姉と弟(後)


 あの姉の懇願から二年。

 姉カジュライアはさだめの儀式を選んだ。

 そのことに対して異議はない。姉の心はどこに向いているかと考えると悩ましかったが、姉が選択した手段ならばそれでいいと思っていた。

 だが……前夜に父であるマユロウ伯に告げられたことは、カラファンドの容量を超えていた。


「父上……無理です……絶対無理です!」


 父マユロウ伯や姉カジュライアに命じられれば、戦場の最前線にも行くし、誰かを殺せと命じられても否とは言わない。しかし、これは無理だとカラファンドは青ざめていた。

 領主が主催する定めの儀式に、印をつけた当たりくじを入れてしまおうとは、そんな事態は許されるのだろうか。


「姉上は厳正な定めの儀式を望んだのではないのですか? こんな……こんな不正は望んでいないのではないのですか!」

「そなたはまだ若いな。カジュライアは自分に厳しすぎるゆえ、たまには周りが甘やかせてやらねばならんのだ。マユロウの未来を背負う一人として、そなたもしっかり覚えておけ」


 マユロウ伯は一瞬だけまじめな顔をしてそう言う。


「メトロウド殿となら、今まで通りのカジュライアであるだろう。ルドヴィス殿とは新たな可能性に踏み出すだろう。ファドルーン様と一緒に暴走すれば、マユロウ王朝を開くことになってもおかしくはないぞ。……だがな、そなたもわかっているだろう。カジュライアの表情がいつ和らぐか。我らと違って、カジュライアは不器用な女だ」


 十九歳の多感な青年としては、いい年していまだに恋多き男である父親とは一緒にして欲しくはなかった。だが今のカラファンドには、その事を指摘する余裕はなかった。


「し、しかし……くじの順番は、アルヴァンス殿は最後になりますよ。他の三人だって姉上を嫌っているようには見えません。どちらかと言えば……ほ、惚れていると言うか……」

「惚れているだろうな」

「だったら、こんなわかりやすい当たりくじをいれていれば、アルヴァンス殿の時まで残るわけがないじゃないですか!」

「本当に、そなたはまだまだ子供だな。メトロウド殿はそうとわかっていれば、当たりくじを絶対に引かない。ハミルドの影がちらつくのを誰よりも嫌っている誇り高い男だ。ファドルーン様も皇帝陛下への反抗心から、当たりくじはひかない」

「……ルドヴィス殿はどうするおつもりですか。あの人は本気ですよ」

「確かに危険な男だが、あれでカジュライアには甘い。愚かなくらいに甘やかす」


 にやりと笑い、マユロウ伯は息子の肩をばしんと叩いた。


「まあ、これも運試しだ。そのときの運次第。もともと誰が選ばれても困らぬのだ」

「そんな……いや、でも、もし不正が明らかになったら、皇帝陛下の怒りを買ったりしませんか!」

「買うだろうな」

「だったら無茶なことはやめてください」

「気にするな。そのときは皇帝陛下と全面戦争になるだけだ。きっと楽しいぞ!」


 マユロウ伯は笑うが、カラファンドは笑うどころではない。

 皇帝との全面戦争など、マユロウ滅亡以外の未来は見えないではないか。

 どうあっても父親の考えは変わらないと悟り、ひとしきり髪をかき乱してから目の前に置かれているくじを見た。


「……それで、これはいつ本物と入れ替えるのですか?」


 マユロウ家に伝わる定めのくじとそっくりの偽物。端にごくごく小さな点がある。反対側の端には、マユロウ家の紋章。あたりくじの偽物だ。


「直前だ。私の手品が成功することを祈っておけ。そなたも長老の目をごまかすのに協力しろよ」


 カラファンドは絶望のこもったため息をついた。


「ああ、やっぱり無茶ですよ……」


 カラファンドは頭を抱え込んだ。

 その夜は眠れる気がしなかった。……実際、ほとんど眠れないまま朝を迎えてしまった。



「よかった……本当に三人が人格者でよかった……!」


 定めの儀式の後の宴では、カラファンドはひたすらそう言いながら泣いていた。

 まだ若い彼には、この不正の秘密は重すぎたようだ。それ以上に酒を飲み過ぎている。

 泣き上戸ではなかったはずなのにずっと泣いていたら、姉カジュライアに酔いつぶれかけたアルヴァンスを壁際の椅子に運ぶように命じられた。


 間違いなく鬱陶しかったのだろう。

 しかし泣き上戸になってしまっても、カラファンドは酒に強いマユロウ伯の体質を受け継いでいて、酒杯を取り落とすほど酔ったアルヴァンスを支えて歩くくらいは簡単だ。特に息を切らすまでもなく、赤髪の貴公子を椅子に座らせた。

