第40話 父と子 1

 皇都圏南の村が壊滅し、一派の武人が二人亡くなったという話はかなり大きな話題となった。近年ではみなかった大きな事件である。


 そしてその現場に罪人である理玖が居合わせていた事も、一派招集が行われた事で全員の知るところになった。


 犯人は理玖であると強硬に主張する者もいれば、容疑はあるが犯人と断ずる事はできないと主張する者もおり、一派の中でも意見は分かれる。


「理玖……。どうして皇都に戻ってこないのかしら。これだけの騒ぎになっている事、気づいていないのかしら……?」


 道場で汗を流しながら偕たちは言葉を交わしていた。


「分かりません……。兄さまが東大陸にお戻りになられた理由も……」

「このままではいずれ誅殺対象になる可能性もあるのよ!? 一度葉桐家に来て釈明しないと……!」

「……そういえば、理玖。左目に眼帯を巻いていた、て話だったよな」


 理玖の風貌も話題の一つである。その中で最も目立つのが左目であった。


「誠彦も左目は髪で隠れていて見えなかったって話していたし」

「ええ。そして涼香は、理玖が左目に眼帯をしていたと話していたわ」

「それって……。片目で、しかも素手で涼香さんの刀を捌いたという事ですか?」

「……ちょっと考えづらいよなぁ」

「言い訳になるとは話していたけど、涼香自身頭に血が上って普段の剣は振るえなかったという話よ。金剛力も使う前に、痺れ毒で無力化されたって言っていたし」


 皇都を出た後、体術を鍛えたのだろうか? しかし神徹刀を持ちだしたのに刀の修練を止め、体術に磨きをかける理由も分からない。偕たちは理玖の行動がまるで分からなかった。


「まぁ確かな事はあいつは生きていて、今は皇国のどこかにいるという事だ」

「それは良いんだけど……」


 依然変わらず、皇国において理玖は罪人の身であり、そして今や事件の重大参考人でもある。この日の三人は稽古に身が入っていなかった。


 結局事件の事も理玖の事も何も進展がないまま二週間の時が過ぎる。その間に月御門万葉は春の例大祭に参加するため、皇都を出て天駄句公を奉る神殿のある東の都へと向かう。


 護衛には皇国軍の他に偕達を含む近衛が六名、それに術士も数名付いた。これは異例の警備体制であった。次に皇都に戻るのはおよそ十日後になる。


 天駄句公とは初代皇王が契約を交わした大精霊の名である。この大精霊を奉る神殿は各地にあるが、春の例大祭では毎年皇都の東、生天目領にある神殿に皇族が訪れ、祭事を取りまとめる決まりとなっている。もちろん万葉の夢の事もある。偕たちは気が抜けないでいた。


「万葉様、皇都から出るのは初めてなんですよね……」

「ああ。……来ると思うか?」

「分からないわ。万葉様の夢も場所は分からないという話だし。でも仮に妖が出たとしても! 必ずこれを討つ!」

「はい! 毛呂山領に居た頃とは違うんです。今の僕たちには神徹刀もあります」


 気になる事は多い。だが三人は近衛である。今、優先すべきものが何なのかは間違えない。しっかりと警備が固められ、万葉一行は順調に旅路を進む。





 俺は涼香と遊んだ後、最初は真っすぐ皇都を目指していた。だが皇都が近づくにつれて気が重くなり、方々に寄り道をしながらゆっくりと北上していた。もちろん歩いてである。今は皇都の南西にある街に滞在している。


「ほう、こりゃ見た事ない爪だなぁ……! 兄ちゃん、これどこの幻獣だい?」

「海の向こうだ。俺、しばらくあっちで暮らしていたんでね」

「へぇ! 若いのにえらく冒険してるんだねぇ。よし、これはうちで買い取るよ!」

「お、ありがとさん」


 各地では幻獣の素材や肉を買い取る商人が存在している。俺はそこでいくらか小銭を稼いでは宿に泊まり、のんびりしながら皇都の情報収集を行っていた。


(皇族の姫の名は月御門万葉。やっぱり当代の候補の一人はこいつに違いなさそうだな。それが分かっただけでも収穫だ。あとはまぁ、そいつ次第だな。気に入ればシュドさんと同じ手で安全を図る。気に食わなければ捨て置く。……てできれば単純で助かるんだが、契約の縛りがある。ま、そん時はそん時でまた何か考えれば良いか)


 いずれにせよ一度は皇族の姫に接触する必要がある。間違いなくこれが、一番難易度が高い。何しろ普段皇都から出る事はないし、身辺警護には近衛が付いているだろう。これらをかいくぐって秘密裏に姫に接触を図る。


(……無理、だよな。そもそも皇族の未婚の女は顔を見るのも失礼に当たる、てくらいだ。例外があるとすれば祭事の主管を務める時。この時は多くの平民が皇族の顔を直接見る機会になる。だがそんな場で個別に接触できるはずがない。……手詰まりじゃねぇか)


 やらなくてはならない事は理解しているが、方法がない。時が経てばまた状況も変わるかもしれないが、できれば早く片付けて西大陸へ行きたい。


 左目も相変わらず疼いているのだ。この疼きはパスカエルを殺すその日まで消えはしないだろう。


(誰かから人となりを確認できれば、遠目に確認するだけでも良い気はするが。……結局結論は出ない、な。しゃーない、今日も釣り場に行くか)


 最近の俺の趣味だ。西大陸は様々な川が多く流れており、水場は盛んだ。俺は宿に置いていた釣り道具一式を持って街を出た。


 釣りは良い。釣り糸を垂らして黄昏れていれば、あの地獄の様な日々で傷ついた心もいくらか癒されていく。たまに釣れても周囲を警戒する必要もなく、ゆっくりとその場で捌く事ができる。何よりも美味い。


 ずっと草と果物と水、それにくさい生肉、たまに焼いた肉を食べ続ける日々だったからな。こうして普通の食事を食べられるだけでも、俺は大きな幸せを感じる事ができていた。


(……って何やってんだ、俺は。結局結論を先送りにしているじゃねぇか!)


