鬼切り源次 ~もののけ平安絵巻

橘はじめ

第1話 帝都の夜

 ◆◆◆帝都の夜

 きびしい冬を越し、温かい日差しがそそぎ始める弥生やよいの季節。虫たちは暗いつちから地上に現れ活動を始める。新月しんげつむかえた夜空には、細く尖った月の輝きだけが闇夜を薄く照らしていた。

 こんな静かな新月の闇夜にはうごめく。何処どこからともなく姿を現したは人々をまどわし……そして、人が消える。

 

 ◇


 帝都・平安京。遷都せんとから二百年あまり、大陸文化を色濃く反映したこの都は宮廷や朝廷のまつりごとを行う大内理だいないりを中央に置き、白壁で囲まれた十四の門と見上げる程に高い外門・羅城門が建つ。中央に広大な朱雀大路が広がり、碁盤の目の様に区切られ整備された街は、東の京と西の京を配し南に城下町が広がる巨大でみやびな都を形成していた。


 都の西、三条大路あたりは貴族の邸宅や朝廷の官府が建ち並ぶ場所である。


 霧が立ち込める夜。

 人気の無い夜更けの通りに貴族の牛車ぎゅうしゃが、従者に引かれながらゆっくりと進んでいた。

 時折、けものの鳴き声が辺りに響き渡る寒々とした夜である。

 牛車の側らには若武者が一人付き従う。その若武者は、遠目でもわかるほど背が高く威風堂々とした体格の男であった。

 軽備けいびな甲冑を身に付け、手には薙刀なぎなたを持つ。地面をみしめる足取りはしっかりとしたものだが軽快けいかいさもあり、かなりの武術修練を積んだ手練てだれの者と見受けられた。


 人気の無い夜路よみちを牛車はゆっくりと進んでいく……。

 霧の立ち込めた通りは、三軒先が見えない程に視界が悪い。

 ふと気づくと遠くで鳴いていた獣の声がいつの間にか聞こえない。


 気づけば牛車の前方から暗闇くらやみに紛れ、二人の人影が浮かんでいた。

 一人はかさを深くかぶった女。ふじ色の落ち着いた着物から察すると三十代半ばぐらいであろうか。細い体の線と長い黒髪が印象的である。その後ろに老人が付き従う。老人の半分折れ曲がった腰は支えのつえが必要な程である。

 こんな人気の無い夜更けに女と老人……奇怪きかいである。

 牛車を護る若武者は警戒しつつ、前から来る二人を通り過ぎようとする。


「もし……」

「もし、若様わかさま


 と女は立ち止まり、すずの様な声で話しかけてきた。


「ぶしつけながら……お願いがございます」


今宵こよいは大変に暗くさびしい夜」

「夜道はとても恐ろしく……どうか私の屋敷までお送り頂けませぬか」


 女のあまく、すがるような言い回しの声。


「御礼はいたします……」

「今宵、私と一夜を楽しみませぬか」


 鈴の様な声色こわいろと一緒に牡丹ぼたんの香が辺りに漂った。


 無言で立ち止まる若武者の方へ女の細く白い指が差し出され、若武者の胸元に触れようと、ゆっくりと伸びた。


 顔を近づける女の吐息といきから微かに血の匂いを嗅いだ。


「―――んっ!」


 肌に危険を感じた若武者は、反射的に後ろに飛び退すさる。

 そして、すかさず手に持つ薙刀なぎなたの刃先を目の前の女に向け構えた。


「ぎゃあああぁぁぁ……」

 突然、牛車を先導していた従者が地面に倒れ込んだ。


 近づいた老人の手から血がしたたり、ポトポトと地面に落ちた。

 地面に倒れた従者は、大きく体を痙攣けいれんさせ動かなくなった。

 背を丸めた老人が顔を上げ、若武者を見る。

 その赤い目がギョロリと若武者をとらえた。


「出おったか! ”もののけ”」

「覚悟せいっ!」


 若武者は、手に持つ薙刀なぎなたを握りしめると、一気に前へと踏み込み、女の胸元めがけ左下からなぎぎ払った。


「バキンッ」

 薙ぎ払った薙刀の刃先が、勢い余って牛車の屋根に当たり砕け散る。


 女はちゅうに飛んでいた―――。

 牛車の屋根より更に高く飛び、ぎ払ったやいばをかわす。

 ちゅうに飛んだ勢いで、かぶっていたかさが舞い、女の素顔すがおが現れる。

 真っ白い肌に切れ長の目……そして、耳までけた口。

 女はちゅうを舞いながら、ニヤリと若武者を見下ろすと、二本のきばいた。


 若武者の背筋に悪寒おかんが走りゾクリッと肩が震え上がる。


 ―――鬼? 

 ―――まさか、般若はんにゃの鬼か?


 ―――古い文献ぶんけんでは見たことがあったが、実在するのか?


 女の鬼は、ヒラリと屋根に着地すると乱れた髪をゆっくりとき上げた。


「キイィィィッ」

 突然、けものの鳴き声を発し、倒れた従者の前に立つ老人が大きく跳躍し、若武者に跳びかかる。

 赤く光る目で尖った爪を構え、まるで猿の様な動きで襲いかかる。


 若武者は体をらし、素早すばやく薙刀を構えた。

 一歩、力強く地面を踏み鳴らすと真一文字に薙刀を振り下ろした。


「ヒュン」

 鋭利な刃が風を斬る音。

 目の前に襲いかかる猿に似た老人は、真っ二つに斬り別れ……地面に転がった。


 若武者は、振り下ろした薙刀の刃先をクルリと反転させると、屋根の上で傍観ぼうかんする般若の鬼に刃先を突き付けた。


 般若の鬼が目を尖らせ、眉間みけんにしわを寄せると体をしずめる。


「ガシャン」

 屋根のかわらを踏み割る音と共に屋根を蹴り若武者に襲いかかる。

 若武者の振るう薙刀と般若の鬼の体が衝突する瞬間……般若の鬼が両腕を交差させ腕を左右に振り払う。


「ガンッ」

 激しい衝撃で薙刀がへし折られ、若武者の体が地面に転がった。


「つ、痛っ」

 土煙つちけむりが舞う中、体をおさえた若武者が立ち上がる。

 着物が裂け、中に着込んだ鎖帷子くさりかたびらあらわになった。


 眉間に皺を寄せ恐ろし気な目で若武者を見下す般若の鬼。

 右手を顔の前にゆっくりと持ち上げると、筋張った指から生える鋭利な爪に付着した若武者の鮮血をゆっくりと長い舌でめ、ニヤリと笑った。

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