第60話、暇(暇)
「・・・なんというか、その、暇じゃの」
「あはは、仕方ないさ」
先ず王都の軍と合流する為の行軍中に、賢者は思わず呟いてしまった。
何せやる事が無い。なにで移動の間賢者はずっと車の中なのだ。
それはまだ良いとしても、外に出た際何もさせて貰えない。
悪い意味ではなく、皆が賢者を正しく貴族として扱うから。
賢者が何をしようとしても、誰かが代わりに動こうとする。
おかげで賢者は暇を持て余し、車の中でぐでーんと転がっていた。
(王都へ向かった時はもうちょっと色々出来たのにのう)
以前王都に向かった際は家族で向かい、そして護衛は騎士達だけだった。
それもあって普段通りのナーラで振舞えたが、今回はそうはいかない。
兵士の大半は平民であり、ギリグ家が纏めるべき領民だ。
近隣の者達はナーラの事を良く知っているが、そうでない者達の方が多い。
ならばナーラを旗印と認識させ続ける為にも、尊い相手だと思わせておかなければいけない。
という事を騎士と祖父に諭され、退屈で堪らない毎日を過ごしている訳だ。
「お主は暇じゃないのか?」
「まあ、慣れているからね。こういう事は」
青年は何でもない事の様にさらっと応え、それは身分を考えれば当然の事なんだろう。
王太子と言う立場であれば、下手に自分が動く事が許されない時もあると。
その割には普段結構自由にしとるけどなコイツ、と賢者は少し思ったが。
因みに賢者と違って青年は筋トレをしているので、そこも暇とは言わない理由だろう。
先程も賢者が背中に乗った状態での腕立て伏せや、賢者を抱えてのスクワットをやっていた。
(それで汗臭くならんのは詐欺じゃろ。どうなっとんじゃコイツの体質)
勿論多少は汗のにおいはするが、余りに男臭いにおいはしない。
今は日課の鍛錬を終えた事で賢者を膝に抱えているが、賢者に不快感は無い。
勿論汗を拭いてからだというのは在るが、車の中の匂いが酷い様な事は無かった。
祖父が騎士達と動いた後はもっと凄い臭いなのにと、賢者としては首を傾げるしかない。
「慣れかぁ・・・慣れるのかのう・・・」
「慣れるしかないさ。今後もこういう事は何度かあると思うよ。私達はね」
「儂王族じゃないんじゃけどなぁ」
「今じゃ精霊術師筆頭様は、下手すると王族より重要な存在だよ?」
「マジかぁ・・・」
今でさえ暇で暇で仕方ないというのに、今後も同じ事があるのか。
賢者は想像するだけで憂鬱で、更にこの暇な状況はまだまだ続く。
何せ人数が多い。人数が多い移動と言うのは、中々に時間のかかるものだ。
少なくとも以前ならもう既に王都に到着している日数が過ぎている。
勿論流石にそこは賢者も理解していたが、暇な事には変わりがない。
鹿も賢者は青年と違い、車の中での鍛錬という訳にも行かないから余計にだ。
(熊と違って細かい操作の鍛錬よりも、広い場所での鍛錬が必要じゃしなぁ)
貴族が戦争に赴く為の車なので、普通の車よりは広く作られている。
とはいえあくまで普通の車よりはであり、屋敷の一室よりは狭い。
そんな空間で賢者の出来る鍛錬など無く、だからとって熊に鍛錬させる訳にもいかない。
青年が同乗する事が決まっているので、ポンポン精霊化する訳にも行かないからだ。
アレは一応リスクのある奥の手と思われている訳で、となればやっぱりやる事が無い。
「ひーまじゃー・・・」
「ふふっ、そうだね」
「お主だけご機嫌なのは若干むかつくの」
「ふふっ、ごめんね?」
「むぅ・・・」
なお青年は賢者を膝に抱えている間、ずっと耳を揉んでいるのでご機嫌極まりない。
むしろ屋敷に居た頃よりも賢者と一緒に居られるので、ご機嫌にならない訳が無い。
