47 サッカー観戦


 すっかり春めいてきた頃。4月下旬。入学式はもう過去の話だ。本当にあっという間だと思う。

 あれから廊下で追っかけられる事は度々あるが、前ほどしつこくつきまとわれる事は減った、と倉科さんは言う。平和が一番だ。


 そんな4月にはある大事なイベントが控えている。

 それは――高校生サッカー合同全国大会だ。桐ノ宮高校のサッカー部もその大会に参加する。この前予選を勝ち抜いたからだ。


 まあ俺は高校卒業後にサッカー引退するし、あんまり興味ないんだけど……


 俺がぼーっとそんな考え事に耽っていると。


「何、浮かない顔してぼけーっとしてるのよ。シャキッとしなさいシャキッと」


 幼馴染みの瑞季だ。


「へーい」


 無理やり空想から呼び戻され、姿勢を伸ばす。


 そういえばこいつも誘わないとな。


「あのさ、今週の土曜日に横浜でサッカーの試合があるんだけど、応援しに来てくれるか?」


「勿論行くわ。相手チームに勝って! ってエールを送ればいいんでしょ?」


「ちげーよ。俺のチームに対して勝って! って歓声送ってよ」


「だって応援しに来てくれるか? って言われただけで自分のチームを応援してとは言われてないもん」


「なんでそうなるんだよ。普通に考えれば分かるだろ」


 そんないつも通りの会話を繰り広げていたら、倉科さんがやって来た。


「おはよう、倉科さん」


「おはよう」


 彼女も誘わないとまた嫉妬されるわよ、と瑞季に耳打ちされたので分かってる、と返した。


「倉科さん、今週の土曜日サッカーの試合が――」


「行く! 生徒会あるけど休む!」


 俺の言葉を遮り、倉科さんはそう宣言した。


「生徒会休んでまで来なくても……」


「行くの! 一条くんが頑張ってる姿見たいもん!」


 彼女は目を爛々と輝かせて手を組んだ。そんなに行きたいと言うのなら、と俺は渋々了承した。


 こうして、倉科さんと瑞季がサッカーの試合を見に来てくれる事になった。


 ***


 瑞季宅。


「うーん、こっちがいいかな。いやこっちは……」

「薄ピンクのワンピース着て行ったら絶対理玖に馬鹿にされる」


 瑞季は悩んでいた。といっても、倉科さんが掛ける時間よりは断然早い。


「普通にサッカーだし、半袖あるいは長袖と半ズボンでいいのかな」


 そんな風に考えているとかなりの時間が過ぎている事に気づく。そこで瑞季は助けを求める事にした。すぐさまある人物にメールを送る。その人物はすぐに返事を返した。


『この前の美術館の時のコーデでいいと思うよ』


『それだと飽きられないかな』


 その人物はすぐさま理玖に問う。そして、返信が返ってきた。


『理玖に聞いたら良いと思う、飽きない、だってよ』


『私はあんたの意見が聞きたいの! もういい、婚約破棄する』


「こ、婚約破棄っ!?」


 その人物――蒼空は慌てふためいた。瑞季はもやもやした気持ちを抱えたまま、結局半袖半ズボンにカーディガンというコーデに決めた。誰の意見も借りられなかった事に落胆した瑞季。それでも、横浜に急いで向かった。


