あった

 

 いつもの喫茶店でコーヒーを注文し脇に退けておいた手帳に手を伸ばす。

 明日の予定をもう一度確認しておこう。

 んー、買い物を忘れない様にしないといけないね。

 考え事をしていると目の前に湯気の立ったコーヒーが置かれた。

「リンカさん。ここに居る時くらいお仕事を忘れたらどうです?」

 にこにこと微笑むバイトくん。

 名前は、なんだっけ?

「ありがとう。でも大丈夫、仕事のことじゃないから」

「そうですか。ごゆっくり」

 バイトくんが下がって行くのを横目で見ながらコーヒーに砂糖とミルクを入れてスプーンでかき混ぜようとして、紙ナプキンに何やら書いている事に気が付いた。

 気が付いたけど、私は素知らぬ顔でコーヒーかき混ぜ口に運んだ。

 カップをソーサーに戻すと同時にナプキンを握りしめゆっくりと手帳を読む振りをしてそれを確認する。

 

 先日はお見事でした。リンカさんが仮面の男、ですよね?

 

 私の心臓がドクンと跳ねた。

 バイトくんがあの中に居た?

 ゆっくりと手帳を閉じてカップを取りコーヒーを口に含む。

 目を閉じてもにゅもにゅと口の中でコーヒーを動かして飲み込み身体全体にコーヒーを浸透させる。

 落ち着け、私。

 落ち着くんだ。

 あ、もうコーヒーが無い。

「あの、コーヒーおかわりお願いしても?」

 心の中は大慌てだったが出てきた私の声はいつもと変わらない声だった。

 

 サイフォンの音が室内を満たして時間だけが過ぎる。

 私は目を閉じてコーヒーの香りだけでも鼻から摂取しようとゆっくり深呼吸をする。

 こと、と音がした気がして目を開くとテーブルの横にはバイトくんが立っていた。

「どうぞ」

 ありがとうと礼をして注ぎ足されたコーヒーを一気に飲み干した私はチケットを机に置いて席を立った。

「ご馳走様です」

「リンカちゃんが2杯も飲むなんて珍しいね。しかも、ブラックで飲むなんて」

「そうよねえ。お付き合いしてる人でも出来たのかしら」

 カウンタに座ったご婦人たちの話が始まるが私は今そんな気分じゃない。

 ドアベルを荒々しく鳴らして私は外に出る。

 走り出したい気持ちを抑えて喫茶店の中をちらり、と確認する。

 目が合った。

 中からなのに目が合ったぞ。

 あの時と同じ感覚だ。

 叫びたい。

 逃げたい。

 どうしよう。

 どうしたらいい?

 私は、現実と戦わなければいけない、の?

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