奏とカメムシと 前編 その5

 大谿川おおたにがわと石造りの太鼓橋。

 夕空に映える柳並木と、点灯し出した街灯のコラボレーション。

 美しい風情と情緒に、最初は見惚れていた奏も

『次のアルバム作成する時は、絶対に私を監修させてよね。絶対に比重を同じくらいにしてやる』

 そう言っていたことを思い出したかのように、昨日とは見違えるほどのカメラ女子に変貌していた。

『若旦那、ちょっとはだけてみてくだせぇ』

「意味あんの?」

『えぇ、広報ですから』

「いや、エロい必要あんのかって」

『えぇ、広報ですから』

 残念なことに、しっかりとインナーを着込んでいたので、このカメラマンを興奮させることは出来なかった。

 外湯巡りを終え、川を挟んで柳が揺れる綺麗な並木通りを、若旦那の下駄の音がカランコロンと鳴り響く。

『にしても失敗だったねぇ』

「楽しみにしてたんだけどね」

 7つある外湯。その中でも一番規模が小さい共同浴場を最初に選んでしまった。

 予定していた外湯に行くには行ったが、入り口がすでに観光客で溢れている状態。それではと一通り見て歩き、どこも同じような惨状だったので、仕方なく目の前にあった外湯に足を向けた。

 玄関、脱衣場、浴場、全てにおいて人、人、人。下駄を脱ぐ場所もないほどに人がギュッとひしめき合っているもんだから、ゆったり外湯を満喫どころではなかった。

 温泉の温度も一番熱い場所らしく、完全に選択を誤り意気消沈。浴場滞在時間は僅かに数分。さっさと着替えを終えて、早々に脱衣場をほぼ同じタイミングで出た二人は、顔を見合わせて笑っていた。

『ルシウスに広い浴場を造ってくれって頼みたくなったよ』

「僕たちには合わないね。このまま素直に帰って旅館のお風呂に入りなおそうか」

『うん。でも軽くスイーツ食べ歩きたい』

 そう言って、湯上りプリンに舌鼓を打ちながら、帰還することにした。

『旦那、下駄鳴らすの上手ですね』

「だいぶコツ掴んできたよ」

『撮影現場は雪駄が多いもんね』

「うん、だから新鮮だね。鳴らせると気持ちいいし」

『そこで開けてみてくだせぇ』

「そのキャラクター、どこで覚えてきたの?」


 旅館の浴場。

 宿泊客は皆、外湯巡りに繰り出しているのだろうか。外湯のあの賑やかさが嘘のように、シーーーンと静まり返っていた。

 テンション高らかに『うっひょーーー』と、子供のように喜びを爆発させる奏。

 大浴場は平泳ぎをしたくなるほどだったし、洗い場に置かれていたボディソープやシャンプーも、番頭さんがお金がないと言っていた割に高級そうに見えて、香りもフローラル。

『あわわわわわ』

 ジャグジーに顔面を浸け、気泡に負けじと大はしゃぎする。

 ぬっ! 誰も入ってきてないな?

 慌てて顔を上げて、手で顔をグシャグシャと拭い、左右を、特に入口付近を確認する。

 よしっ!

 途中で誰かが入ってきていたら、恥ずかしいところを見られていた事実に気付き、顔の下半分だけを浸けて、あわわわ言うことにした。

 納得いくまで内風呂を満喫し終えた奏は、いよいよ露天風呂へ進撃を開始。

 外はすっかり日が落ちていて、扉を開けた途端、ひんやりとした空気が全身を覆ったが、思う存分ジャグジーで遊んでポカポカしていた体には、関係なかった。

 少しぬるく感じるくらい丁度いい湯に浸かり、目を閉じ、お湯が流れ落ちる音に静かぁに耳を傾ける。

 せいぜい浸かれて三人が限界。五右衛門風呂のような小さめの湯舟も、今夜は気兼ねなく満喫出来る。ずっと入っていたくなるほどだった。

 ・・・極楽。

 ザパーーーッと勢いよく立ち上がり、ペタペタ音を立てながらメインの岩風呂へ。

 内風呂が気になり目を向けるけれど、依然として宿泊客での利用者は、奏だけだった。

 うおお。何をしても怒られないぞ。

 ーーーいやそれは違う気がする。

 京都の実家からも、電車で3駅、歩いて数分のところに日帰り入浴が出来る温泉がある。

 そこの岩風呂も、満点の星を見上げることが出来る穴場スポットで、よく利用していたが、やはり観光地の老舗旅館ともなると雰囲気が違う。

 このスペシャル感は、あの地元感のほっこりとした良さとは比べられない。また違ったものだ。

 地元のお婆ちゃんたちに声を掛けられ、すぐ打ち解けて仲良くなり、お話しを聞きながら軽くのぼせるほど長風呂をする。

 湯上りに、コーヒー牛乳を「お嬢ちゃん、ほら」なんて手渡されて御馳走になり、さらに畳が敷かれた食堂で、話の続きを聞きながら食事を楽しむ。

 あれはあれで最高な時間。もちろん帰ったら、ひとさんに「お嬢ちゃん」て呼ばれたことをデレデレ顔で自慢もするのだ。

 静か・・・

 ・・・・・・

 本当に静か・・・

 少し遠いと感じるほど温泉街から離れたこの場所に、旅館があることの意味をやっと理解した。

 耳を澄ませば聞こえてくる、湯口から流れ落ちる温泉の音。手足を浮かせたり沈ませたりする度に聞こえる「チャポン!」というお湯の音まで、鮮明に聞こえてくる。

 千と千尋の神隠しに出てくるオクサレ様のように、はーーーーーーっと全身から力が抜けるほど静かに息を吐く。

 ひとさんも今、岩風呂に浸かってるかな?

 頭を乗せるのに丁度良い箇所を見付け、空を見上げると、夜空一杯に星が輝いていた。

 やばい・・・

 私、幸せかも・・・・・・

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