第2話
そして翌朝はぐっすり眠ったおかげで爽やかな目覚めだった。
広いベッドに寝転がったまま、留衣はうーんと天井を眺めて眉を顰める。
「夢じゃなかった」
どう見ても純和風の我が家ではありえない、シックな色合いの天井にベッドのふかふかとした寝心地。
もそもそと起き上がりベッドから這い出ると、閉まったままであるカーテンに近寄りそれを開けた。
そのまま窓も開けて、バルコニーがあったので外へと出る。
今は夏なのか太陽がさんさんと降り注ぎ、少し気温が高い。
留衣のいた日本では秋の始まりだったので、こんなに空は高くないはずだ。
「いま何時だろ」
部屋に戻ってきょろりと室内を見回すが、無駄な物を一切省いてある部屋は時計の類がない。
昨日通された部屋にはガラクタのようなものが大量に置いてあったのに、えらい違いだ。
とりあえず昨日の部屋に向かうことにして、留衣は借りたシャツ姿のまま二階から一階へと降りた。
玄関ホールに差し掛かったところで、トゥーイが今まさにニーナの見送りで出かけようとしていた。
慌ててその姿に声をかける。
「おはようトゥーイさん」
留衣に気付いたトゥーイがこちらに向き直った。
その姿は昨日とは違って、紺色で詰襟のカッチリした上着に黒いズボン、腰には剣帯。
髪は昨日と同じように片側でゆるく編んである。
「おはようございます」
ぱたぱたと右足に包帯を巻いているまま、トゥーイに近寄る。
痛くなかったので、一時的に痛めていただけなのだろうと安心した。
「でかけるの?」
「仕事です」
端的に答えられ。
「仕事……」
思わず腰の剣へと目が行く。
その視線に返答するように。
「私は魔法騎士団に所属していますから」
「きしだん」
耳慣れない言葉だ。
ならばトゥーイの服装はその騎士団の制服なのだろう。
剣を持っているなんて、この世界は物騒なのだろうかと脳裏をよぎる。
「それとこれを準備しましたので、渡しておきます」
そう言って、トゥーイはズボンのポケットから赤い雫型の石がついたペンダントを留衣に差し出した。
その手は手首まで覆う黒い手袋をつけている。
手首の部分には青い石が嵌め込まれていた。
「これは?」
手のひらを向けると、その上にチャリと音を立ててペンダントを置かれた。
「魔力の移動を妨げるものです」
「魔力が奪われないってこと?」
こてんと首を傾げるとそうですと返答される。
「今は私も魔力を抑えるペンダントを付けていますし、手袋もしていますが。まあ、念のため」
「手袋してたら大丈夫なの?」
簡単に防げるんだなと思っていると。
「ただの手袋じゃありません。特殊な魔道具ですから」
「魔道具って?」
初めて聞く単語に疑問をぶつけると、あからさまに面倒くさそうな顔をされた。
「ニーナにでも聞いてください。ああそれと、食材が無いので朝食は我慢してください。あとで届けますから。それでは」
言うだけ言うとトゥーイはさっさと玄関の扉を開けて出て行ってしまった。
「食材が無いって、あの人は朝ご飯どうしたの」
呆然と呟く。
お世話になる身であるので贅沢も我儘も言わないが、食材が無いとはこれいかに。
「トゥーイ様は朝食はお取りになりません」
控えていたニーナが口を開いた言葉に、思わず眉をひそめる。
「体に悪っ」
「基本的に食事はコーヒーと携帯食料で済ませるので、食料は必要最低限しか備蓄していないのです」
淡々と無表情で答えるニーナに、騎士って体が資本なんじゃなかろうかと留衣は内心呆れた。
「えっと、魔道具って?」
「魔力を込めた道具の事です。魔力を溜められる石に魔力を注ぎ、それを嵌め込んで使います」
「便利道具なんだ」
なんともアホな回答だが勘弁してほしい。
魔法のことなんて言われてもよくわからない。
「はい。ただ石は貴重ですし石を嵌め込む技術も難しいので数は出回っていません」
「そんな貴重なもの持ってるなんてトゥーイさんて凄いんだね」
「トゥーイ様は魔道具の研究をしていますので」
「へえ」
頭いいんだなあとのんきに思う。
トゥーイの出ていった玄関の方に視線をやると、くるると小さく腹が鳴った。
健全な体が軽い空腹を訴えてくるが、食材は無いと言われてしまったので何もしようがない。