 酒杯を持てなくなって酒をこぼしてしまったアルヴァンスは、目を閉じて椅子の背の身を預ける。カラファンドもその横に座った。


「すっかり酔ってしまいましたね。せっかくのお召し物が濡れていますよ」

「……カラファンド君、あの当たりくじはいったい何だったんだ?」


 もうまともな対応はできないと思っていたが、アルヴァンスの声は意外にしっかりしていた。カラファンドはわずかに目を見開いたが、彼もつい先ほどまで泣いていたとは思えないような落ち着いた顔で答えた。


「あなたに幸運をもたらした当たりくじでしょう?」

「なぜ、あんなものがあるのか、と聞いているのだよ」

「我らがマユロウで、あなたと一緒にいる時の姉上が寛いだ顔で笑っているからですよ」


 カラファンドは笑顔すら浮かべていた。

 その笑顔を目を開けたアルヴァンスは見ていたが、またふらりと椅子に沈み込んだ。


「カラファンド君も大人になったな。私も年を取るはずだ」

「そういえば、アルヴァンス殿は三十歳を越えていたんでしたね。三十五歳も近かったのでしたか?」

「……そんなにいっていない。カラファンド君から見ると年寄りだろうが、まだそこそこ若いんだ」


 アルヴァンスはややむっとしたようにぼそりとつぶやいた。

 その様子がおかしくてカラファンドは笑った。笑いながらアルヴァンスの肩に手を置き、すっと顔を近づけた。


「一つだけ言っておきますよ。姉上を悲しませるようなことをしたら、僕はあなたを殺します」


 笑みが残ったままのきれいな顔だったが、抜き身の刃のような表情だった。

 しかしアルヴァンスは、薄い笑みを浮かべてカラファンドを見ただけだった。


「残念だが、君は私を殺せないよ」


 今度はカラファンドがむっとした顔をした。しかしアルヴァンスはなだめるように苦笑した。


「君の腕は知っている。だけど、たぶん無理だよ。君に殺される前に他の方々に殺されている。……今日は散々言われてしまったよ」


 三人に囲まれている間に、どういう会話があったのか。

 カラファンドとしては、怖すぎて考えたくない。想像できるからいっそう怖い。

 ため息をついた時、カラファンドは姉がこちらにやってくるのを見た。


「こぼしたところが汚れたままだ。上着を脱いでください。着替えはないが、とりあえず毛布はもらってきましたよ」


 カラファンドが立ち上がって場所を作ると、カジュライアは当然のようにアルヴァンスの隣に座る。酔った貴公子から重ね着していた上着を器用に脱がせ、手や顔を布で拭き、他に汚れたところがないかと身を寄せて服に手を滑らせている。

 ……ちょっとそれは、まずいのではないか。

 カラファンドがそう思った時、アルヴァンスの手が動いた。すぐそばにあった身体を捕まえ逃がさないように腕の中に包み込む。

 困惑するカジュライアの肩に頭を乗せ、アルヴァンスは乱れた黒髪に頬を寄せた。


「アルヴァンス殿?」

「……あなたは温かいな」


 すでにかなり酔いが回っているアルヴァンスは、それだけつぶやくと目を閉じる。それでもカジュライアを抱き寄せる腕は緩まず、そばにある体温を堪能しているように見えた。


 ため息をついたカラファンドは、二人から少し目をそらした。

 それから姉が取り落とした布と汚れたアルヴァンスの上着を拾い上げ、急いで周囲を見回した。

 ルドヴィスはマユロウ伯の正妻が話し相手にしていた。ファドルーンの前には果物がまだ山盛りにある。カラファンドは通りかかった使用人に布と上着を預け、早足で父とメトロウドのところへ行く。

 今、姉のためにできることは一つだけだろう。


「メトロウド殿!」


 いつもの繊細な美貌を忘れさせるような殺気あふれる目が、アルヴァンスからカラファンドに移って少し緩む。


「剣舞をしませんか?」


 今にもアルヴァンスに切りつけそうだったエトミウの貴公子は、腹立たしそうに舌打ちしたが、ここはカラファンドの誘いに応じてくれた。メトロウドのこういう激しさと義理硬さは、カラファンドも嫌いではない。アルヴァンスの扱いが荒くても、それはそれでカジュライアへの配慮でもある。

 その苛立ちを晴らす勢いで本格的に剣を打ち合ったとしてもマユロウの宴なら許容の範囲であり、眠れない夜を過ごしたカラファンドとしても望むところだった。

 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

次期女領主の結婚問題 ナナカ @nana_kaz

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