第29話 六月二十七日⑦
「噂通りね。いやそれ以上かしら」
急に目の前に人の顔があるというのはあまり経験があることではないし、その上それが女子高生という事実に僕はとても驚いた。
「気づいたのね。鳩が豆鉄砲を食ったとしたらこんな顔をするでしょうね、覚えておくわ」
余裕そうに彼女は言う。というか余裕がある。彼女からあふれ出る自信をひしひしと肌が感じている。
黒く美しく伸びている髪が妖艶に見え、整った目鼻立ちが外見を完成させている。
「僕を知ってくれているようで申し訳ないのだけど、名前を聞いていいかな」
どれだけ整った絶世の美女だとは言え、名前も分からなくては話にならないし、会話にもならない。いくら無礼な人間だと評価されたとしても、これから先その評価が僕の足を引っ張るようなことはあるまい。この一瞬だけの付き合いである。恥はかき捨てであろう。
「あらごめんなさい。私、この学校の中では有名なほうだと、いや間違いなく一番有名だと自負していたのだけど、思い上がりだったみたいね」
全く反省していないように見えたが、ここまで人を引き付けるような人間は反省も人に悟らせないらしい。
「私は
「平造さんは僕に何の用が?」
全く良くない突き放すような言い方になってしまった。やはり女性との会話は手続き記憶寄りらしい。自信たっぷりで自慢たっぷりのこれまで何度もしてきたであろう自己紹介に一つもツッコめなかったこともこのせいだ。そうに決まっている。
「愛美に落ち着く人はいても、平造を選択居たのは佐倉君が初めてだわ」
先ほどから言われる「佐倉君」と言う呼称がむず痒い。
「まあ、その様子だと今日は土足履いて校内をウロウロしたんでしょうね」
皮肉を言う彼女は憎らしいほど絵になった。
「あー、あれね、はいはい。かんぜんにりかいした」
「そのいい方をする人の九十九パーセントは分かってないのだけど、今回は残りの一パーセントを引いた様ね」
「どうしてそう言い切れる。僕は嘘をついているかもしれないし、ついてないかもしれないじゃないか」
「人を目の前にして何分も思考の宇宙を浮遊している人がいたら、どんな靴をはいているかを見ることぐらい簡単よ」
「答えを知った上で僕をひっかけるなんて、食えない女だ」
「こんなに簡単に食われるんじゃ、女が廃るわ。そんなに安い女じゃないのよ、私」
「教師一人を一日ダウンさせるような女は胃もたれしそうですね」
「そんなことより」
急に舵を取り出した平造は何を言うかと思えば
「一度場所を変えましょ」
なぜその必要があるかがすぐには理解できなかったものの、窓の外の西日が説明してくれた。
「もう閉館時間なのよ、ここ」
誰かさんが呆けている間に、ね、と彼女は可愛く言うのだった。
「意外だわ。佐倉君のような人間が私のようなスクールカースト上位の超絶美少女からLove letterをすぐに読まないなんて」
所変わっても自身の援助する自己肯定を織り交ぜて、話の主導権をしっかり握られている。そして僕は突然近くに金星を囲んでいるような中央に穴が開いた円のオブジェのある広場につれられて、隣接しているカフェでこの女性と(座り位置的にも文字通り)面と向かって対自していた。
「無駄にラブレターを上手く発音することで威嚇しないでください」
「威嚇なんてしてないわ、貴方の攻撃ランクを一つ下げただけよ」
「ポケモンの方の威嚇を把握している女子高生がいてたまるか」
「男尊女卑?」
「すみませんでした」
「わかればよろしい」
「この女に盾突くほど僕も馬鹿じゃない、担任から唯一学んだことだ。と言うより、高価そうな青地のレターセットに赤いハートの刻印されたシーリングスタンプっていう組み合わせは仰々しすぎて学校で開けるのはためらわれるだろ」
「いや、彼女いない歴イコール年齢の佐倉君なら分かりやすいlove letterに食いつくと思ったのだけど」
「ご期待に沿えなくて大変申し訳ないが、僕にも交際経験の一つや二つある。それに今日はそういう気分でもなかったという要素もあったしな」
「えっ!?彼女いたこと、あるの!!??」
「そこまでの驚き方は流石に失礼だと思え。少しぐらい自制してくれ、自制を」
「え、誰?誰?私の知ってる人?」
これほどまでに女性らしさの塊のようなフレーズをかつて聞いたことがあっただろうか。いや、ない。
「それを言うなら思い出したんだけれど、アイビーって呼ばれてるんだよな?それなら工藤と付き合っていたんじゃなかったか?」
確かどこかの誰かからのメッセージできていた。
「心の声を抑えきれてないわよ。初対面の女の子に過去の恋愛の話をしだすなんて失礼ね」
いい具合に自分の話から話題をそらすことができた。でも、初対面の女の子にはダメで初対面の男の子にはいいというのは実に横暴でフェミニスト的な考えにも思えたが、その言葉は飲み込んでおいた。別にSNSで行われているような男女の性差について論争をここで繰り広げるつもりはさらさらない。