彼の手には最高の毛並みが存在し、鍛錬以外はずっと触っていられるのだから。
「お主も飽きないのう」
「飽きないさ。この感触は素晴らしい。山神様は全身素晴らしかったけどね」
「・・・そういや精霊化した儂を抱いておったな、お主」
「ああ。まさかあんなにも全身素晴らしい手触りとは思わなかったよ。流石に相手がご令嬢だと解っているから、抱きしめる際に触れられる所以外を触るのは我慢したけどね」
王都のパレードの際、青年は賢者の腹を撫でたい衝動を我慢しながら抱きしめていた。
たとえ可愛らしい小熊の姿をしていても、目の前にいるのは貴族のご令嬢だと。
すました笑顔で民に応えながら、心の中では強い葛藤と戦っていたらしい。
「別にちょっとぐらいなら腹や背中も構わんぞ。手足も――――」
「ナーラ、それはいけない」
「え、あ、はい」
ただ賢者としては最早今更だろうと、少し触るぐらいなら良い所を上げたつもりだった。
けれど思った以上に強めにダメ出しをされ、割と素で驚いて頷き返す。
さっきまでニコニコと笑っていたのに、かなり鋭い目を向けられたのも要因だろう。
(・・・儂何か悪い事言うたかのう?)
ただ頷きつつも少し首を傾げる賢者に、青年は思わずため息を吐く。
「君はまだ幼いし、自覚しろと言う方が無茶なのかもしれないね。けど貴族のご令嬢がそんなに簡単に触って良いなんて、余り言ってはいけないよ」
「じゃがお主普段から儂抱きかかえとるよな?」
「そこは持つ場所を考えてるさ。それに私が君を弄る様に持った事なんてあるかい?」
「・・・無いの」
少なくとも青年の抱え方はスマートで、そこに嫌な感じは一切ない。
むしろ殆ど意識が耳に行っており、若干呆れるぐらいだ。
「まあそれもそれで、失礼かと後で思ったのは確かなんだけども」
「そうか? そうか・・・じゃあ今後は止めさせた方が――――っ、酷い顔じゃの」
絶望。まさにその言葉が相応しい顔を見せる青年に、賢者は思わず吹き出しかけた。
「いや、君が拒否するなら私は触れない。だがこの耳を触るなと言われるのは拷問に等しい苦しみと覚える事になる。最早私にとって君の耳との触れ合いは至上の娯楽なのだから」
苦しそうに言いながらも手は耳にあるので、賢者としては反応に困る。
だから真面目な時は手を放せと思ったが、これは真面目な話なのだろうかと。
「・・・まあ、耳は良かろう。そもそもお主儂の婚約者なんじゃし、頭を撫でるぐらいの事は特に問題は無かろうよ。頭の上にある耳はそれと同じじゃろ」
「ありがとう!」
心底嬉しいと言わんばかりの礼に、賢者は何度目かの苦笑を漏らす。
ただそこで青年は何かに気が付いた様子を見せた。
「・・・そういえば、私は君の頭を撫でた事あったかな?」
「あった気がするが・・・良く覚えとらんの」
「撫でても、良いんだよね?」
「む? う、うむ、構わんが・・・」
何故か改めて聞かれてしまい、少し困惑しながら頷く賢者。
即座に青年の片手が賢者の頭を撫で、髪を梳くように手が動かされる。
少しくすぐったく感じるその動きは、けれど嫌な気分は無かった。
気のせいかも知れないが、まるで愛おしい物を触るかのような手つきが心地良くて。
「お主、耳の触り方と言い、指圧師にでも転職した方が良いのではないか?」
「ふふっ、それも良いかもね。その場合は君専用で雇って欲しいな」
「阿呆。仕事にするならちゃんと客を取らんか客を」
「それは残念」
そんな風に傍から見ればイチャイチャした様子で、戦場へと賢者は進むのだった。
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