さもちゃんと伝わったよ」


 ほっとぴこぴが胸を撫でおろす。そうしてすぐに、私と彼女自身の空になった皿を下げようとしたので、私は慌てて止めに入った。


「いいよ、作ってもらったし、洗い物ぐらいこっちでするよ。後でだけど」

「全然いいピコ! アメはそこで食休みしていてピコ」

「そういうわけには……」


 別に洗い物なんてしたくはないが、頑張っている人がいると、自分も相応に頑張らなきゃいけないがして落ち着かない。

 立ち上がったところで、インターホンが鳴った。


『おーい、飴ー。起きてるかー』


 スピーカー越しのノイズを軽く乗せて、けれど落ち着いた品のある声が部屋に響いた。

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