「いや、例え世間でどれだけ不倫が流行っていようと、パートナーがいる人間から手紙はもらいたくない」
「そんなの、別れたに決まってるじゃない。そんな不逞な女に見える?」
不逞で不貞な太え女に見える、とは言えず、
「いや、そうは見えないけど・・・・・・」とミルクティーを濁した。
「なんでもいいし、どうだっていい。今の僕としては、このラブレターの理由を聞くより、君からの好感度を下げたほうが先を見据えても効率がいい」
「状況有利をここから取ろうなんて、中々やるわね」
「なんだ状況有利って。会話は戦いなんかじゃないぞ」
「確かに、戦いではないわ。でもこれは勝負ではあるの。恋する女の子が思いを寄せる男の子にアプローチする、アタックするっていうじゃない」
「一理は・・・・・・ある」
平作愛美。なかなかキレる女だ。
「キレるの意味によってはキレるわよ」
「いとも簡単に行間を読むな、秒針でも噛んでろ。それに後者のキレるは是非ともご遠慮頂きたいです」
「今はキレないけれど、言葉の刃には気を付けて頂戴」
少しそっぽを向く。それだけで絵になる。なぜ僕がこんなにも目立つ容姿の彼女のことを把握していなかったか全くわからない。
「でも、勘違いしてほしくないのだけれど、私は貴方と本気で懇ろになりたいと思っているの。本気で付き合いたいわ。本気と書いて『マジ』って読むくらいには真剣よ。だからこそ、私のことを知ってほしいの。そうとは言え、初対面の人間に自分の話をするのはとても難しいと思う。興味が無かったり、自分の知らない事が多かったりして退屈になるかもしれないから。それを責めたりもできない。それでも、私は貴方に知ってほしい。私を誰だか知ってほしい。意味のない興味のない話より、意味のある興味のない話をしたい。きっと熱意が伝わってそのうち興味が湧くかもしれないから」
凛々しく力強い言葉に彼女の芯を感じ、真も感じた。
「それなら運がよかったと思うよ」
「どういうこと?」
「最近ある事情で頭真っ白になっちゃって、今ならどんな話でも丸々聞くことができると思うんだ」
そう聞いた彼女はその言葉の意味を理解したように「そうね」と一言をこぼした。
その理解が間違えであることは僕にはわかったが、今この一瞬ではどうでもよかった。今は、それでいい。
「平安時代ではね、貴族や身分の高い武士は恋文だけで連絡を取り合い、顔も見ないで結婚を決めたの。その間に思いが通じ合ったりすると相手が夢に出てくるという一種の言い伝えみたいなものがあって、それを指標にしていたらしいわ」
「それを平造さんも踏襲した所に昨日の夢ってことか」
「そうよ、だから運命だと思ったわ、鳥肌が立ってこれまで顔と名前しか知らなかった貴方が、突然気になった」
「そういうのは『恋に恋してる』ってやつじゃないのか。憧れには幻想を見せる魔法がある。そういう風にも言うだろう?」
「貴方にだって貴方への思いを止める資格はないわ。私の心は私のものだわ、誰かにか指押さされたくらいで壊れたりしない」
「君は、強いな」
心の底からの思いは脳を通過せず、反射的に音に変わった。
「なによ、急に・・・・・・」
何となく放った言葉は彼女の頬を赤らめることに成功した。ラッキーパンチだ。
「んうん!」と咳払いをした彼女は
「それに夢分析だとか精神分析っていうのはかの有名な陰陽師安倍晴明から始まっているらしいし、時代的にも最初の話と被るところが多いの」
「なるほどね」
僕は納得できた。それと彼女の通常時の自信と言うか自慢と言うかそう言った類のものに包み隠されていた彼女の、平造愛美の核心に触れられた気がした。
「いや、そうはならんやろ」
「え?」
危うく面白い彼女の要素によってスルーするところだった。
「いやあなた、工藤と別れたことについて何の説明もしてないよな」
「まだそんなことを気にしてたのね。本当に嫌になっちゃうわ」
「僕には嫌われることのリスクがないからな。リターンまである」
「これまで貴方が誰かと談笑していたところを何度か見かけたことはあるけれど、そんな風に人との関係性をないがしろにするような人だとは知らなかったわ」
「それは君の人を見る目が、特定の人物の夢を見る目がなかっただけだろう。僕は困ってなんかない」
嘘をついたし、意地を張った。本当は藁にでもすがる思いで誰かに助けてほしかった。でもこんな悩みを初対面でただでさえ自分を謎に好意を寄せてくれるような稀有な人間に開示することはできない。嫌われることは歓迎でも、憐れまれるのは甘受できない。
過去よりもましな人間を目指している僕は前よりも自分を偽ることが増えた。正直に生きることはこんなに難しいとは誰も教えてやくれなかった。
会話が途切れ、沈黙が続く。この状況を嫌っていた人格はもうここにはなく、何だったらいっそ清々しかった。
今の僕にこの静けさは何よりも優しかった。
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