第3話 魔法少女に始まりの日(3)
「────ぴこぴ……っ!」
老朽化が進んだビルの屋上。時が来たかと崩れたウレタン塗装の足元。突如として姿を消したぴこぴ。
焦燥のまま叫ぶと、少し低い位置から声が返ってきた。
「や、やばい……死ぬピコ……!」
「無事!?」
「無事とは言い難いけど無事ピコ! アメは大丈夫ピコかー?」
「私はだいじょうぶ……」
崩れ落ちた床下を恐る恐るのぞき込むと、もはや建物は半壊した状態で、先ほど上がってきた1階の錆びれたフローリングが見えた。なかなかに遠い。眩暈のする高さ、落ちればまず間違いなく死に至る高度である。
ひっ、と思わずしゃくるような声が漏れる。
屋上から1つ下層、破れた床板から剝き出しとなった鉄骨にぴこぴは間一髪しがみついていた。
「ま、まじで死ぬピコ……」
「すぐ向かうから踏ん張ってて!」
私は間髪を入れず屋上から走り出し、一段飛ばしでぴこぴが耐え忍ぶ階層へ降りていった。
あまりにも急に起きた崩壊。老朽化だけでは説明がつかない。
それに、あの爆発音……嫌な焦燥感が湧き出る。
「なっ────」
到着した元
「アメ! 来ちゃだめピコ!」
入口から反対側に面した鉄骨に掴まっているぴこぴ。互いの姿は視認できるものの、こちらからでは到底手が届かず、救出のしようがない状態になっていた。
「ぴこぴ!」
「早くビルから離れるピコ! アメまで巻き込まれちゃうピコ!」
……私が今いる6階入出扉から、ぴこぴの掴まる鉄骨の端まではおよそ2メートル。
──高校一年生女子、立ち幅跳び全国平均約1.69メートル。
──忍憑飴、自己ベスト記録1.55メートル。
────この瞬間、塗り替えれば問題なし!
「少し耐えてて!」
「っ……アメっ……」
……恐怖心も動悸も置き去りにして、勢いのまま跳ぶ。
だから今日、この位置に手が届いたんだろう。
鉄の橋に両手両足を叩きつけて着地すると、大きな衝撃音と振動が響いた。ぴこぴは恐怖のあまり固く瞑っていた目を、恐る恐る開いて、私の方を見た。
私は今になって震えだした手で、やっと不器用なピースを作って彼女に見せつける。
「よっ。助けに来たよ」
「……あ、アメ……!」
ぴこぴは大きく見開いた、そのまんまるの瞳に涙を湛え、やがて思い出したように吠え出した。
「なんでこんな無茶するピコ! すごくうれしいけど、怪我したらどうするつもりピコ! でも本当にありがとピコ!」
「いいから、ほら」
私が差し述べた手を、ぴこぴは少し躊躇ってから、やがて照れくさそうに掴んだ。
彼女を鉄骨の上に引き上げてすぐ、私たちはその場にへたり込んだ。安堵のあまり両脚から力が抜ける。不安定な鉄骨のうえに二人、実は状況が一向に好転していないことも気づかない程度には、やり遂げた錯覚があった。
「アメがいなかったら、私は間違いなく瓦礫の下敷きになってどろどろだったピコ……本当にありがとうピコ」
「感謝はまたあとで聞かせてもらうとして、早くここから脱出しようか」
「うん! 二人で奇跡の生還ピコ!」
なけなしの力を振り絞って立ち上がろうとした瞬間────また先刻と同様の爆発音。視界が揺れる。
無慈悲にも鉄骨は支柱から剥がれ落ち、私たちを乗せたまま、ずるりと傾いた。声を出す暇もないまま、鉄骨と共に宙へと投げ出された二人は、その勢いのまま掴んでいた鉄骨からも放り出された。
即ちそれは、私たちの命綱が切断されたに等しい事実だった。
「ぴこぴ……終わったかも」
「あ、あめ、し、し、しぬ、ぴ」
宙にふわりと浮いてから落ちるまでの瞬間、既にぴこぴは泡を吹いてた。私も喉まで湧き上がってきている。
急降下。二人分の絶叫が響き渡る。
死。落下死。膨れ上がる刹那。流れる走馬灯。有終を飾るエンドロール。
……両親が死んだこと。
学校にはあまり行かなかったこと。
友達は作らなかったこと。
祖母が優しかったこと。
祖母が叱ってくれたこと。
祖母の料理がたまにおいしかったこと。
祖母は私の話をいつも楽しそうに聞いてくれたこと。
祖母が悪いことだけはするなと口酸っぱく言っていたこと。
祖母が私の生き方を肯定してくれたこと。
祖母が入院したこと。
祖母は私の話をいつも楽しそうに聞いてくれたこと。
先生が世話を焼いてくれたこと。
変な勧誘に出会ったこと。
木下ぴこぴという妙な名前の少女だったこと。
彼女が必死に叫んでいたこと。
誰かの名前を呼んでいたこと。
────ぴこぴが私の名前を、呼んでいること。
「────アメ!」
「──……ぴこぴ!」
意識を引き戻した私は、ぴこぴの伸ばした手を必死の思いで掴む。
強風に煽られながら、掴み取った手のひらのぬくもりは、今生きていることの証左だった。
地上までおよそ20メートル。
今の私とぴこぴでは助かる見込みがない。
ただ一つ、方法があるとすれば、
────今こそ、憧れの姿に手を伸ばせばいい!
「アメ! 一緒に唱えるピコ!」
ぴこぴも同様の考えに至ったらしく、私は彼女の言葉に真っすぐ頷いた。
『二十五時の鐘、鎮魂の楔、羊の手をひいて唄う。汝、朧月夜の影』
聞きなれない単語を倣い述べる。
ぴこぴが私を見て、覚悟を決めたように目を閉じた。
『────
瞬間、眩い光が辺り一帯を包んだ。
深夜のゴーストタウンに、閃光のような光の波が走る。
その輝きの中心で、私の掌には真紅色の粒子が形を成そうとしていた。椿の蕾だった。
これが可視化された魔力の結晶であると、直感で理解する。
やがて花開いた椿の花の結晶を、私は躊躇いなく掴んだ。すると魔力の粒子は私の全身を包み込むように流れ出す。
それが換装開始の合図だった。
……闇夜を連想させる黒。それを基調としたゴシック装束。随所にあしらわれたワインレッドのリボン。レースのついた漆黒のスカートが風に膨らむ。
私を包んでいた魔力の粒子が、淡雪のように霧散する。
現れた私は、正しく夢に見た──魔法少女そのものだった。
携えたフリルの傘を開くと、落下するはずだった地面に大きな
傘を閉じると、魔法陣は役目を果たして消え去った。
ぴこぴと繋いだ手はそのままで、私たちは顔を見合わせた。
「い、生きてる……」
「生きてるピコ……」
私たちがきょとんとしている最中も、背後の廃ビルは絶えず瓦解を進めている。
最後に一際派手な爆発があって、廃ビルは廃ビル跡地となろうとしていた。
華美な衣装を身にまとった私はどうやら無敵らしく、瓦礫やガラス片は自分を避けて落下しているようにさえ思えた。事実、そうだったのかもしれない。
「アメーー!」
そんな状況にそぐわない温度感で、ぴこぴが胸に飛び込んでくる。
ぐずぐずの顔で抱き着いてくるぴこぴをよそに、私は未だ夢の中に置き去りにされているような感覚だった。
上がる土埃にも一切我関せず、夢を見ている。
ばあちゃん。天国のお母さん、お父さん。
私、魔法少女になっちゃった。
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