2. シメの座は必ず
「なんて書いてあるんですか?」
その日の昼休み。
裏庭のベンチで、五宮さんからの手紙を吟味するように読んだ先輩は顔を上げた。
「明日の昼休みを裏庭でともに過ごしたいと」
……ほー。
「よかったですね。デートのお誘いが来て。おめでとーございます」
この忠実な小間使いがお役目をはたしてまいりましたよ、えぇ。
半ばやけのようにそう言うが、意外にも先輩に笑顔はなかった。
すっと親指と人差し指で手紙を挟んで斜めに掲げながら、
「――杏さん」
いとも寂しげな瞳で訴えてくる。
「杏さんは平気なんですか。オレがほかの女性と過ごしても」
――はい?
「べっつに。先輩が誰と昼休みを過ごそうと自由じゃないですか」
そう言ってやると、待夜先輩はこめかみに手をあてて、絵になる憂い顔なんか浮かべて、
「まだまだオレも詰めが甘かったということですね。……これからもっとせめていきます」
なんかのたまっている。
横目でこっちを見てさらに。
「オレが必要なのは、あなたの忠誠心ではないんですよ、杏さん」
ぶすっと、あたしは頬を膨らませた。
なにヨーロッパ風恋愛小説で貴族の奥方にせまる騎士みたいなことを言ってくれちゃっているのだ。
「言ったじゃないですか。あたしの恋心になんかこだわらなくたって、ほかに好きになってくれる女の子がこうしているんだから、そっちで栄養補給したらいいんですよ」
自分からそう言ったのに。
「……そうですね」
思案げに夏空を仰ぐ先輩を見て。
あ。
なんで。
日焼けしたように、胸がじりじり痛い。
どこかで否定してほしかったのか、あたし。
自問自答が完了する前に、先輩が言葉を継ぐ。
「あらかじめきちんとお断りして、契約を結んでからというのが主義ではありますが。契約中の杏さんがいつまで経ってもオレの手に堕ちてきてくれない今、やむを得ないかもしれません」
……ほーら見ろ。
フンだ、フンだ。
「誰とでもキスして恋心奪うような輩に、誰が堕ちてなんかやるかってんです」
ぷいっとそっぽを向いてやると、ため息交じりの苦笑が追いかけてきた。
「杏さん、今日はなんだか意地悪ですね」
そうですとも。
今日のあたしは機嫌が悪いんですとも。
「……まさか」
衝撃とひらめきに、ヴァイオレットグレイの瞳がまたたく。
あたしは、ひっと、悲鳴を上げた。
やめて。
見抜かないで――。
自分でも見ずにいる、その理由を。
「空腹でいらいらなさっているのですか」
「……」
「これは気づかず失礼を。お昼前の4限時ならいざしらず、昼食補給直後の休み時間にそうなる方はまれですから」
菓子パンを調達してまいりますと、ベンチを立つ彼に、猛烈にいらっとくる。
「違います!」
驚いたように振り返りながら先輩が呟く。
「総菜パンのほうが、お好みでしたか」
もーあったまきた。
びしっと、制服の胸ポケットにしまわれたその手紙を指さした。
「それです! 五宮さんから先輩にって預かったときから、こちとらずーっと、モヤモヤしどおしなんです!!」
啖呵をきってしまったあとは、なぜだかみょうに決まり悪くて、視線をあっち、こっちへとさまよわせる。
「……なんでかわかんないけど、いらいらして。ほんとは断りたかったんです、あたし」
ぼそぼそと、言葉は湧き出ては、草むらに落ちていく。
「なのにはっきり断れなくて取り次いじゃった自分にも腹立つし。なんかもう、わかりません」
「――杏さん……」
気がつくと。
あたしが腰かけているベンチの前に騎士のようにひざまずいた彼が、見上げてくる。
いつも余裕たっぷりのそのヴァイオレットグレイが。
今は切なくつらそうな、ブルー・ヴァイオレット。
「申し訳ありません。ラヴァンパイアの血に目覚めた者の栄養源になるのは恋心のみ。五宮さんやほかの女性に恋心を抱かせて食べることになります。……こんな不誠実なオレを許してください」
そして、決然と上げられ、真夏の日差しを浴びたそれが、かすかな赤紫の光を宿した。
「しかし誓って、これは生き延びるため。最初にお断りしたとおり、オレは誰にも心を動かしはしません」
誠実なその視線に、不覚にも口が動いた。
「せん、ぱい……」
違うんです。
非難してるわけじゃなくて。
でも、いらいらしちゃって。
あたし――。
彼の手がすっと、その胸に添えられる。
「シメの座は、必ず杏さんにお約束します」
……あたしは、すきやきでいううどん的立ち位置なのか。
「もういいですっ」
ベンチから立ち上がり、あたしはすたすたと歩きだした。
あたしの名を呼ぶ彼の声を背中でききながら、ぺろりと舌を出す。
あんな想いさせられちゃったんだ。
もうちょっとだけ、動揺に彼を泳がせてから。
今日の講義はそれからにしよう。
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