第2話 般若の鬼

 ◆◆◆ 渡辺源次綱

 平安京の治安を担う検非違使けびいし。都の安寧を護る為の警備を担い、事件が起これば調査や真相の解明、部隊を組織し討伐とうばつも行う。

 そんな検非違使けびいしたちの長官を務める人物、源頼光。清和源氏の家系に生まれ、代々朝廷や公卿の護衛役として仕える武家の家柄である。

 昨今、都でうわさになっている“もののけ”が現れては人を惑わし、人が消える事件が相次で報告されていた。同じく大内理だいないりの近くの公卿くげの屋敷でも“もののけ”が出没し、姿を見た者、“もののけ”にかれた者まで現れ、殺生沙汰にまで発展した。

 事の重きをみた朝廷は、陰陽師おんみょうじと共に検非違使長官・源頼光に事件解決を命じた。

 源頼光は早速、配下の一人、頼光四天王と称される、渡辺綱わたなべつなに事件の解明を一任し捜査にあたらせた。

 渡辺綱わたなべつな・呼び名を“源次げんじ”と言う。

 嵯峨源氏の血統を漂わせるりんとした顔立ちと鍛えられた体。人並みはずれた武術の才能は、故郷の国に留まらず、十六才の頃より全国を放浪する武術修行の旅に出た。旅の途中に源頼光と出会い、腕を見込まれた渡辺源次は臣下に加わった。今や頼光四天王の筆頭と称され、現在、都の検非違使・副長官を務める男。

 捜査の結果、渡辺源次は三条大路の地があやしいと断定し、今宵新月の夜、自らおとりとなり三条大路に出向いていた。


 ◇


「源次よ。今回は正体不明の“もののけ”じゃ」

「気を付けて事にあたってくれ」


 源頼光と渡辺綱が自宅の部屋で二人、酒を飲んでいた。

 部屋には灯りが二つ、男所帯の簡素な部屋である。床間とこのまには庭に咲いていた真っ赤な椿つばきの花が一輪。大きな徳利とっくりさかなを前に二人の男が顔を突き合わせていた。

 源次げんじの自らおとりとなり“もののけ”をおびき寄せるさくに、源頼光がしぶい顔をする。


「頼光殿」

わしは、頼光殿に頼まれれば “おに”でも斬りますぞ」


 源次は、並々に注がれた酒を一気に飲み干すとさかずきを床に置いた。

 そして、手元に置いていた黒鞘の太刀たちを持ちあげるとつかを握り、ゆっくりと太刀を抜いた。


「この太刀たちちかって」


 源次は目を見開き、半抜き太刀を両手で持ち、頼光の前にささげ上げた。

 危険な任務に対して、その決心の固さに頼光は止めるすべが無かった。


 

 ◆◆◆ 般若の鬼

 若武者・渡辺源次と般若の鬼は、正面で対峙していた。


「ふふふっ。中々生きが良いのう……」

「今宵……そなたを、我が屋敷に連れ帰ろうぞ」


 般若の鬼は爪に付いた源次の鮮血を美味そうにめると、腰に差してした大鉈おおなたを抜き放った。身幅の厚い大鉈おおなたは、使い込まれた様子で赤黒く光を失っていた。

 源次は、へし折られた薙刀を投げ捨てると、引き裂かれた着物のそでを引きちぎる。内に着込んだ鎖帷子くさりかたびらあらわになり、鎖帷子から突き出た太い腕ときたえられた厚い胸が鎖帷子を押し上げる様に盛り上がって見える。


 源次は、大きく深呼吸をし、糸の様に息をく。

 腰を低く構えると腰の太刀たちをゆっくりと抜いた。

 

 般若の鬼がニヤリと笑う。

「腕一本ぐらい……よかろうか……」

 

 般若の鬼が、前にゆっくりと進み出る。

 源次は、間合いを取る為に後ろにさがる。


 鬼は地面を蹴ると大鉈おおなたを振りかぶり、力まかせに振り下ろした。

 ジャリと地面を斬る音と共に小石が飛び散り土煙が舞う。

 源次は大鉈をあしらいスルリと刃をかわしたが急いで後ろに飛び退る。

 地面から大鉈を抜くと大きく振り被り、縦に横にと大鉈を振る。

 刃をかわす源次だが、尋常じんじょうでなく繰り出される刃の早さと風圧で痛みが走り、皮膚が裂け、たまらず横に飛び地面に転がる。


 足元にへし折られた薙刀がるのに気づき、素早すばやつかむと、般若の鬼の顔めがけ投げつける。


「カンンッ」

 般若の鬼は投げられた薙刀を大鉈で振り払う。


「りゃあああぁぁぁ」

 源次は薙刀を投げると同時に跳躍し、般若の鬼の首めがけ太刀を薙いだ。

 般若の鬼は一太刀をかわす……が、剣先が顔をかすめた。

 真っ白なほほに血が浮き流れ落ちた。


 肩が震えワナワナと腕が小刻みに震える。


貴様きさまっ」

貴様きさまごとき人間がっ」

「この私の美しい顔に傷をつけるなどっ!」


 肩が上下に大きく震え、怒りで牙をく。


「真っ二つにしてやるわっ」

 目が吊り上がり、開いた口から白い牙とへびの様な真っ赤な長いしたを現した。

 大鉈おおなたを振り上げると、尖った爪の左手で源次の首をつかむ様に襲いかかる。


 源次はスルリとかわす―――。

 と同時に太刀たちを振り下ろした。


 源次の首をつかむはずの鬼の左手が、地面にバサリッと落ちた―――。


「ぎゃああああ」


「お、おっ鬼切おにきり太刀たちかっ!?」

 般若の鬼はさけぶと、大鉈おおなたを左右に振り回し後ずさりする。

 髪を振り乱し、恐ろしい形相ぎょうそうで暴れる。


「貴様あぁぁぁっ。覚えておれっ!」


 吊り上がった目で源次をにらむと、長い髪を散らせ西の闇夜へと消え去った。


 時が止まった様に辺りに静寂が訪れた。

 源次の足元に斬り落とされた般若の鬼のうでが残った。

 その腕は、しばおのれの主人をさがす様に動いていたが、やがて力尽き、動かなくなった。


 静かな闇夜に獣の遠吠えだけが辺りに響いた。

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