第1話 魔法少女に始まりの日(1)

「魔法少女に興味ありませんか?」


 あまりに突然で荒唐無稽な問いかけに、私は自らの鼓膜を疑った。


 高校一年、夏至の今日。

 今朝はどうにも登校する気分になれなかったから、無断で学校を休んでしまった。

 家に居ても退屈だという分かりきった答えに至り、やることもなく隣街の公園をうろついていた昼下がり。ベンチで呆けていたところに目を付けられたわけだ。


「……え」

「魔法少女だよ、魔法少女! 興味あるでしょ」


 魔法少女。

 三度放たれた聞き馴染みのあるような、はたまたないような言葉。その言葉が決め込んだスーツ姿の女性の口から発せられることの違和感。

 困惑のあまり声が出せずにいると、正体不明のスーツ女性は馴れ馴れしく、話し出した勢いのまま、私の両手を掴んでベンチから立ち上がらせた。


「アニメとかで一度は見たことあるでしょ! 悪いやつやっつけたりするアレ! アレが魔法少女! 知ってるよね……知ってるピ、ピコよね」

「魔法少女は知ってるけど……というかぴ、ぴこ? な、なに?」

「今は気にしないでいいピコ!」


 スーツで魔法少女でおまけにピコ。

 夏の外気に当てられたのか彼女の顔は真っ赤で、私とは対照的だった。


 ……やばい人に捕まってしまった。

 青ざめた表情と脳で、ある噂話を想起する。

 この公園では夜中に薬物の取引が行われているという噂。男子トイレのゴミ箱に空の注射器が捨ててあったと、クラスで話題に上がっていた覚えがある。

 取ってつけたような語尾に様々な憶測と不安を煽られながら、私は静かに、むやみやたらに彼女を刺激しないようにして次の言葉を待った。からからの喉が鳴る。

 対してスーツ女性は切羽詰まった様子で、言葉よりも先に私のパーカーの袖を捲り上げた。


「えっ?」

「ごめん! 時間無い。ピコ」

「えっ、えっ!?」


 次の瞬間、彼女が懐から出したなにかが、私の右腕に触れた。


 ──注射痕。静脈注射。正中皮静脈。依存症。後遺症。刑務所暮らし。新人いびり。掘って埋めて、週3回の入浴。束の間のキャッチボール──


 かげりあるこれからを想像した脳とは裏腹に、鋭いほど敏感になった皮膚は、注射針の痛みを知覚しなかった。

 それもそのはず、腕に触れたそれはよく見ると注射器などではなく、ただのマーカーペンだったのだから。

 想定外の出来事に対する恐怖。注射を刺されたわけではなかったことへの安堵。理解できないことの連続に私の情緒はショートし、何も思考せず彼女の奇行を受け入れることを選んでいた。

 書き終えたのか彼女はペンをしまい、私の袖を元に戻した。


「驚かせてごめんピコ。そのインクは勝手に落ちるから安心してピコ。あなたが少しでも魔法少女に興味があったら今夜9時、その腕を見てほしいピコ」

「は、はぁ……」


 それと最後に、と彼女は一拍置いて言った。


「────魔法少女の力は、あなたがきっと……近い将来、大切だと思える人。その人のために絶対役に立つから、どうか忘れないで」


 そう言い残し、彼女は嵐のように去っていった。


「……これ、夢?」


 いくら何でも突飛すぎる出来事に、脳の処理が追いつかない。気になって右腕を確認するも、そこには何も書き込まれていなかった。

 あれだけの衝撃の後にも拘わらず、まるで最初から何事も起きていなかったかのような不思議な感覚。思わず首を傾げる。

 先の出来事が夢か現か甚だ疑問だ。スーツの彼女も本当は存在しなくて、全部陽炎が見せた幻想だった可能性すらある。

 私──忍憑しのつくあめの生きてきた15年間の中でも、際立って奇妙な体験だった。

 

「……帰ろ」


 呆気に取られたまま、私は帰路に着いた。



 日没後の我が家はめっぽう暗い。

 父が貯金のほとんどを崩し、現金一括払いで買った一軒家だが、今では私以外の住人はいない。両親は私が幼い頃に死別していて、残った唯一の親族である父方の祖母も、現在は入院し療養生活中の身だ。

 だからこの家に、私以外の手で灯りが点されることはない。


「ただいま」


 おかえりなさい、と返す声。用意された温かな食事。笑顔で迎えてくれる家族。それらは過去の産物で、私にとっては記憶の中の事象でしかない。

 無音の自宅。玄関を閉めればその閉塞感は弥増いやましになる。孤独。寂寥。もう慣れたものだ。


 一直線に自室へと向かう。

 私ほど敷地面積を持て余している女子高生は他にいないと思う。3LDKという一人で住むには十二分すぎる間取り。生活するうえで必要なスペースなど自室と水回りぐらいだから、四人家族を想定して建てられたここは些か広すぎる。


「晩ごはん……カップ麺でいいや」


 あらかじめ水を入れておいた電気ケトルのスイッチを押す。

 結局いつもカップ麺に頼ってしまう。キッチンまで移動する必要もないし、調理工程もお湯を注ぐだけ。楽さ手軽さをこれでもかと突き詰めていて、尊敬すら覚える。食への関心が薄い私にはこれ以上ないほど理にかなった食事だ。

 三分が経ち、ちぢれた麺を啜った。単調で濃い味のスープが絡んで、舌の根が最高に飽きを感じている。毎日毎日似たようなものばかりを食しているのだから、当然の食傷だろう。


「明日はカップ焼きそばにしよ」


 そういったローテーションでこの食傷をかわすのだ。早死にすることだろう。元から長生きするつもりもないけど。天国ではまたよろしくお願いします。心の中で亡き家族にそう伝える。


「食べたら眠くなってきた……シャワーは……明日の朝でいっか」


 動物の本能が私をベッドへ誘ったので、抵抗せず従うことにした。明日は金曜日。6時までに起床できたなら、シャワーを浴びて学校に行こう。目覚ましのアラームはセットしない。なぜならそれは自然の摂理に反することだから。身を任せることが大事なのだ。風に吹かれた広葉樹の葉がそうであるように。起きられなかった時はその時だ。

 そうして私は部屋の照明を落とした。



「ん……なに……?」


 目が覚めたのはおよそ3時間後……ちょうど夜中の9時を回ったところ。

 突如として差し込んだ眩い閃光が、私の閉じていた瞼と意識を抉じ開けた。

 寝ぼけて照明のリモコンを操作してしまったかと思ったが、違う。

 天井へ向けて右手を掲げる。

 ──右腕に書き込まれた文字列が、蛍光色の光を放っていた。

 思わず飛び起きる。


「これって……」


 公園での出来事はやはり夢ではなかったんだ。

 私はスーツ姿で語尾がピコの不可思議な女性に、「魔法少女に興味はないか」と話しかけられていたんだ。現実味が無さ過ぎてにわかには信じ難かったが、この光が事実であることを証明している。

 そしてこれが非科学的な灯りであることも何故だか肌で感じることができた。

 魔法。およそ現実的ではない現象、その一端を今目の当たりにしているのだ。

 文字列の内容は────


『明日午前零時、空草からくさ海華わだか町2-4-2、黄金山こがねやま金融ビル屋上』


 魔法少女に興味があるなら、指定時刻にこの住所まで来いということだろうか。


「いくらなんでも怪しすぎる……」


 口ではそんな言葉を吐きながら、私の心は今までにないほどに躍っていた。

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