ケモ耳先生
@nana_236
ケモ耳先生
秋。
旅行の秋。
ということで、僕は家族で温泉旅行に来ている。山の中にある温泉。名前を聞いたことはなかったけれど、それなりに綺麗で、立派だった。
「近くを散策でもしておいで。あぁ、でもあんまり遠くには行くなよ」
「分かった」
外に出ると、色とりどりの景色が目に入る。ちょうど紅葉の季節で、タイミングが良かった。
ぽっけに手を入れて、歩き始める。快晴の空の下を歩くのは気持ちがいい。
*
そうして歩き始めて、そろそろ十五分くらいは経っただろうか。あまり遅くなってもまずい。来た道を戻ろう。
後ろを振り向く。その時。
「………誰か、いる?」
ふと、木々の奥に、誰かがいるのに気が付いた。少女、だろうか。何か絵を描いているようにも見える。
近づこうか、このまま帰ろうか。少しの間迷って、僕は少女のいる方向へ向かう。
近づいていくと、その少女の姿がよく見えてくる。茶色の髪に、ベレー帽。白いコートのようなものに茶色い上着を羽織っている。右手には筆を、左手にはモミジの葉を持っていた。
「絵を、描いているんですか?」
「…………」
「あのー、すみませーん」
「…………」
「あの!」
「――へっ⁈ あ、え? えっと、どちら、様?」
……驚かせてしまった。
「驚かせてしまってすみません。僕は近くの旅館に宿泊している者です。あの……絵を描いているんですか?」
もう一度尋ねる。
「あ、うん。……ふふっ、ちょっと恥ずかしいなぁ。これだよ」
そう言って、キャンバスの前からわずかに移動する。
「…………へぇ」
「どう、かな? 結構自身はあるんだけど」
「僕に専門的な知識はありませんけど………いいですね。すごく、綺麗だと思います」
「本当⁈ ふふっ、なんか嬉しいね」
そう言う彼女の表情は、本当に嬉しそうだった。と、そこで、
「…………あれ」
「ん?」
僕はあることに気が付いた。とても、おかしなことに。
「あの……それ、何です?」
「それ? あぁ、これのこと?」
彼女は手で頭の耳を触ってみせる。それはまるで、動物の耳のようだった。
「コスプレ、ですか?」
「ううん、本物だよ?」
「からかってます?」
「触ってみれば? あ、でも敏感だから優しくお願い」
じゃあ、と言葉に甘えて触らせてもらう。そっと、丁寧に。
柔らかい、感覚がした。温度があって、コスプレ用のつけ耳とは思えなかった。
「ね?」
「……どういうことですか?」
「実は私、獣人なの」
「えぇ……?」
駄目だ。状況を掴み切れない。獣人。っていうと、ファンタジーなあれ、のことだろうか。
そんなものがいるとは思えないけど、でも、あの耳は本物だった。
「この山に住む、獣人なの」
「いや。繰り返されても、いまいち」
「うーん……まぁ、とにかく私は獣人なの」
「あぁ………まぁ、もうそれでいいです。それで、どうして獣人さんがここで絵を?」
「秋。芸術の秋だから」
「なるほど」
そこは単純でいい。というか、もう考えることはやめておこう。
「ねぇ、そろそろ帰らなくても大丈夫なの?」
「え。あ、あぁ。そうですね。………そういえば、どこに住んでるんですか?」
「秘密だよ。それよりも、君」
「はい」
「明日もここに来れる?」
「え? まぁ、多分来れますけど。どうかしました?」
「せっかくだから、この景色を背景に君を描きたいなー、って思って。駄目かな?」
「逆にいいんですか? そういうことなら、はい。明日も来ますね。何時ごろですか?」
「いつでもいいよ。君が来た時に、私もいるから」
「………? 分かりました。ええと、それじゃあ今日はこれで」
「うん、またね」
僕と彼女は手を振って別れる。
また十五分ほど歩いて、旅館に戻る。普段と何も変わらない様子の家族が、部屋で待っていた。
*
「ちょっと出かけてくる」
そう言って僕は旅館を出た。
元々こんな山の中で、することというものはなかった。だから、何か思い出になりそうなことが出来るのは喜ばしいことだった。
