【第六章】ジャズフェスティバル
「ったく、相変わらず暑苦しい場所ね。もう十月末よ、十月末」
ぞろぞろと各々楽器をもって下船する人々を眺めながら、甲板で一人仁王立つ女性は二人の人影を見て、相好を崩す。
一人は憎き敵であった者、もう一人は凡才極まる我が子。
「さっさと降りなさいよ。真打は最後に現れるものなんだから」
どうやら最後に下船するつもりのようで、全員船から出るのを待っている様子だった。船員はとても困った顔で降りてください、と頼んでいたのだが――
「私を誰だと思ってんのよ」
この女、聞く耳を持たない。
最後の一人、堂々の凱旋、英雄の帰還。
「……あれ、歓迎のパレードは無いの?」
「あるわけないでしょうに。相変わらずのようですね、綾子」
久方ぶりの親子の対面、青柳節子と青柳綾子が遭遇する。
だが――
「滅茶苦茶老けたな、クソババア」
「貴女も年相応に見えますよ」
「めっちゃアンチエイジングしてますゥ! 十歳は常に若く見られてますゥ!」
「お世辞ですよ、いい加減大人になりなさいな」
「この、くそ、ババア」
この二人、やはり水と油であった。息子は静かに一歩距離を取る。
「で、相変わらずこの私と似ても似つかない凡才面してるわね、健太郎。顔はあの男にそっくりで、眼だけババア似。ネグレクトになるのも仕方ないと思わない?」
「……ひ、久しぶり、母さん」
「まあ、凡才なりに頑張ってるみたいだけど、私のような綺羅星にはなれないと理解した?」
「うん。そこは大丈夫」
息子の淡白な反応に「あっそ」と同じく淡白に返す綾子。
「ミッチさんは? ちょっと話があるんだけど」
「そっちで作業していますよ。少し待っていてあげなさい」
「それは無理でしょ。伝言しといて、私、ホテルのスウィートで泊まっているから。話がしたいならご足労よろしくって。あーもう、日差しが強くてやんなっちゃう」
何という我の強さ、傍若無人っぷり。
「……そもそも何で母さん、島に来たの?」
「授業参観かもしれませんよ」
「母さんが? それはないと思うけど」
そのまま送迎によって姿を消す綾子。息子とも久方ぶりの再会なのだが、何ともあっさりしたものである。
遠巻きに見ていた七海家、海老原家もまた唖然としていた。
「そりゃあ、健太郎君もちょっと風変わりに育っちゃうかぁ」
「あの小僧が可哀そうに思えてくるとはな……青柳が相変わらず過ぎて」
七海父、海老原父は憐憫の視線を健太郎に向けていた。まあ、当の本人はさほど気にしていないのだが、はたから見ると中々壮絶な関係性に見えなくもないのだ。
「じゃあ、ばあちゃん、僕設営手伝ってくるから」
「いってらっしゃい」
とうとうジャズフェスティバルに参加する面々がやって来た。いずれもそれで飯を食べているプロばかり。もう見た目からして『音楽』が漂ってくる雰囲気である。
こんな彼らの前座を、健太郎たちは務めるのだ。
設営でもして気を紛らわせないと、落ち着かない気分になってしまうのも無理はない。コンクールとはまた違う緊張感であろう。
後ろに本物が控えている、と言うのは。
「あたしたちも行くね」
「あー、めんどくさー。スティックより重たいもの持ちたくなーい」
「はいはい、えびちゃんも行こうねー」
「やだー」
マイマイに引きずられている初音もまた会場の設営に飲み込まれていった。
「いやー、楽しみですねえ」
「俺ァ、今から胃が痛ェよ」
「胃薬呑みます?」
「そう言う意味じゃねえ」
七海父は悠然と、海老原父はお腹を押さえながら、彼女たちを見送った。
○
「久しぶりだな、綾子ちゃん。少し待たせちまったな」
「ほんとにね。いい加減荷役の仕事辞めればいいのに。店だけでもそれなりにやっていけるでしょ。その内体壊しちゃうんじゃない?」
「いいんだよ。この島は漁師、公務員以外は大体副業してんだ。色々やってナンボ、せざるを得ない部分もあるが、好きでここにいるし、好きでやってることだからな」
「ふーん、相変わらず理解不能ね。ミッチさんも老けちゃったみたいで」
「そりゃあいい歳だしな」
小笠原唯一のホテル、その最高級の一室で二人は再会する。
「音源は聞いてくれたか?」
「聞いたから私、ここにいるわけ。まさか凡才の息子のために私がわざわざこの島に来ると思う? 七海真生、確かに面白い子よ。預かっても良いわ」
単刀直入、無駄話をする気はないようである。
相変わらずだ、とミッチは苦笑する。
「まあ、本人はガイドになるって言ってるんだけどな」
「論外ね。それ、聞いてたらここに来てないわよ、ミッチさん。私、見てくれの通り忙しい女なの。本人が熱望してるならともかく、熱意がないなら意味はないわ」
「わかっている。でもまあ、わかるだろ、綾子ちゃん。この島に生まれて、この島にもまれて、そんな想像したことがないんだよ。そんな道があるとは知らないんだよ」
「私は飛び出したわよ」