 ***


 倉科宅。


 倉科さんは服選びに時間が掛かる事が分かっていたので、朝の6時に起き、3時間服選びと化粧に費やした。


 そうして決まったのが、薄ピンクのワンピース。瑞季が選ばなかったやつだ。


 これでよし! と家を出る。


 ***


 家を出てすぐに、瑞季にメールをした。


『横浜駅集合だよね?』


『そうだよ』


『どうしよう……私、迷っちゃいそう』


 倉科さんは方向音痴なのだ。それに一人だと不安だ。誰かそばにいてほしい。


『駅着いたら、私が案内するよ』


『一条くんは?』


『理玖なら先に行った。試合の準備してる、と思う』


(そっかーそうだよね……)と倉科さんは肩を落とす。


 倉科さんは何とか一難ありながらも横浜駅に辿り着いた。そうして瑞季と合流する。


「倉科ちゃん、やっほー」


「あ、瑞季ちゃん」


 お互いがお互いの服装を見る。


「あ、その薄ピンクのワンピース、私がやめたやつだ」


「えーやめたって変かな? それに瑞季ちゃん、ワンピースとか持ってるんだ」


 倉科さんは何気に失礼な発言をした。だが瑞季は気にしない。


「変じゃないけど、動きづらくない? 応援して立ち上がったりした時に」


「確かに。瑞季ちゃんの服装は動きやすそうだね」


 二人は微笑を浮かべながら、サッカーの大会会場まで歩いた。仲睦まじい様子が顔を見ただけで窺える。


 今日はよく晴れた晴天。日差しが眩しく、コンクリートを太陽が焼くように照りつける。

 会場に着くと、もう人で埋め尽くされていた。息をするのでさえ、苦しいくらいの人混みに圧倒される。迷子にならないだろうか。そう思った二人は手を繋いだ。


「ここら辺でいいかな」


「うん」


 瑞季が選んだ場所は列で言えば真ん中くらいで、よく見渡せる場所だった。北側と東側と南側があるのだが、東側を選んだ。声が届くかは分からない。でも精一杯応援しようと二人は思った。そうして彼女らは席に座った。


 一方で俺は舞台裏で緊張と格闘していた。意味も無いのに水を何度も飲む。もうペットボトルの7割は失われてしまった。


「……勝てるかな……」


 気づいたらボソリと呟いていた。いや、応援してくれる彼女達の為にも絶対勝つんだ。


 そうしている間にも舞台裏では人が行き交っていた。今日の試合は高校のサッカー部で選抜されたメンバーで二チームに分かれて、試合を行う。一チームは二つの高校を合わせた選抜メンバーで成り立つ。分かりにくいが、二つの高校の選抜メンバー対二つの高校の選抜メンバーという事だ。つまり、味方にも他校の生徒がいて、敵は全員他校の生徒となる。


 緊張する。他校の生徒と一緒にタッグを組んで試合をした事が無かったから。パスとか上手く回るだろうか。掛け声とかちゃんと受け取り合えるだろうか。色々な不安が渦巻く。


 そんな不安を抱えながら、余計な考えを振り払い、7番のユニフォームに着替えた。サッカー選手のサイン入りの。小学校の頃に書いてもらったのだ。だから貴重なユニフォーム。負けるわけにはいかないし、泣き言言ってても意味が無い。

 そうしてグラウンドへと出た。


「一緒に頑張ろうな」


 ポンっと肩を押された。同じ学校の佐藤だ。あまり仲良くはないが、部活内では協力し合っている。


「ああ」


 試合3分前。

 対戦相手と向かい合わせで一列に並ぶ。


「よろしくお願いします!」


 そう挨拶をして、握手した。


 やばい。緊張が止まらない。心臓がバクバクと激しく音を鳴らしている。


 とうとう試合が始まった。


「ワーワー」

「キャー」


 大きな歓声がどっと会場内に響き渡る。その中に倉科さんと瑞季の声も含まれてるはずだ。ちゃんと来てるよな? 少し不安になってくる。


 試合は順調に進んでいた。味方チームの他校の子たちが強いからだろう。そう俺は思っていた。


「一条、パス」


「はいよ」


 そのままゴールへとボールを運んでいく。だが、シュートを決められそうなその時、敵チームにボールを奪われてしまった。


 あっ、やっちまった。


「一条くんっ……!」


 彼女の声は俺の元には届かない。


 今日、調子悪いのかな。


 休憩時間。


「なんかごめん。足引っ張っちゃって」


「いいよ。一条が一生懸命頑張ってるのは知ってるから。次頑張ればいいさ」


 何でこんなに優しいんだろう。俺も皆みたいに優しくなりたい。


 でも、俺は邪魔者だ。足を引っ張るだけの存在。サッカー辞めるとはいえ、気を抜きすぎていた。


 休憩が終わり、30分後。延長しなければあと50分で午前の試合は終わる。


 9対5で俺のチームは負けていた。何とかして巻き返せねば。


 俺は転んだり、ボールを奪われたりで最悪だった。しかも水を飲みたい。喉が乾いていた。休憩であんなに飲んだのに緊張のせいだ。こんな大勢の客に見られてると思うと恥ずかしくて緊張してしまった。


