第27話 逃避



 久しぶりに出した熱は、なかなか下がらなかった。

 正確にいえば、熱がある間は面倒なことがないので、熱を上げていたのかもしれない。ライラ・マユロウを名乗るものとしてはかなり卑怯な手ではあったが、そんなことを真面目に自己批判するほどの余裕はなかった。


 メトロウド殿にルドヴィス殿と、熱心ではないと思い込んでいた人から急に求婚者らしい言動をされてしまった。そのせいで、私は起き上がる気力を失っていた。

 この調子でいくと、最も切実な事情があるファドルーン様はもっと熱心に行動してきそうな気がする。あの方が本気できたら、心身共に充実していなければ「否」というのも苦労するだろう。それ以前に、私が苦手な方面に本気を出されることを考えただけで恐ろしい。

 アルヴァンス殿も、あの容姿のわりに酒が入ると悪乗りする人だ。マユロウの女性たちのためにも好ましくない宴になりかねない。

 そんなことを考えていると、私の熱は上がっていくのだ。


 しかし私の体に流れるマユロウの血と丈夫な身体は、長々と寝て過ごすことを許してくれなかった。

 一週間は何とかのんびりしていたのだが、いい加減寝ていることに飽きてしまい、私は寝室を出て自室で静養することにした。

 もちろん面会謝絶だ。

 今度は徹底させた。ライラ・マユロウの名にかけて、私は大袈裟なくらい厳命を下した。

 そうでもしなければ、ルドヴィス殿があの魅力的な笑顔でメイドたちを籠絡しかねないし、ファドルーン様が高圧的な態度で押し通ろうとするかもしれない。

 こうして静かな日々を取り戻した私は、しかし室内にいることにも飽きてしまった。

 私は隙を見つけて、こっそり馬をひきだして館に隣接する森に逃げ込んだ。



 さすがに病み上がりの身で早駆けはよくなかったようだ。体にこたえたが、手綱を緩めて馬をゆっくり歩かせているだけでも、ここ数日間で荒んでしまった心が癒されていく。

 私は求婚者のことだけをたおやかに悩む女ではないのだ。


 目的としていた森の中に開けた野原で馬を止め、私は周囲を見回してから馬を降りた。

 長雨をともなった嵐の後はいい天気が続いたので、優しい香りの花が一面に咲いている。あまりに気持ちが良かったので、私は馬を遊ばせて野原に横になった。

 草の香りが心地よい。花に集まる虫たちの勤勉さも好ましかった。


 こんなふうに花に集まる虫をのんびり見るのは、ずいぶん久しぶりだ。いつ以来だろうかと考えてみると、かなり昔にまでさかのぼってしまう。

 その頃の私は、少女というより少年だった。そして私がよく連れ歩いていたのは、婚約者のハミルドだった。どちらが少女かわからないような二人だったが、蝶の羽化を飽くことなく見守ったこともあった。

 味をしめた私は色鮮やかな幼虫を捕まえて、美しい蝶になることを期待して毎日観察していた。当然のように地味な蛾になってがっかりしていると、三歳も年下のハミルドに一生懸命になぐさめられたものだ。

 思い出し始めると、次々に記憶が蘇る。どれも楽しくて笑いに満ちていて、とても懐かしい思い出だ。


「……あの頃は楽しかったな」


 こんなことをしみじみと思い出すなど、私は感傷的になっているようだ。

 二年前の決断を後悔したことはない。

 私はハミルドを幸せにすると誓っていた。メネリアとの結婚を認めることでその誓いを果たせたと思っている。

 しかし微笑み合う二人を見ると、ほのかに心の痛みを感じる時がある。メネリアとハミルドがマユロウ本邸を去ると、部屋が広くすぎると思うこともある。疲れて椅子に座っていると、なぜハミルドがここにいないのかと思ってしまう。


 この半年は毎日が賑やかで、すっかり忘れたと思っていた。

 ハミルドは今も私の大切な「弟」であり、大切な友人だ。かつては一緒にいるのが自然な存在で、一生共に生きていくと信じていた。でも、今のハミルドは私だけのハミルドではない。それを望み、そうなるように尽力したのは私だ。

 なのに、時々無性にハミルドに会いたくなる。今さら会ってどうなるというわけでもないのに、ハミルドがいない生活にまだ馴れていないことに気付かされる。


 あれからすぎた時間は二年だ。

 わずか二年なのか、もう二年なのか、私にはよくわからない。一つだけはっきりしているのは、今も心に穴があること。この穴はどうすればふさがるのだろう。

 仰向けのまま、私は額に手を乗せた。熱はもう出ていない。だが目元が少しだけ湿っていた。


 馴れない熱のせいで、私の調子はすっかり狂っている。

 私らしくもない。そうわかっていても、なぜか涙が止まらない。

 ……まるで悲劇にひたる貴婦人のようではないか。

 そう思うと何だかおかしくて、私は涙が止まらないまま笑っていた。笑いながら、私は涙を流していた。周囲が同情したように、私はやはり「悲劇の女」なのかもしれない。

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