第8話

ヒューの言葉に耳を疑ったのはクリスとオリヴィエだった。


「精霊の言葉が解るんですか?大精霊ではなくて」


オリヴィエが信じられないと口の端を片方だけ震わせた。馬鹿にしているつもりはないが、ヒューの言葉をそのまま信じることなんて出来なかった。

この世界の住人にとって精霊は身近な存在であり尊ぶべきものである。目には見えずともすぐ傍にいる。水が潤って作物が育つことも、火を起こして暖をとったり、料理ができることも、時に日差しが強い日や寒さに凍える日があってもそれは精霊が存在するからである。精霊は人の営みの隣にあることが当たり前なのである。

しかし精霊の言葉が理解できるなんて、子供が他人の気をひきたい時に使うような稚拙な嘘か、下手な詐欺師が金を巻き上げる時に使いそうな作り話なのだ。四大精霊ならともかく、数多の精霊と話せるというのはあまりにも眉唾で到底信じることができない。


「…はい」ニーナは声を絞り出すように声にする。

これまでも嘘つきと罵られたり嗤われたりしたことで、恥ずかしさから声が小さくなり、視線を落とす癖がついてしまっていた。

恐る恐る視線をあげると、誰もが困惑している中ですみれはまっすぐにニーナを見つめていた。自分の言葉を聞いてくれる姿勢がニーナの心に安心感が芽生えさせた。


「精霊の言葉は喋ると言うより音楽のようで歌っているように聞こえます。私はその音で何を言っているのかがわかるんです」


しばし沈黙が流れる。その間クリスとオリヴィエはどうにも信じられないと顔を見合わせた。ヒューも無理はないと半ば諦めの表情であった。やはり信じてもらえないかと悲しさと恥ずかしさでニーナは眉を寄せて口をぎゅっと堅く結ぼうとした。そのときである。


「さっきも精霊の言葉を聞いていたんですか?」


真剣なまなざしと口調は緊張で心身ともに硬直しているニーナにわずかながら勇気が湧きだした。


「は、はい。≪光≫とか≪射る≫とか≪聖なる≫とか、しきりに訴えているようでした。ほら、神殿の光をご覧になったでしょう。あれのことだと思います」


皆が確認した黒い空に丸くあいたように見えた光のことだろうと頷く。「空に向かって矢を打つってことでしょうか」とクリスは会話の道を作る。


「でもそんなことして何の意味があるんだ?それにこんな風の中じゃまともに射てやしないよ」


オリヴィエは騎士学校の訓練時代に使っていた弓矢を想像した。魔物の討伐で使用したことは何度かあるが、飛距離はそれほどない。それにクリスやヒューも同意する。


「誰でもいいわけじゃないようです。神聖なもの…おそらく聖職者、それに連なるもの、それから…」


皆がすみれに目を向ける。この世で誰よりも清らかさをたたえている聖女こそがふさわしいと納得する。


「私ですか」

「すみれ…様、失礼ながら経験はおありなんですか」


オリヴィエはこれまでの旅を振り返ってみるが、いわゆる『戦闘』に関しては得手不得手と問われれば不得手だと思われる。実際に武器を扱うことはないし、それ以前に聖女付きの騎士が二人いる時点で不要だ。ただ長旅にもついていけているので体力は意外とあるなと感心していた。


当然ながら、すみれはこれまで戦うために武器を手にしたことはない。少し前のことなのに遠くなった前の世界のことが脳裏をよぎる。育ての親から勧められた弓道は、すみれにとって心身を整えるものである。心を落ち着かせる手段であっても、戦うためのものではない。大会でよい成績を残すことを目標に掲げて競う、あくまでも武道であった。

この世界にやってきて、『戦闘』があまりにも身近であることに多少なりともためらいがあった。


「戦うためではないけれど、弓なら、一応」


遠慮がちに答えてみたが、よくよく考えてみても空に向かって射るなんて当たり前だが届くわけがない。近的の経験しかないすみれに到底無理な話である。


「で、でも実戦経験はないし、あんな遠くに射るなんてさすがに無理…ですね」


できるわけないのに、経験があるなんて言わなければよかったと後悔した。


「そう落ち込まないでください。男でもあの距離を射るのは無理がありますよ。あまりにも非現実的だ」


打つ手なしかと各々ため息をつく。


「≪火≫」


空をみつめてニーナがつぶやき始めた。


「≪聖なる≫≪火≫≪力≫」

「精霊の言葉か?」


ヒューの問いかけにニーナは何度か首肯してからきょろきょろとあたりを見渡して、或る一点を見つめる。「あちら側へ向かって欲しいみたい」そう言って指さした方角を皆が視線を向けた。


「方角からして火の大精霊がいらっしゃる神殿がありますよね」頭に叩き込んだ地図を思い出すようにこめかみを指で叩きながらクリスは確認するように問いかけた。誰の答えを待つ前に「火の大精霊のところへ行けば突破口がつかめるのかも」と続ける。


「確かにここで悩んでいても解決はしそうにないし行ってみるか」

「そうですね。精霊様の言葉なら意味があると思います」


「聖女様!」ニーナの大きな声にすみれは驚いた。


「私も一緒に行っちゃだめですか?」

「ニーナ!?何を言い出すんだ。聖女様の巡礼は遊びじゃないんだぞ」

「そんなのわかってる。でも、どうしても…」


「私は構わないんですが…どうしましょう」


クリスとオリヴィエも悩んだ。聖女の騎士は聖女を守護することが任務であり、いざニーナが危ない目にあった時に対処ができないのである。


「護衛に一人騎士をつけてもらえますか。もしよければ、ヒュー殿、あなたとか」


オリヴィエの指名にヒューは後頭部を掻いて「それは…」と口ごもる。


「いや、はい…聖女様付きの騎士殿に言われちゃ断れませんよ。うちの騎士団長に報告してからの出発でもよろしいですか」


ヒューの言葉には仕方がないといいつつも若干乗り気な声色であった。聖女一行に同行できる名誉は恐れ多くもありながら、こんな機会は一生ないかもしれないと思うと心が浮き立つのも当然といえるだろう。

しかし何よりもヒューがここ一番喜びをにじませたのは、ニーナの感謝の言葉と笑顔だった。



木の陰に隠れていたフードマントの男はじっと様子をうかがっていた。目深にかぶられたフードの中から、ぎらりと光る赤い目がすみれを捉えている。口元には不気味な笑みを浮かべていた。


「火の大精霊か」


そう言うとフードマントを翻し森の奥へと姿を隠した。

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