よしよし鳴くなと腹部を撫でると。
「お茶なら出せますので昨日の部屋でお待ちください」
腹の足しにはならないだろうがありがたく頂戴しようと、留衣はニーナに促された昨日の部屋へと向かった。
いわゆる応接間にあたるのだろうかと思いながら、昨日の部屋へと足を踏み入れる。
とりあえず祖母の肖像画に挨拶しようと、暖炉の前に向かった。
暖かい色合いで描かれた肖像画は、祖母の優し気な雰囲気を見事に表現していると思う。
「おばあちゃん久しぶり、おはよう」
額縁の中の祖母は記憶にある姿と瓜二つだ。
優しくていつも面倒を見てくれた祖母の姿に、懐かしさが込み上げてくる。
「おばあちゃん、こんな所にいたんだね。まさかファンタジーな世界にいるなんて思ってなかったよ」
ついでに言えば自分もこんなところに来るなんて思っていなかったが。
「帰る方法わからないって言われちゃったし……」
しょぼんと肩を落とす。
「おばあちゃんも帰れなかったんだろうな」
でなければ、亡くなるまでここにいることはないのではないかと思う。
「来る時が来る時だったから、帰るのちょっと怖いけど」
なんせ襲われた瞬間にこっちへ来たのだ。
おそらく両親はすでに金を受け取っているから、夜這いなどされたのだろうと思う。
ある意味、ここへ来たのは幸運だったと思える。
昨夜のことを思い出して、ぶるりと肩を震わせた。
「失礼します」
扉がノックされて開くと、ニーナが昨日のようにワゴンを押して入ってきたので留衣は暖炉の前から離れて長椅子に腰かけた。
カチャカチャとお茶の準備がされるのを待ちながら。
「ねえ、ニーナさん。おばあちゃんにお世話になったってトゥーイさん言ってたけど、二人は仲よかったの?」
「存じ上げません。私が作られたのはフミ様が亡くなったあとになります」
言われて、そういえばニーナはトゥーイが魔法で作ったと言っていたのを思い出した。
表情がまったく変わらないのはそのせいだろうか。
「そっかあ」
飴色の紅茶が注がれたカップを目の前に置かれたので、少しでもカロリーを取ろうと砂糖とミルクを入れてかき混ぜる。
「とりあえず……することがないな」
ポツリとこぼす
ミルクが渦巻いて紅茶が色を変えていくのを見下ろしながら。。
「ニーナさんはこれから何するの?」
「使っていない部屋を掃除して洗濯をします」
淡々と答えるニーナに、それなら手伝えるなと思い。
「じゃあ手伝わせて、何もせずに置いてもらうのも気が引けるし」
「そういうわけにはまいりません」
即座に却下されてしまった。
「そう言わずに!このまま何もしないのも暇だし、一方的にお世話になるのも嫌なの」
お願いと両手を合わせると、ニーナは一瞬考えるように髪を揺らして。
「わかりました。トゥーイ様には自由に過ごさせるように言われていますので」
「ありがとう!」
早速と立ち上がったところで、自分の服装を見下ろした。
トゥーイのシャツ一枚という姿だ。
「着替えってある?」
「ありません。食材と一緒に調達してくるとのお言葉です」
なるほど。
確かに一人暮らしのようなので、女物の服は無いだろう。
あったらあったで吃驚だ。
「じゃあこれでいっか。あ、包帯はもういいや」
動きやすいのでかまわないだろうと思い、ついでに痛みも引いたので包帯は外してしまう。
「靴とかある?なんでもいいんだけど」
留衣の言葉にニーナが思案すると。
「大きいかもしれませんが、予備の室内履きがあります」
「じゃあそれ貸してもらえるかな?」
「承知いたしました」
そんなこんなで留衣はニーナについて回り、何部屋かの使っていないという客室を掃除してまわる。
ついでに家中の窓も拭いた。
体を動かすのは嫌いではないし、つねに遊びに出かけて家にいない両親の代わりに家事をしていたので、苦ではない。
洗い場で洗濯を済ませると、洗濯籠にシーツなどを入れて庭へと出た。
張り巡らせたロープに洗濯物を干していく。
じわじわと気温が上がって来たので、数時間もすればすっかり乾くだろう。
パンパンと干したシーツを叩いていると。
「何をしているんです」
