十五歳 その4

 京都へ行くのは初めてで、どこへ行ってもテンションは上がりっぱなしだった。元々遠いところへ出かけるのは好きだったのだ。


 京都・奈良での移動はほとんどバスだった。その席順はくじ引きで決められたわけだが、正直誰の隣になっても構わないと思っていた。

 そんな心構えで割り箸を引いたら、本当に全然話したことのない人と隣になった。


 それが長谷部優だった。


 まあ誰と隣になろうが、修学旅行は楽しめる。その自信が葉月にはあったし、実際その通りになった。バスには何度も乗ったが、そのたび長谷部は良いやつだということが分かった。


 何より、好きなバンドが一致した。

「能勢ちゃん、音楽って聞く?」

 窓側でリュックをゴソゴソしながら長谷部が聞く。

「聞くぜ。最近は——サザンクロスとか」

「サザンクロス!」


 彼のその一瞬の反応で、葉月は相手が仲間なのだと気付いた。無言でハイタッチをして、それからはバスを降りるのも惜しいほど好きな音楽について語り尽くした。


 当時の葉月は、好きなバンドが同じでさえあれば、誰とでも親友になれた。葉月と長谷部はバスの中の会話だけで、あたかも数年来の付き合いかのように親しくなってしまった。


 二日目もバスの座席は変わらなかった。不平を言う人もいたが、葉月にとってはむしろ好都合だった。


 旅館を朝の九時に出たバスはまず、奈良県の東大寺を目指した。京都の真ん中からなので長時間の移動になると言われた。

 周りが奈良公園やシカせんべいの話で盛り上がっている頃、長谷部と葉月の話題は全く違っていた。


「能勢ちゃん」

 二日目のバスでは話題が一周し、出発から十分もすれば話が途切れた。葉月としては、長谷部から話題を振ってくれるならありがたいところだった。


「なんだい?」

「能勢ちゃんって彼女いるんだっけ?」

 あまりにも突然すぎて、葉月はスポーツドリンクでむせた。こんなむせ方は初めてだ。


「なっ、なんだよいきなり」

「ほら、能勢ちゃんってなんかいつも女子と一緒にいるイメージあるから」

 さりげない風を装うために努力しているのが、葉月の目からでもよく分かった。長谷部のやつ、何が言いたいんだ。


「いねえよそんなの」

「いないの?」

 自分で聞いたのに、そんなに驚くことだろうか。急に目も泳ぎ始めて不自然さが増している。

 手元も視線も落ち着かない。前の座席や窓を行ったり来たりでよそよそしい感じだ。


 ああこいつ、隠し事が下手なタイプだな。葉月は直感的にそう思った。


「そうか……」

「優、言いたいことがあるならストレートに言えよ」

 すると長谷部はあからさまに肩を上下させ、深呼吸を二、三回繰り返した。どんな大層なことを言われるのかと身構えていると、予想に反して質問が飛んできた。


「能勢ちゃんってさ——お、大西可奈子さんとよく一緒にいるよね?」

 予期せず出てきた名前に不意を突かれ、葉月は黙ってしまう。


 一度話題を始めて抵抗がなくなったのか、長谷部はかまわず続ける。

「大西可奈子さんと、ちょっと——知り合いになりたいと思ってる」


 口が開きっぱなしだった葉月に、しゃべる活力が戻ってくる。

「知り合い?あいつと?」

 その言い回しはあまりにも不自然だった。さすがの葉月にも、このふわふわした口調ともの恥ずかしげな態度が何を意味するかは、すぐ理解できた。


「お前……マジで?」

 少し間を空けて、そう尋ねるだけで充分だった。

 長谷部は葉月の見込んだ通り、全て顔に出るタイプだった。タコを茹でたみたいに、あっという間に彼の顔面は真っ赤になった。

「ま、マジも何も——」

「お前大丈夫か、視力検査やり直した方が良いだろ。あんなやつのどこが良いのよ?」

 そんなことを言うと、明らかに彼はムッとした表情になる。


「し、視力検査した方が良いのはそっちだと思うけど」

 思わぬ反撃に驚く。長谷部が直接、攻撃的な言い方をするのはそれが初めてだった。


「お前本気なのか」

 と聞くと今度は観念したように葉月から目を逸らし、体の向きは変えないままうつむいた。


 目も顔もそちらを向いていないが、その意識はバスの後ろの方にあるように見えた。一番後ろの席では今、可奈子とその友達何人かが楽しそうに話している。


 ああこいつは本気だ。葉月はその態度から判断した。

「よし、そうと分かればオレに任せろ。こういうのはスピード勝負なんだ」

「スピード?スピードって?」

「心配するな、あいつ彼氏とかいないから。今日だな、もう今日中にアタックしよう」

「はあ?」

 予想外の展開に長谷部は戸惑っているようだった。


 実のところそれは、葉月自身にも当てはまることだった。どうしてそんな発想になったのかは自分でも分からない。だが自分の発言をコントロールすることができなかったのだ。


「思ってることは伝えろよ、お前本気なんだろ?」

「ああ、うん」と目をパチパチさせながらも、長谷部はしっかりうなずいた。

「どっかでチャンス作ってやるから。今日できなかったら明日、必ず修学旅行中に」

「いやいやいや、それは早すぎるよ、まだ大西さんは俺のこと知りもしないのに——」

「心配すんな、知らなくはないから」


 本当はそのレベルではなかった。

 可奈子は実際、長谷部優のことを知っていた。それどころか、この頃最もよく話に出てくるのは彼だった。


「将棋もできて運動もできてテストの点数も良いんだよね。ああいうのはやっぱり“秀才”って感じがするなあ」

 いつだか彼女がそう言っていたのを、葉月は覚えていた。


 今こいつが告白したらきっと上手くいくだろう。葉月からすればこの状況では、目の前の秀才を応援する以外の選択肢はないように思われた。


「想像してみろよ、あいつが彼女になったら一緒に帰ったり、机くっつけて弁当食べたり、映画見に行ったりできる。夏休みは図書館で勉強とか、冬休みはクリスマスもあるわな」

 ここからは意識的にトーンを低くする。

「でもこれから高校受験の時期が始まっちゃうだろ?告白なんてできるチャンスがあと何回あるかなあ」


 そこでパン、と両手を打ち鳴らされる音が聞こえる。見ると長谷部は両手を合わせ、葉月に向かって頭を下げていた。

「よろしくお願いします!」

「しっ、そんなでかい声出したら目立つって——」

「お、俺は頑張りたい」


 その必死さは充分すぎるほど伝わった。こういうちょっと不器用そうな所も、あいつの好みだろうなと思った。

「よしきた、その意気だっ」

 パシン、とその日一発目のハイタッチが響いた。

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