 釣り糸を垂らしながら自分の考えの矛盾に嫌気が指す。早く西大陸へ渡りたいのに、姫に会う方法がないからと行動を止めてしまっている。


 原因は分かっている。皇都へ行くのに気が進まないのだ。だからといってずっとここで釣りして過ごす訳にもいかない。それは分かっている。が……。


(幼き日のトラウマ、か……)


 はぁ、と息を吐く。まぁどこでどう過ごそうと結局契約からは逃げられない。いい加減、魔境勤めの休暇もしっかり取れただろう。ふと空を見上げるとすっかり夕焼け模様だった。


「明日には街を出るか」

「ほう。それでどこへ行く?」


 後ろから質問が投げられる。当然、既にその人物には気づいていた。その正体も。振り向きながら答える。


「さて、どこかな。気の向くまま風の吹くままってね」


 俺の正面に立つ人物。そいつはもう二度と会う事はないだろうと思っていた人物、父である陸立錬陽だった。相変わらず厳めしい顔つきをしている。


「久しいな。まさか皇都からこれほど近い場所に居るとは思わなかったぞ」

「そういうあんたは皇都から離れてこんな場所で何している? 観光か? 随分いい身分だな」


 強がってはいるが、背中には嫌な汗を掻いている。こいつも俺のトラウマの一人だ。できるなら会いたくはなかった。


 しかも何だかやる気の気配を感じる。父は俺の軽口を聞き流して質問をしてきた。


「随分と腕を上げたようだな。どうやって誠彦と涼香を降した?」

「本人から聞いていないのか?」

「二人とも卑怯な手を使われたと話していたが」

「誠彦にゃ何もしてねぇよ。ただ一発殴っただけだ」

「ほう……」


 ……おや。てっきり俺の言う事など信じないと思ったが。どうやら信じている様だな。


「言っておくが、涼香の配下だとかいう武人をやったのは俺じゃねぇぞ」

「……そうか。だがその話は葉桐家で聞こう。お前にはその件で容疑がかかっているだけではなく、皇国にあっては罪人の身でもある」

「ああ。そういや皇国籍、抜かれたんだっけか」

「そうだ。さぁ、ご当主の前で釈明をするがいい」


 ついて来い、と圧をかけてくる。どうやって俺の居場所を掴んだのかは知らないが、親父殿は俺を皇都に連れて行くためにここへ来たという訳だ。かつての俺にとって、畏怖の象徴であったこの男は。


 ……左目が疼きだす。さっきまでとは打って変わって、皇都を前にしてどこか委縮していた俺の心に暗い炎が灯り始める。


「く……。くく、くくくく……」


 父は、左目に触れながら急に笑い出す俺を訝し気に見てくる。ああ、そうだ。この男ときたら。久しぶりに会っても相変わらず傲慢、上から目線で俺に接してきやがる。


 昔はてめぇの面を思うと飯が喉を通らなかった事もあったな。今もこいつから見れば、俺なんざ路傍の石に等しいのだろう。全部自分の言う通りに動くと確信してやがるに違いねぇ。


 そんな奴に何を遠慮する事がある? 今、俺のこの左目は何を求めて疼いている?


「何を笑っている。さっさとついてこい」

「くくくく……。断る」

「……なに?」


 空気が変わる。ああ、そうだ。誠彦を殴っても。涼香をあしらっても。俺の皇都への足取りは軽くならなかった。だがこいつをやれば。少しは軽くなるんじゃないか? 


「俺は今、皇国にその籍は無い。つまり皇国臣民でも何でもない、自由の身だ。俺に用事があるなら自分から訪ねてこい。葉桐の当主にはそう伝えな」

「……ご当主への無礼、一度は聞き流そう。もう一度言うぞ。足を切られて皇都まで引きずられたくなくば、大人しくついて来い」

「歳とると耳が遠くなんのか? 断るっつってんだろ。葉桐への無礼? 結構じゃねぇか! 俺はもう葉桐一派でも何でもねぇ! 葉桐の当主だろうが何も義理立てする事もない! 用があるのはあくまでそっち、俺には関係ない。どうしてもって言うなら話くらいは聞いてやるから、そっちから顔を出せ。以上だ」


 周囲に圧倒的な圧が満ちていく。その中心にいるのは陸立錬陽。錬陽はゆっくりと刀を抜いた。


「どうやらとんだ身の程知らずになって帰ってきたようだな……。腕や足が無事につながった状態で皇都に戻れるとは思うなよ」

「戻る? 俺は皇国に戻ったんじゃねぇ、来たんだ。ここはもう俺の帰る場所じゃない」

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