第31話 六月二十七日⑨
おもむろにテーブルに置かれているナプキンにペンを取り出して『互』と言う字を書くことで『互角』と『覚悟』を掛けるという作戦よりはよかっただろうと信じながら彼女の話に耳を傾ける。
「私、孕みたいの」
耳を疑った。そして彼女の正気を疑った。聞き間違いだろう。人差し指を立ててリピートを促す。首を傾けて片眼を瞑ることも忘れない。
「子供を孕みたいの」
また同じ音が聞えた気がしたが、僕に絶対音感はないので信用は出来ない。痺れを切らしたように彼女が
「子供が欲しいのよ」
と言った。本当にそうらしい。
「そ、そうなんだ、子供好きなの?」
「いや、孕みたいのよ」
「なんで一回柔和な言い方ができたのに戻ってくるんだよ、鶏か?君は鶏なのか?」
「一歩も歩いてないわよ。それに話している内容は同じ事じゃない」
彼女が飲み干した僕の飲み物のお代わりを店員から受け取り、すましたように言う。
「なんていうか、淫靡的というか、色欲的に聞こえるだろ?」
「あら、そうかしら。そんなことを思うのは夢見がちな童貞ぐらいよ、それも夜更かし好きでいかがわしい映像を見ているようなね」
またまた不利展開が目の前に現れた。しかし、僕には今彼女からの評価をいくら下げてもいいというアドバンテージがあるのだ。それならば、最強の一手が打てる。
「そんなこと、一般男性ならだれでも当てはまるだろ」
必殺、開き直り。これには勝てまい。
「そうなの?」
「ああ、そうとも、別に恥じるようなことではないと思うけどね」
「ふーん、そう
「でもいかがわしいビデオっていうのは十八禁なはずよ」
やられた。これは罠だったのか。恐るべし・・・・・・。
何も言えなくなってしまった僕に
「でもまあ、男の子なら誰だってそんなものよね」
と同情、と言うわけでもなく、さも理解があるかのように言い出した。
なんなのだ、この平造愛美と言う女は。
「脱線を復旧すれば、私は孕みたい。でも本当の目的はそこじゃないの。私は自分の遺伝子をこの世に残したいの。控えめに言って、私は超可愛くて、超絶美少女じゃない?だからそんな優秀なDNAを私で途絶えさせてしまうのは勿体ないし、ご先祖様に失礼ってものよ」
「本心だったのか、その自己評価は」
「別に貴方が判断してくれてもいいのよ?貴方なら公平な判断を下してくれるでしょうし、貴方が『そんなことはない』という一言をくれるなら所詮私はうぬぼれ女だっただけなのだから」
ズルい女だ。他評を完全に理解したうえでこの言葉を発している。
「君の自己評価を真と言う前提で話を進めてくれ」
「素直じゃないんだから、フフ」
なんだかんだご機嫌なお嬢様は続ける。
「平安時代では時の天皇が多くの女性と関係を持って後継ぎが絶えないようにすることが普通と考えられていて、それに私は憧れたの。托卵みたいなものよね。その逆を私は企んでいるのよ。女ではあるけれどね。そう言ってしまえば、さっき話した身持ちが固いということも真実とも言えないわね、嘘と言ってしまうには大きく外してはないけれど」
何というか彼女の貞操観念の一般的でなさがよく伝わって来て何とも言えない思いになってくる。
「じゃあ、あれなのか。過去の交際相手ともそういうことはしたってことか」
「ご想像にお任せするわ」
妙な気分であるし、嫌な気分だ。
「こんな話、僕なんかにして、だ、大丈夫なのか?大丈夫っていうか、気持ちの問題として」
「だからさっき、確認したんじゃない、貴方の覚悟。あったからこそ、私はこうやって貴方に真実を、その上真摯に話しているのだから。
「今から覚悟を取り消すのならば、そうね。去勢で許してあげるわ。
「男に二言はないわよ」
急に怖いこと言いだしたぞ、この女!
声のトーンを抑えて言うので、妙に迫力があるし、彼女はやりかねない。
それにさっきの話は美少女から飛び出してきたとは思えない思想と言うこともそうだが、なによりも初対面の女性とここまで込み入った話はしたくない。
話題のカロリーが高すぎて胃がもたれて一言も発することが出来ない。二言もない。
「次はあなたの番よ」
「へ?」
急な発声で変な声が出た。
「なんで僕の番があるんだ?」
「会話はキャッチボールでしょ」
「君の玉なら僕のグローブを避けてそこの家の庭に入って行ったよ」
「貴方だって頭上を通っていくボールに手すら伸ばさなかったじゃない。同罪よ」
「横暴だし、君の暴投だ」
「暴動を起こしても構わないのよ、乱闘はお好き?」
「火傷をしても、知らないぜ」
その言葉とは裏腹に、僕は静かに両手を耳の横まで持ち上げ、紙ナフキンを旗めかした。
「潔いのかしら」
「諦めがいいんだよ」
潔いのと、諦めがいいのの違いはよくわからないけれど。
とはいえ、困った。
最近己のアップデートを済ませたばかりの僕には、彼女の告白に匹敵するようなパンチの利いた話は持ち合わせていない。
・・・・・・しかたない、腹をくくろう。
昔話はしたくないが、やってみないとわからないことはこの世界に多い。
いつかこの今の僕の生い立ちを笑い話にするためにも経験は積まなければならない。
気の進まない雰囲気が総意であるように思える頭の中で、少し彼女になら、平造愛美になら語ってもいいと思う自分がいた。
表面化しない程度には心中では驚いたけれど、そんな自分を少しだけ赦せるような気がした。
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