玄関ポーチへ続く場所から、大きめの箱を抱えたトゥーイが現れた。
「おかえりなさい!」
元気よく笑って声をかけると、トゥーイは一瞬眉を上げたあと少しだけ目を細めた。
「おかえりなさいませ」
ニーナが頭を下げてトゥーイから箱を受け取る。
「洗濯をしろと言った覚えはありませんが」
「お世話になるんだし、暇だからニーナさんに手伝わせてもらったの」
トゥーイの言葉にあっけらかんと答える。
数舜、じっとトゥーイが留衣の顔を見つめたので何だろうと小首を傾げると。
「まあいいです。食料と服を持ってきました」
「わっ!ありがとう」
思わず手を叩いて喜んだ。
これで午後はひもじい思いをしなくて済む。
「では私はこれで」
くるりと背中を向けたトゥーイに。
「あれ?仕事終わって帰ってきたんじゃないのね」
「昼休みなので抜けてきただけです」
それだけ言うと、トゥーイはさっさと玄関ポーチの方へ行ってしまった。
「わざわざ来てくれたんだ」
ありがたいなと思いながら、昼食にありつくために洗濯物をテキパキと干していった。
トゥーイが用意してくれた服はシンプルなドレスが数着だった。
聞けば、女性は基本的にドレスだと言われて軽いカルチャーショックだ。
動きにくいかと思ったが、普段着用のものらしくそうでもなかったので楽な着心地だった。
そしてニーナに聞いた帰宅時刻に少し遅れて、夜にトゥーイが帰ってきた。
ニーナが出迎えに行くのについて行き、玄関ホールへと入る。
「おかえりなさい」
玄関扉から入ってきたトゥーイが、まさか留衣がいるとは思わなかったのか少し驚いた表情を浮かべる。
「……ただいま帰りました」
「はい。夕飯出来てますよ」
にこにこと言えば、ますますトゥーイが目を丸くした。
「作ったのですか?私の分も」
「だって普段、騎士団の携帯食しか食べないって聞いたから。ニーナさんも料理はほとんどしたことないって言うし」
ほら早く食堂に行きましょうと促すと、まだ少し驚いている様子のトゥーイと連れ立って食堂へと入った。
その長方形のテーブルには、二人分の料理が用意されている。
「先に食べなかったのですか」
「帰ってくるのわかってるから、そりゃ待つよ。一人の食事ってわびしいし」
座って座ってと言うと、素直に椅子に腰を下ろした。
それを見て留衣も腰を下ろす。
テーブルには温かい玉ねぎのスープと魚のムニエルと付け合わせの野菜のグラッセ、白いパンにデザートで林檎を切っておいたものが乗っている。
それらを見てふ、と少しだけトゥーイが目元を緩めたのには留衣は気づかなかった。
「いただきまーす」
手を合わせると。
「……いただきます」
トゥーイも手を合わせた。
「こっちでもそう言うんだね」
「フミに教わりました」
「そうなんだ」
にこにこと笑いながら、スプーンを手に取りスープを口に運ぶ。
それを見たトゥーイもスプーンを持ってスープを口に運び。
「うっ!」
固まった。
「あれ、口に合わなかった?」
ぐっと拳を口元に当て眉を寄せたトゥーイに、ぱくぱくとムニエルを食べながら留衣はぱちぱちとまたたいた。
「あなた、味見しましたか?いえ、愚問でしたね」
すでに半分以上なくなった留衣のスープ皿を見て、トゥーイが眉を顰める。
「味見してるし、これでも毎日料理してたわよ」
あっけらかんと答えると、毎日……と信じられないように呟かれた。
失礼な反応だ。
「美味しくない?」
「ええ、とても前衛的な味ですね」
そこまでキッパリ言われてしまえば、なんだか申し訳ない気分になる。
「あなた味覚音痴なんじゃないですか」
「そんなことないよ。そりゃ、自分の料理はちょっと独特だとは思うけど」
ぼそぼそと言えば、あからさまに溜息を吐かれた。
「まあ、食材を無駄にするわけにはいきませんからね」
言って、眉間に皺を寄せながらトゥーイがまたスープを口に運ぶ。
律儀に食べてくれるなんて嬉しいなと、呑気に考えながら。
「明日からはもっと美味しく作るから期待しててね」
元気よく宣言したら、トゥーイの顔があからさまに引きつっていた。
失礼な。
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