第10話
その頃、クリスはすみれと青白い顔をしたニーナを連れて湖へ水を汲みに行った。すみれは砂利石の上に放置された倒木に腰をかけてその隣でクリスに腕を差し出した。クリスは少し血が滲んだ袖口を捲りあげて傷口を確認する。
「申し訳ございません」
それを見たニーナの顔はますます血色を失い、地面に膝をつき頭を大きく下げた。
「や、やめてください。こんなのかすり傷なんですから」
すみれはニーナを励まそうと怪我をした腕を何でもないと振って見せるが、クリスから「すみれ『様』」と睨みを利かされその腕をとられた。「ごめんなさい…」思わず肩を窄める。
クリスは汲んできた水をゆっくりと傷口に流す。びりっと電気が走るような痛みに少し眉を顰める。外側の手首に一筋の傷ができているが、血が流れる程のものではなかった。
「でも…」
ニーナは自分の不注意を恥ずかしく思い顔を伏せた。
先の瘴気の獣と対峙した時、戦えないすみれとニーナは獣と距離を取って騎士たちの戦闘を見守っていた。それ程大きな獣でなかったことと、精鋭の三人の騎士のおかげでそれほど難儀することもなかったが、ほんの油断だった。近くで見る戦闘は初めてのニーナは腰を抜かしそうになりそうでよろめいた。なんとか踏ん張ってみたが、こぶしくらいの石に足をとられて転びそうになったのである。それに気づいたすみれはすぐにニーナの手をとったが、その際伸ばした手首が飛び出た枝でひっかき傷を作ってしまったのである。
「無理についてきて、私のせいで聖女様に怪我までさせるなんて、私…」
「ニーナさんのせいじゃないですよ。それにニーナさんが来てくれて助かってますよ、ね」
「ええ。このような空気の澄んだ良い休憩所も、貴女が居てこそ見つかったんだもの」
ダンテの町までまだ時間がかかるので、すみれの治療を兼ねて野宿できる場所を探そうと話になった。するとニーナがいい場所があると連れてきたのである。そこは森の中の、精霊が多く住み着いている小さな湖だ。精霊が多くいる場所は清浄で瘴気の獣が近づきにくい。
「精霊の声が聞こえるニーナさんだからこそ見つけられた場所なんでしょうね」
「トレヴァー司祭様が仰ってました。初代聖女のアナスタシア様や騎士様が建国なさった時代には私のような精霊の声を聴く人はもっと多かったんだって。清浄な土地を探して、聖堂を建設していたんだそうです。時代と共に必要がなくなって、廃れた力なんだと。これまで役立てる力じゃなかったから、とても嬉しいです」
ニーナはそう言ってはにかんだ。故郷のフラーメン村やヴェニエス町でも信じてもらえなかったり、時に気味悪がられたりした。両親や、親しい友人のヒューでも信じてはくれたが、どこか壁を感じていた。
唯一信じてくれたのはトレヴァー司祭だけであった。
―――いつか必ず役立てる日がくる。信じて待ちなさい。
そう言って励ましてくれたトレヴァーの言葉が心に染みる。ニーナは斜めにかけた自身の鞄に目を落とした。中に入っているトレヴァーから預かった司祭帽を鞄を介して撫でた。自分の力が役に立っていることがこれまでにない喜びがニーナの胸に芽生えていた。
ニーナのはにかんだ笑みにクリスとすみれは顔を見合わせて安心して笑みを交わす。
「あれ?」
傷の治療しようと目を落とす。そこにあった一筋の傷がさっきよりも薄れているように見えた。気のせいかと目を見開き視線を近づけてみるが、やはり傷が小さくなっていき、そのまますっと消えた。
「これは一体…」
クリスとすみれは顔を見合わせて、目の前で起きた様相に目を瞬かせるばかりだ。しかしニーナは驚くこともなく小さく笑って言った。
「精霊が喜んでいるみたいです」
ニーナが言うには湖にいる精霊たちが『聖なる』『水』『癒し』『光』と心が浮き立つような感情に乗せてお喋りをしているそうだ。
「水の大精霊様による癒しの加護です。大精霊様の気を纏っているが小さい精霊たちには嬉しいみたい」
思い返せば小さな傷は旅の間でよくできていた。すみれは自分の傷が、以前よりも治るのが早いと自覚していたが、大精霊の加護によるものだとは知らなかった。
「そうだったんだ。少しの怪我なら安心だね」
「全く!変なこと言わないで気を付けてくださいね」
クリスが口をへの字にして叱るとすみれは舌をぺろっと出して謝った。ささやかなじゃれあいの中でふとクリスに疑問芽吹きニーナに訊ねた。
「ニーナさん、大精霊様の加護というのは周囲にも影響がありますか?」
「どうでしょうか…精霊たちもわからないそうです」
「そう、ですか…」
「でも聖女様のお近くにおられる聖騎士様方なら加護が与えられても全くおかしくないと思います。精霊たちは好きな人間の傍にいるのだから、大精霊様だって加護をお与えになるくらい聖女様はもちろん、聖女様を守る騎士様を好いていてもおかしくないでしょう?」
ニーナの
でもそれまでの傷はどうだっただろう。人より少し丈夫なだけと思っていたが本当にそうなのだろうか。
白銀髪の騎士と黒髪の聖女 桝克人 @katsuto_masu
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。白銀髪の騎士と黒髪の聖女の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます