まよなかネイルボックス~顔の良い後輩に足を舐めさせる約束をしてしまった件について~

揺井かごめ

0.約束

 足を洗う、という言葉がある。


 確か、悪い事ときっぱり離縁する、という意味で使われる言葉だったはずだ。手を染める、とか、手を切る、とか、悪縁にまつわる言葉は『手』の方が多い。にも関わらず、この言葉では、わざわざ足を洗う。


 何故なのか。


 話は変わるが、俺にとってこの言葉は高校の卒業式と縁深い。この言葉を聞くと、俺は、どうしてもこの日を思い出さずにいられない。


 長い髪を切り、制服のスカートとローファーを脱ぎ捨てた日。

 女子らしい女子のコスプレから『足を洗った』日。


 そして、生まれて初めて、赤の他人に『足を洗われた』日。


 俺の足を洗ったのは、演劇部の後輩だった。その日初めて、俺は、そいつの家に呼ばれた。


 月の形をしたテーブルランプ。

 黒い絨毯。簡素なパイプベッド。

 ゆるく波打つ洗面器の水面。

 カラフルな小瓶が詰まった、真四角な黒い箱。


 そいつの部屋についての記憶は、それで全部だ。物の少ない、薄暗い部屋だった。そこに入ったのは、後にも先にも、この一回きりである。


 そいつの用事が全部終わって、俺が出ていく直前。玄関のドアを閉めかけた、その時。


「……レイ先輩」


 俯いたままのそいつは、か細い声を震わせながら、俺に言った。


「ありがとうございました」


 ────ごめんなさい。


 俺には、その頼りない声が、そう言っているように聞こえた。


「おっと、言い逃げは感心しねぇぞ、トモエ」


 閉じかけた扉に足を挟み、半身を乗り出して、そいつの顔を無理矢理のぞき込んだ。


「次あった時は、一回千円な」

「え……?」


 次なんか絶対来ないと確信していた。それでも、自分の気持ちを優先して、俺は嘘を吐いた。


 最後に見るそいつの顔は、できるなら、笑った顔が良かった。


「俺で良けりゃあいくらでも、足、舐めせてやるよ」


 俺は確かに、この口で、そう約束した。


 だから、これは罰だ。

 中途半端にトモエと繋がっていようとした、俺への、罰だ。


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