完結編

二十三歳 その1

「やー懐かしい。全然変わんないね」

「この辺こんなだったっけ?」

「え、もう忘れたの?」

「四年も前だから」

「高校時代だよ?記憶薄すぎない?」


 三月の末頃、今年は例年より早めに春の足音が迫っていた。暖かい空気で少しだけ早とちりした桜が、既にいくらか咲き始めていた。


 能勢葉月と大西可奈子は、かつて毎日通っていた岳南高校の駐輪場にいた。


 帰省のタイミングを合わせられたのは幸運だった。お互い忙しくはあったが、一日だけ会う時間を作ることができた。


 ようやくである。


 二人がここへ到達するまでにこれほどの時間を要するとは、誰が予測できただろうか。

 彼らは、五歳の頃に出会っているのだ。にもかかわらず、食い違うなりすれ違うなりを繰り返し、中学一年生から数えても十年以上の時が経ってしまった。


 しかし残念ながらと言うべきか、私はもうすぐ、この物語を語り終えることになる。これまであまりにも長すぎる、とうんざりされたかもしれないが、あと少しだと思って辛抱していただきたい。


 少なくとも本人たちにとっては、これは考えうる中で最も短い物語なのである。


「ほら、能勢ちゃんこの辺に自転車駐めてた」

「そうだっけ?よくそんなこと覚えてんな」

「何でも覚えてるよ。グラウンド見たら体育の持久走とか思い出すし」

「あーそれはオレも覚えてる」

 と言いつつ、彼は思い出したくなかったような顔をした。


 可奈子はにんまりと微笑む。

「能勢ちゃんさ、体育そこそこ好きだったのに、毎年マラソン大会前になると口数減ったよね」

「そりゃそうだろ」

「女子に追い越されまくるから?」

「冷静になって考えてみろよお前、人類史上マラソンほど謎の行為はないぞ。やってること、あれただの『速めの移動』だからな」


 彼女は盛大に笑った。口を大きく開け、こくんと上を仰いで笑い声を上げた。

 葉月にとっては、ずっと前から知っている笑顔だった。でもすごく久しぶりな気もする。

「まあそうだけど!」

「何であんな苦行みたいなことしなきゃいけなかったのか、未だに分かんないね」


 二人は駐輪場を抜け、正門に向かっていた。まだ春休み中だから、授業はやっていないのだろう。外には人気ひとけが一切なかった。

 高校の頃は毎日、ここを通って登下校していたんだ。その記憶はあるが、葉月には実感が湧かない。


 体育館を目の前にしても、先生たちの車が並ぶ駐車場を見ても、何だか現実感がなかった。あまりにも久しぶりすぎると、こういう不思議な気持ちになるのかと思う。


「そういえば、この後どうする?」

「え、中学も行こうよ」

「なるほどね」

 それから彼らは、いつもの帰り道に差し掛かる。いや、今となっては「かつての」かもしれないが、やはり葉月には、「いつもの」と呼ぶのが一番しっくりくる。


 学校の正門を出て左に曲がった一本道だ。狭い道路で、車が通る時は一列にならなければいけない。

 幸い次の目的地までに、岳南高校から歩かなければならない距離は短い。葉月は可奈子の歩幅を見ながら、高校の前の道路を歩いた。


 そういえばこんな感じで、二人で自転車を押しながら、この辺を歩いていた時期があった気がする。一緒に帰っていたのは二年生くらいの頃だったはずだ。

 可奈子も、同じことを考えているだろうか。横顔を見る限りでは判断がつかなかった。


 一つ角を曲がると、ルートは帰り道から中学校への通学路に変わる。

「あれ、こんな所に居酒屋あったっけ?」

「これはあったんじゃないか?」

「そっか。見方が変わったのかな?」

「それはありえるね——あれ、ここの服屋さんなくなっちゃった?」

「ここに服屋なんてあったっけ?」

「古着屋さん——だったかな」

「ここは元から駐車場じゃなかった?」

「あれ、じゃあ古着屋さんもう一個向こうか」

「お前もあんまり覚えてないじゃん」


 可奈子は「いや、まあね」と濁して逃げる。結局彼の方が詳しく覚えていたりする。

 数分歩くと、昔ながらの商店街や地元のランニングコースである「お堀」が見えてきた。

 歴史ある街並みだ。可奈子は様々な記憶を呼び起こしていた。


 この辺りは、中学校の写生大会で連れて来られた所だ。お城の中の公園で、好きなものを描けと言われた。

 能勢ちゃんは池を描いていた。何の変哲もない、緑に濁った池だ。でも、彼の絵の中ではその緑も、本物より明るいエメラルドグリーンだった。


「あれか」

 彼が言わなければ、可奈子は気づかなかっただろう。それくらい遠くに、可奈子たちの中学校は見えた。

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