「節子先生がいたからだ。彼女がいたから、君は外で通用する腕を得た」
「……ハン。出た出た、ミッチさん世代のババア贔屓」
ムスッとする綾子を見て、ミッチは苦笑する。健太郎が生まれる前は、それこそこんな憎まれ口すら叩けないほど、二人の関係は断崖であった。
健太郎と言う緩衝材と、離婚と言う傷が二人をもう一度結びつけたと言っていい。
「健太郎君のおかげで、真生は腕を得た」
「道理で粗いと思った。半人前以下の凡才マンに教えを乞うていたんじゃ、成長も遅いわけね」
「あの時渡した音源はまだ、途中だ。本番は楽しみにしてくれていい」
「……ふーん、そんなに飛躍的な成長が見込めるとは思わないけどね。この島じゃ」
「健太郎君にはこの島が必要だったんだよ」
「健太郎の話はしていないけど?」
「あの子も成長したよ」
「するわけない。あれは凡人で、入学を認めたのも技術さえあれば食っていけるから。ババアみたいに辺境の地で教室を開いても良いわけで――」
「こうご期待、だ。この話は、イベントが終わった後にまたしよう」
「…………」
そう言ってミッチは身を翻す。
「ああ、そうだ。誰も言わなかっただろうから俺から言っておこう。おかえり、綾子ちゃん」
去り際の言葉にさらに顔をブスっとさせ、綾子は一人ソファーの上で寝転がる。本当に、相変わらずなのだ、この島は。変わらな過ぎて、嫌になる。
○
ジャズフェスティバルに集まったプレイヤーたちは皆、小笠原の自然を愛し、ここでプレイしたい、そんな思いを胸にここに集まった者たちばかりである。
基本的に温厚で、おおらかな者たちばかりだが、それでもプロの矜持は持ち合わせている。彼らにとって音楽は遊びではなく仕事なのだ。
「どうなんですかね、今年のプログラム。そりゃまあ、賑やかしにはなるでしょうけど、ジャズをやるって本質を外しちゃ駄目だと思うんですよ」
「ま、そりゃあ尤もだが、誰が根回ししたのか役場からの依頼なんだ。断れないし、頑張って盛り上げてもらうしかないよ。どちらにせよ高校生は前座で、どういう結果になろうとそこからが本番、いつも通り盛り上げるだけだ、こっちとしては」
「せめてまあ、ジャズにさえなってくれてたらいいんですけどね」
「上辺だけでも取り繕ってくれたら万々歳、それぐらいの気持ちで行こう」
「ハァ……」
ジャズとは何たるか、プロ同士でも分かれるような本質の話が出来るレベルとは思わない。精々がどこかのバンドをコピーして上っ面を整えた演奏を聴かせられるのだろう、と彼らは思っていた。それほどにジャズは奥深く、難解であるのだ。
時に、聴くものをも困惑させるのもまた、ジャズなのだから。
「お、高校生がリハするみたいですよ」
「俺はいいよ。今はレベルが低い音、入れたくないんだ」
「自分もそっちでアップしてま――」
だが、彼らの演奏が始まった瞬間、全員の眼がそちらに向いた。確かに粗い、洗練されたジャズとは言えないかもしれない。それでも――
「アップは良いのか?」
「そっちこそレベルの低い音、入れたくないんじゃないですか?」
「レベルが低かったら、な」
これは紛れもなくジャズである。彼らは皆、そう思った。
本番、彼らがどう変わるのか、良し悪しも含めて、期待値は否応なく上がる。
○
本番当日、燦燦と太陽が降り注ぐ中、青柳健太郎は青灯台の桟橋にいた。ぼーっと脱力して海を眺めているだけの、何もない時間が過ぎていく。
「健太郎、そろそろ準備しようよぉ」
「んー、今行くー」
胸いっぱいに空気を吸って、体中に島の空気を行き渡らせる。そしてまた、ぼーっとする。ここに来る前は本番直前など、ガチガチになっていた気がする。緊張して、吐きそうになって、苦しくて、辛くて――それが今、思ったほど重く感じない。
「マイマイ、今日の目標は?」
「元気よく吹く!」
「元気でよろしい」
「健太郎は?」
「自分を出し切る、かな」
あれだけ恐かったミスが、あまり怖くない。失敗したってクジラに食べられるわけではないし、誰に責められるでもない。まあ、あとで初音がグチグチ言うだろうが、たぶん、初音もどこかで絶対ミスをするはずなので、言い返せばいいだけ。
頑張ろう、よりも楽しもう、の方が強い。
「初音は?」
「さっき泳いで緊張ほぐしてた」
「意外と緊張しいだな、あいつ」
ケタケタと笑っていると足元から、
「聞こえてるからね」
初音の声がした。すいーっと泳ぎながら健太郎をぎろりと睨む目に、緊張など欠片も見えない。いや、怒りが緊張を超越しているのか――口は禍の元、である。
「まあ、いいや。楽しもう、みんなで」
「おー」
「へーい」
こんなにも舞台を待ち遠しいと思ったのは、たぶん、人生で初めてかもしれない。それもこれも、ここから先が一人ではないから、であろう。
本気で楽しんできた彼らの舞台が、今、幕を開ける。
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