 一方その頃、倉科さん達は。


「頑張れー、一条くん!」

「頑張れー」


 周りの声により彼女の声は掻き消される。倉科さんはかなりの小声だった。


「絶対聞こえないでしょ」


 瑞季からの鋭いツッコミ。


「聞こえなくても応援してる気持ちだけで充分だもん!」


「それはそうだけど……」

「でも理玖負けてるよ」


「そうだねっ」


 倉科さんはハンカチで涙を拭っていた。この一瞬の内に彼女は泣いてしまった。


「なんで倉科ちゃんが泣くのよ。おかしいでしょ」


「だって……」


「そんな倉科ちゃんの為にこれ持ってきたから。だから泣き止みなさい」


 そう言って瑞季が差し出したのは拡声器。突然目の前に現れた拡声器に倉科さんは大きく目を見開き、驚く。そりゃそうだ。


「こんな拡声器、いつ用意したの? さっきは持ってなかったよね!?」


「まあ細かい事はいいから、思う存分好きな事叫びなさい」


 彼女はスイッチをオンにする。そして、目一杯叫んだ。


「一条くん、頑張ってー! 絶対負けるなー」

「勝ったらヤマシタ・ベーカリーのパン、奢ってあげるからー。だからお願い!」

「そうそう、その調子!」


 自分でも驚くくらい大きな声が出た。だけど、拡声器を使う応援は合法なのだろうか。


 さすがの俺も存在に気づく。

 あ、やっぱり来てくれてたんだ。嬉しい。


「一条、なんか応援されてるぞ。しかも女子に」


「知ってる」


 彼女らが応援してくれてるのなら、と俺は足に思い切り力を込めた。そして――シュート!

 一点決まった。初めて今日、ゴールが決まった。すごく嬉しかった。


 そこからはすごく調子が良かった。10対9まで追い上げ、マッチポイントとなった。


「あと、一点取ったら勝ちよ」


「そ、そうだね」


「拡声器が恥ずかしかったら、こういう手もあるわよ」


 そこで取り出したのがスマートフォン。その録音機能を使って、音量を最大限にして流すという方法。いや、恥ずかしさ度合いは一緒な気がするけど。


「えー、これも同じじゃない?」


 早速使ってみるが、周りの観客の声も入ってしまう。


「同じじゃないけど、先に録音しておくべきだったね。しょうがないから拡声器使って」


「ていうか、何で瑞季ちゃんそんなに声を大きくする方法知ってるの?」


「内緒」


 それからも倉科さんの応援の声は俺の耳に入った。


「一条くん、カッコいい! ドキドキする!」

「そのユニフォーム似合ってるよ!」


 何でこんなへんてこな応援なんだ?

 当人は首を傾げていた。


「なんか途中から天然の応援が入ってきたね」と瑞季が言った。


「一条くん、頑張って! いけいけー」


 倉科さんの耳には誰の声も入ってこない。完全に自分の世界に入ってしまっている。


 あと一点で勝利。そんな緊迫したシーンの中、俺は全力で闘っていた。


「ヤーヤー」

「いけいけ」

「そっちだ」

「パス、パス」


 そんな掛け声で倉科さんや瑞季の声は掻き消された。俺も集中し過ぎて周りの声が耳に入ってこない。でも……


 俺の元にボールが回ってきた。ゴール目前で味方の子が俺にボールをパスしてきたのだ。このボールをシュートすれば勝ち。そんな単純な事が難しい。


 時間が止まった。無音。静寂。


 だがボールを蹴る直前、彼女の声が俺を現実へと引き戻した。


「頑張って! お願い、勝って!」


 この期待に応えなきゃ。

 ボールに足が当たる。足に力を入れて思い切りゴールへ目掛けて蹴った。


 そして――。


 シュート!!


 勝った! やった!


 味方の子達と肩に腕を回し、ジャンプする。相手チームは悔しがっていた。


 でも、勝った実感は無い。


「一条、よくやった」


「ナイス!」


 これもどれも倉科さんと瑞季のお陰だ。彼女らには感謝しないと。


「俺は大したことはしてないよ。でも勝てて良かった」


 俺は皆の前ではにかんだ。



 午前試合が終わり、舞台裏で水を飲もうとした時、とある男子選手に話しかけられた。


「お前、気に入った。友達にならないか?」


「え――」


 その男の子は他校の子だった。けど味方チームだ。

 俺の人生、これからどうなるか分からない。だけど、瑞季に茶々を入れられるのが減るという事だけは分かった。




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