奏とカメムシと 後編 その2

 4人掛けでゆったりとした完全個室。二人には贅沢過ぎるくらい落ち着きのある素敵な空間。

 大きなテーブルを挟み、向かい側で鍋にカニの足を入れている奏が、高揚した感情も後押して目の前にいる僕を推してくる。

『舞台なら歌ってるのにぃ。これ、どうやって火ぃつけるの?』

「舞台は別。インスタは・・・まぁ、施設を回る営業なんかもしたいし、少しでも仕事に繋がったらいいなって宣伝に利用してるだけ・・・焼きガニも火ぃつける?」

『カラオケ動画をインスタにあげてる人は沢山いるし、あげてる理由も様々だろうけど、ひとさんは自己満足じゃなくて届けたいって想い伝わってくるよ。あれはカラオケじゃなくて、うーーーん・・・上手く言えないけど他の人達とは違うんだなぁ』

「何も出ないよ?」

 そう言って席を立ち、甘エビを一匹、醤油が注してある小皿に移し替えてやる。

『出た』

「んん・・・素直にありがと。ただ、本当に本気で取り組んでる人はさ、僕みたいにあれやこれやと欲しい物や見たい物、他の欲求には目もくれず、なんなら完全に遮断してしまって、それだけを必死に追い掛けて、血の滲むような努力と、いい汗をかいて取り組んでるんだよね。僕みたいに環境を整えられないを理由にカラオケに行ってるんじゃなくてさ。自ら環境を作って整えて、そこまでやるから本気だし、成功するんだと思うんだ。僕は自分に甘いんだ中途半端だよ」

『ひとさん、それやってるのに。限られた中で何が出来るかって、いつも常に考えて出した答えが今でしょ。凄い我慢もしてるし精一杯やってるよ。他人と比べ過ぎ。ひとさんは十分にストイックだよ。見て、聴いてる人達の感情を引き出すエンターテイナーなんだよ。メンタルは最弱だけどね』

 もう一匹、甘エビを移そうかと席を立ち直し、奏に近寄ったタイミングで出た最後の一言で、僕は移すのやめて席に戻った。

『あっ!』

 すぐさま、んんーっと鼻息を吹き、腕を組んで、言葉を絞り出そうとしているが、僕が席に戻るまでの間には何も浮かばないようだった。

『でも松岡さんのことは考えてあげてね。私の隣に一人増えるだけだよ』

「サービス的なの苦手だしな・・・」

『バーとか行った時、知らないお客さんに握手求められるほど歌ってるのに』

「いやだからそれも別問題だよ・・・」

『熱っ!』

「おまっ! 焼いてるカニを、もろに手掴みするやつがあるか馬鹿ちん」

『モロッ!?』

「もののけ姫じゃねぇよ!」

『にゃはは、ついね』

「火傷してない?」

『うん、平気』

 網の上。焼き始めて数分になるカニのハサミ部分を、あっつ、あっつ言いながらポジションを変え、ぐつぐつ茹だっている鍋に箸を進める奏。

『これ食べにくそうだねぇ』

「うん、熱いし剥きにくいし鍋のカニは僕も苦手。特に胴体の足の付け根んとこね。たまに炒め物とかラーメンにも入ってる時あるよね。あれ嫌だわ」

『頭も食べれるの?』

「うん食べれるよ。親父おやじがカニ味噌んとこに日本酒を注いで、火に掛けて飲んでるよ。そこに、その食べにくい胴体んとこの身をほぐして入れるといいよ。やってみる?」

『んにゃ、面倒だからいいや。日本酒も飲んだことないし』

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