昨日と同じルートを歩く。正確な場所は覚えていなかったけれど、既に彼女はそこにいて、おかげでちゃんとまた会うことが出来た。
「おはようございます」
「うん、おはよう。いい天気だね」
「はい」
どうやら昨日のことは夢ではなかったようだ。少女はいて、絵を描いていて、耳がある。
ただじーっと耳を見つめているわけにもいかないので、口を開く。
「僕はどうすればいいですか? 絵のモデルなんてしたことが無いんですけど」
「そうだなー……うん。じゃあそのあたりに立ってもらってもいい? あ、もうちょっとこっち。あー、うん。そこ!」
「そっち向いて立っていればいいですか?」
「うん。あ、もちろんずっと静止とかはしなくてもいいからね。楽な体勢でいて」
「分かりました」
一度僕を見て小さく微笑んでから、彼女はキャンバスに絵を描き始める。自分を描かれているのだと考えると、何だか気恥ずかしい感じがした。
彼女が絵を描いている間、僕らはいくつか雑談を交わした。
「そういえば君、何歳?」
「15です。中学三年生」
「受験生? 勉強は大丈夫なの?」
「毎日30分くらいはしてます。一回覚えたことは、基本忘れないので」
「まつげ長いよね。いいなぁ」
「目に入って痛いだけですよ。そんなにいいことありません」
「君、ライトノベルとかは読むの? 獣人って聞いても、それほど驚いてなかったけど」
「本だったら色々読みます。獣人に関しては……正直まだ心の中で驚いてる。というかいまいち理解できていません」
「私の耳、触りたい?」
「……少しは。ペットは飼ったことないんですけど、少し悩むくらいに」
一泊二日の温泉旅行。今日で完成しなかった場合、僕が彼女の絵を見ることは叶わなかったわけだが、あの後一度帰って、午後にも描いてもらって、何とか間に合った。
「出来た!」
「本当ですか?」
キャンバスの所に足を運ぶ。その絵を見た瞬間、僕の心の奥で、何かが震えた。
綺麗。透き通っている。色彩豊か。暖かい。どの表現も、この絵を表すには不十分であるような気がした。
僕はその絵に見惚れてしまった。
「特別に」
僕が黙っていると、彼女が口を開く。
「特別に、その絵は君にあげるよ。部屋にでも飾って」
「いいんですか……?」
「うん。そんな嬉しそうな、幸せそうな顔をされたら。そうするしかないよ。ありがとう、私の時間に付き合ってくれて」
「いえ、こんな絵を描いてもらえたんです。逆に僕の方こそ、ありがとうございました」
僕は彼女からキャンバスを受け取る。汚さないように、傷つけないように。丁寧に抱える。
そろそろ、彼女ともお別れの時間だ。何だか寂しい気持ちになる。そんなことが、つい表情に出てしまっていたらしい。
「そんな顔しないでよ。そうだ。旅館までは一緒に歩こう」
ケモ耳少女が旅館に現れたら大騒ぎだろうな、とそんなことを思って。だけど僕はその提案を受けることにした。
「いやー、楽しかったなぁ。君は退屈じゃなかった?」
「全然です。色々とお話しできましたし、絵を描いてる姿もとても幸せそうで、何だか面白かったです」
「それならよかった。君との二日間のことはきっと忘れないよ」
「僕もきっと」
十五分ほどの道のりは、体感では五分にも満たない短いものだった。玄関では両親が待っていた。
ここで別れた方がいいだろう。そう思って、少女の方に体を向ける。それに気づいて彼女も足を止める。
「二日間、本当にありがとうございました。とても良い秋になりました」
「いいえ、こちらこそ。楽しかったよ。また、機会があれば」
じゃあ、と手を振って僕は歩き出す。
「ただいま」
「おかえり。……ん? 何だ、それ?」
「あっちに人がいるでしょ? あの人が描いてくれたんだ」
「へぇ………ん? あの人って、どこだ?」
「どこって……あれ」
家族の元に着いて、振り返ると彼女はもういなくなっていた。
『またね』
そんな声が頭に響いた気がして、僕は心の中で返事をした。
秋。
ケモ耳の秋。
楽しい秋だった。
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