第59話、行軍開始(心配)

 出発まではのんびりしておいていい。

 そうは言われたものの、準備にそこまでの日数はかからなかった。

 これも相手方の行動と同じで、両親が事前に備えていたからだろう。


 行軍の為の車と食料、そして兵士とその装備。

 特に兵士に関しては訓練が元から行われていたからと言うのが大きい。

 賢者は知らない事だったが、この国の民の大半は普段から弓の訓練をしているからだ。


 適当にどこででも弓を放っては危ないので、訓練の場所は決まっている。

 ただ賢者はその訓練場に行く事が無かったし、そんな訓練の話など聞いた事が無かった。

 なので出発の段になって初めて話を聞き、かなり驚いて整列した軍を眺めている。


「普段からか。それを知ってしまうと、熊に出会う前の儂が能天気過ぎて恥ずかしいの」

『グォン?』


 熊は「そうかな?」と首を傾げるが、賢者としては恥を重ねた思いだ。

 時が経てば経つほど自分の能天気さを直視する事になり、恥ずかしくて悶えそうだと。

 とはいえ大人達からすれば、幼児がそんな事気にするなと言う感じではあるが。


 因みに一般兵は弓以外の訓練を殆どしていない。する必要が余り無いとも言える。

 それは戦争の形態を考えれば当然の事で、接近して槍や剣を使うのはもっぱら騎士の仕事だ。

 もしくは兵士は兵士でも、騎士ではない職業兵士達の仕事になっている。


 その彼らとて接近するまでは弓を使い、魔法国家との戦いでは弓しか使わない事も多い。

 元々この国は魔法国家以外との戦争は皆無であり、その為の戦争形態に特化している。

 勿論職業兵士は普通の戦争にも備えているが、一般兵は徹底的に弓だけの訓練を重視させた。


 そんな兵士と騎士達が集まって整列している光景は、まさに圧巻と言う言葉が相応しい。

 誰も彼も面構えが普段と違う。道端で出会った時の朗らかな笑顔など欠片も無い。

 これから戦争なのだと。その緊張感で別人の様な顔になっている。


 そんな彼らの前に姿が見える様にと、高めに作られた舞台に登るギリグ家当主。

 戦争前の出発の激励を、領主として彼らに何かしらの言葉を投げる為に。

 賢者の父は何時もよりキリッとした表情で登り切ると、普段では考えられない声を張り上げた。


「諸君、良く集まってくれた! 我々はこれから戦争に赴く! 何時もの魔法至上主義の狂人達のせいで、日常を捨て戦場に赴かねばならない!」


 それは紛れもなくこの国の誰もの本音。

 あの国さえちょっかいをかけて来なければ平和なのにと。

 集まった民達はその言葉に顔を顰め、恨めしい想いを胸に抱く。


「だが今回は何時もとは違う! 我々には山神様が付いている! 山神様に見初められた精霊術師が付いている! それも国王陛下に精霊術師筆頭と認められた者が! 我が娘ナーラは本物の天才だ! お前達には絶対の勝利が約束されている! 恐れる事は何もない!!」


 父がそう言い切ると同時に、父の背中から水の龍が姿を現す。

 立ち上る水の龍は、瞬く間に空へ空へ登っていく。

 そして鳥でなければ届かない上空に差し掛かった所で軌道を変え、兵士達の上を泳ぎ始めた。


 誰もが息を呑むような幻想的な光景。そんな光景もパシャンと竜がはじけた事で終わる。

 けれどはじけた水はそのまま落ちては来ず、霧の様に霧散してしまった。


「今のが我が娘の精霊術だ! お前達にはこの力が付いている!!」


 その声でハッとなった兵士達は領主に目を向け、その隣に可愛らしい幼女の姿を目にする。

 頭に熊の耳を生やした、戦争になど連れて行ってはいけないはずの子供。

 けれど今の力を見た者達にとっては、どうしようもなく希望になる存在がそこに居た。


「「「「「「「「「「「うおおおおおおおおおお!!」」」」」」」」」」


 あらんばかりの声を張り上げる兵士達をみて、父は気が付かれない程度にホッと息を吐く。

 そんな父に気が付かれない程度に、賢者もほっと息を吐いていた。

 何せ今の龍の魔法には、魔力が殆ど含まれていなかったからだ。


 下位の術式の応用で作った水の魔法の張りぼて。それがさっきの水の龍の正体だ。

 長く伸びた胴体部分も、幾つもの弱い魔法を並べていただけに過ぎない。


(アレで勢いが上がるって事は、やっぱり魔法使いは居らんのじゃなぁ)


 魔法を使える者が見れば、何だあの張りぼての魔法はと思っただろう。

 それほどにあの魔法には魔力が含まれていなかった。


(舞台に儂の姿を見せて欲しいから、精霊化せずに出来ないかと言う話じゃったが・・・竜を見ている間全員上向いとったし、別に関係なかったんじゃなかろうか・・・)

『グォン』

(じゃよな)


 精霊化して魔法を放ち、魔法を消したら精霊化を解く。それでよかった気がする。

 大体戦場に行けば精霊化するのだし、その拘りは必要だったのだろうか。

 賢者はそうは思うものの、目の前の兵士達のやる気を見ては何とも言い難い。


(ま、良いか。上手く行ったんじゃし、皆やる気になった訳じゃし。攻撃の手が有るのは我らにとって大事な事じゃろうからの。少なくとも儂以外の精霊術師には)


 先日戦争の形態を聞いた事で、賢者はそれを前提として戦術を考えている。

 とはいえ実行するのは賢者ではなく熊なので、熊も一緒になって考えていたが。

 何せ賢者一人で案を練らせると、熊にも出来ない事を言い出すので。


 賢者の事は好きだけど、生前の自分を基準にするのだけは困る、と熊は思っている。


「よおし! 気合いが入った様じゃのう! 皆の物、ナーラちゃんの為に働けい!」

「「「「「「「「「「おおおおおおおおお!!」」」」」」」」」」


 そこで大声の中でも響く祖父の声と、それに応える様に雄たけびが更に大きくなる。

 声は子供を持つ者達が多く、そして賢者が前線に立つという事に心を痛めていた者達。

 貴族の義務とはいえまだ年端も行かない子供に、けれどその想いをこの場で断ち切った。


 自分達を導いてくれるのは幼女ではない。一人前の精霊術師なのだと。

 そして彼女を生かす為に、自分達は自分達のやる事をやるのだと。


「・・・気合いが入ったんは良いんじゃが、これ収拾つくのかの?」


 ただ賢者は今まで見た事のない光景に、若干の不安を抱えながらそう呟いていた。

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