第7話

ニーナのどんぐり目がすみれの双眸を捕えて離そうとしない。両手も同じようにそうした。すみれの手は少し痛みを感じる程に力強く握られた手は少し震えている。少しでも安心してもらえるようにもう片方の手をそっと添えた。


「ニーナ!何してるんだ!」


ヒューはニーナの態度に青ざめ、慌てて首根っこを掴んで、すみれから引っぺがした。ニーナは漸く失礼をしているのだと自覚して頭を下げる。


「た、大変失礼いたしました。聖女様がいらっしゃるなんて夢にも思わず」

「いいえ。あなたがニーナさん?」

「は、はい。ニーナと申します。フラーメン村のトレヴァー司祭様の下で聖職者の見習いをしております」


最初の勢いは嘘のように声がだんだんと小さくなり、背中を丸めて視線が下へと向かう。


「あ、あの」ニーナは一呼吸置いてから顔をあげてもう一度すみれと目を合わせた。「聖女様がいらしてくださったってことは、トレヴァー様を助けてくださるんです、か?」

「ニーナ、司祭様はもう…」

「いいえ、絶対そんなことないわ。神殿の中ならきっと安全だって言ってたもの」


力強い眼差しと口調にヒューは怯んで口を噤む。ニーナは荒れた口調に自分で驚き落ち着こうと二度三度意識的に息をした。


「一度村の様子をこの目で確かめたいので案内をしてもらえませんか」


マルセル宅から見た街を覆う砂埃。マルセルやヒューの様子から想像するよりずっとフラーメン村は酷い有様なのかもしれないと思うと、トレヴァーが生きていると簡単に大丈夫とは言えなかった。

それでも実際に行ってみれば何かしら神殿に近づく術があるかもしれないと思い、すみれが訊ねると、不安や恐れから再び視線を床に落としていたニーナがはっと顔をあげてから細かく首を横に振る。


「そんなの駄目です。危なすぎます。聖女様を危険な目に合わせるなんてとんでもないことです。嵐で近づくことも出来ませんし、瘴気も蔓延しています」

「どこか村を見渡せるような場所とかありませんか?」

「村は森が深い場所にあるので確実に村に辿り着くには、この町から行くしか道はありません」

「ではせめて行けるところまででもお願いします」


ヒューは渋い顔のままうーんと唸った。暫く考えたがすみれの眼差しに折れるまでに時間がかかることはなかった。


「わかりました。俺が責任をもってご案内申し上げます。その代わりご無理はなさらぬよう願います」


すみれは力強く頷いた。


「ニーナ、おまえは…」

「わ、私も行くわ」

「こう言ってますが、よろしいですか?」

「勿論です。神殿に近づけるようならニーナさんに来ていただけると心強いもの」

「恐れ入ります。ですが、聖女様の御身の安全を優先してください…いえ、俺が言うことでもありませんよね」


すみれが一番信頼を置く二人の騎士と目笑を交わしヒューは腹を決めた。そして胸に手を当て敬意を示した。


◆◆◆


フラーメン村までの道はヒューが先導してクリス、すみれ、ニーナが後ろに続き後方の守りにオリヴィエがついた。フードを深く被って、地面と前方を交互に確認しながら歩いた。道はそれほど険しくはなかった。幾度となく歩かれた土の道に草は生えていない。魔物もみかけなかった。魔物も近づけないような風であるともいえる。村に近づくほどに風は強くなり、足もだんだんと遅くなっていった。


「これ以上は難しいですね」


ヒューは風の音を割くように大きな声で言った。その声は一番後ろにいたオリヴィエにもきちんと届き、わかったと頷く。

村がある前方は土煙で視界が悪い。すみれは土煙で霞む先を見ようと顔をあげて目を細めた。


「クリス、上を見て」


傍にいたクリスのフードを引っ張ってから空を指さす。クリスもまた目を細めて見上げるとすみれが何を指していたか一目でわかった。黒色の重い雲が村を吸い上げるように巻き上げている。雲の間を埋めるように雷が走っていた。目を凝らして見ると渦巻いた雲の中心にぽっかりと穴が開いている。その丸い小さな穴は白く輝いているように見える。よく見るとその光は地上から小さな筋となって昇っていることに気付き、他の三人も同じようにすみれの指先を辿り感嘆の声をあげる。


「今まで何度も足を運んでおりましたが気付きませんでした」ヒューは自分の落ち度だと肩を落とす。


あの光の下には何があるのかとクリスが訊ねるとヒューは解からないと首を横に振る。


「神殿…」


代わりに答えたのはニーナだ。傍にいたすみれが彼女の呟きを拾い上げた。


「神殿というのは大精霊の?」


しかしニーナはすみれの問いには答えずぶつぶつと言葉を連ねている。僅かに聞き取れた言葉は『本当?』『うつの?』と自問自答しているような言葉ばかりだ。まるで誰かと話しているように見える。彼女のおかしな様子にすみれたちは首を傾げた。ヒューだけが大きくため息をついてニーナに近づき、ニーナの両肩を強く握って揺さぶった。ニーナは眉をひそめてヒューを睨みつけたが彼は怯まない。


「聖女様が訊ねていらっしゃるのが聞こえないのか」

「え、ごめんなさい…私…」


ニーナは顔を青くした。すみれは気にしないでと笑顔で答えても彼女は肩をすくめて俯いた。改めてあの光の下にあるのは神殿かと訊ねられてニーナはこくりと頷く。


「間違いありません。神殿には大精霊シルフ様がおられます。シルフ様のお力あの光で神殿を守っているんです」

「どうしてそう思うんですか?」


オリヴィエは訝しんで訊ねるものだから気の小さいニーナは言葉を詰まらせた。オリヴィエの口調から怖がっていると気付いたクリスは肘で小突くと、オリヴィエは俺のせいか?と不満と困惑を滲ませる。


「ニーナ…話してみろよ」

「でも…」


ヒューが何度背中を押してもニーナは小さく首を横に振るばかりだ。ヒューは大きくため息をついてから「信じて貰えるかはわかりませんが」と前置きして言った。


「ニーナは精霊の声が聴くことが出来るんですよ」


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