第9話 賢者、渡航する。

 それから数日の間、カトレアや元教え子たちに連れられ大学府──シュゼリオ魔法大学のある街──にある店を見て周り、旅支度を調ととのえた。

 その間にも、案の定、お金の使い方(大金を出し、お釣りを受け取らない)やお店でのマナー(レジに並ぶ列を認識していない)といった、成長すれば自然と覚えるような常識がポロポロと抜けている世間知らずっぷりが垣間見えていた。

 教え子たちは心配で仕方がないというような顔をしていたが、カトレアは何かあってもそれもまた旅の醍醐味だいごみとなるだろうと微笑ましく思っている。


 リュートが大学を訪れてから、15日。

 滞在中──半月ほどの間を過ごした大学府内のアンドロワーズ邸から、リュートとカトレアが連れ立って移動していた。

 カトレアは見送りなだけなので当然手ぶらだが、リュートも結局、外見的な変化は肩掛け鞄が1つ増えただけ。

 【時空鞄】があれば荷物など気にしなくて良いのだが、生徒たちから「外でその魔法は目立つからちょっと控えましょう」という進言で魔道具の形にしてある。ちなみに、その進言にリュートは心から不思議そうな顔をしていた。派手さなど皆無かいむな収納魔法の何が目立つのか、と。

 ちなみに、魔道具の時空鞄はカンバに贈った物とは違い、魔法の【時空鞄】と空間を繋げていたりする。魔法でしまおうが魔道具でしまおうが、どちらからでも取り出せる高性能っぷりだ。

 折角だからとその製作過程を見学していた生徒たちは、終始唖然としていたが、リュートがそれに気付くことはなかった。


「良い天気ね。これなら上からの景色も期待できるわ」


 蒼い空にはポツポツと白い雲が浮島となって漂っているが、それがまたアクセントとなるような快晴。

 風も穏やかで気温も涼やか。

 絶好の旅日和といえた。


「まずは王都へ行くのよね」

「うむ。“図書館”や“歴史館”にも、久方振りに参観するのも良いと思ってな」

「そうね。……あぁ、図書館は良いけど、歴史館へ行くなら先触れを出しておいた方が良いわ。館長はマークの古い友人だし、きっとあちらもリュートに会いたがるでしょうし」

「館長はから代わっていないか」

「あら、ふふ。彼は『いつかここに、マークの武勇も展示するまで辞めん!』って、館長に就任してからずっと言っているもの。まだまだ現役よ」


 時刻は10時を少し回った頃。仕事へ向かう人や朝市へ向かう人の流れが落ち着き、道端で会話をする姿が散見する。

 カトレアは大学府に席を置く賢者として、かなり顔が知られている。(大学府で暮らしている大半が、魔法関係者であることもある)

 肩書きはもちろんのこと、その年齢に不釣り合いな美しい容姿もまた人目を集め、カトレアの顔を直接は知らぬ者もその姿を追った。

 長いこと大学府に住まうカトレアは顔も広く、先程から声を掛けられたりしては笑顔で手を振りかえしている。

 それに対して、隣を歩くリュートもなかなか注目されていたが、こちらはそもそも気付いておらず、マイペースに歩を進めていた。

 大学府には様々な魔道具の工房が構えられ、それらをあつかう商店も多い。

 まるでガラクタかのように敷物の上に乱雑に置かれた魔道具を売る店もあれば、ガラス越しにしか見ることのできない店もある。

 それらを眺めて、リュートが楽しげな笑いを上げた。


「あの魔道具は強い魔力波を受けると近くの魔道具と共鳴して爆発する危険があるのだが、あの商人は随分と剛毅ごうきな者なのだなぁ」

「ちょっとリュートはここで待ってて」


 危険な商売をしていた商人はカトレアから厳重注意が入った。商人は知らなかったようで、青い顔で問題の魔道具を片付けていた。


 そんな感じで道草を食いながら辿り着いた場所で、リュートは感心した様子でそれを仰ぎ見た。


「──“飛空艇”に乗るのは、私は初めてだな」


 そこにあったのは、大きな舟であった。

 優に100メートルはありそうな全長に、3本の帆、舟の横腹から飛び出す左右合計8本のかい

 櫂は到底人が動かせるとは思えないサイズで、1本が5メートルほどの幅がある。

 更にいえば、ここは海や湖、川の上ではない。つまり本来舟があるべき水上ではなく陸上、立派な街中だ。

 その正体は、リュートの言ったように“飛空艇”と呼ばれる魔道具である。

 つまり、これは空を飛ぶ舟なのだ。

 “朔風さくふうの賢者”カトレア・メイ・アンドロワーズの代名詞である【飛翔】の魔法。

 それを惜しみなく使った魔道具であり、賢者カトレアの名を市井しせいの民にまで知らしめた発明品だ。


 飛空艇には、輸送を目的としたものと、移動を目的としたものの2種がある。

 輸送を目的としたものは基本的に大商人と呼ばれる、高位貴族や王族などが取引するような商会らが1隻だけ保有し、あとは国など公的機関が管理している。

 【飛翔】の魔法が軍事的に大きな意味を持ったように、飛空艇にも同じ懸念けねんを持たれたが、開発者である賢者カトレアが直々に「軍事目的に使用した場合、私自ら相手になる」と各国へ通達されていた。

 移動を目的としたものは、全てカトレアが会長を務めるアンドロワーズ商会が運営している。

 そも、飛空艇を造るのは莫大ばくだいな資金が必要であり、何より【飛翔】の魔法陣は公開されているとはいえ難度の高い魔法だ。

 それを人ではなく物体に刻み、訓練が必要とはいえ誰でも使える魔道具の形にするには、魔法への深い理解と応用力が必要不可欠。

 会長が魔法開発の張本人なアンドロワーズ商会が独占どくせん状態になるのは、必然ではあった。

 価格は一番安くとも金貨1枚(平民の一月分の生活費)からなので、庶民でも気軽に利用できるということはないが、ちょっとした旅行でこれまでよりも安く遠くに行くことはできるようになった。

 何より、陸路りくろから行く旅路たびじではどうしても魔物はもちろん、盗賊とうぞくなでの無法者にも気をつけないといけない。

 隣町に出掛けようとしただけで、盗賊に道中襲われ帰らぬ者となるのも珍しくないのだ。

 飛空艇はどんなに安い価格の便でも、舟に備え付けられた対空戦用魔道具があり、かつ乗組員の半数近くが魔法士の為に空を飛ぶ魔物と遭遇そうぐうしても安全なようになっている。

 リュートは大学教授を辞め母国──物心ついた頃から旅の空だった為に祖国であるという意識はない──であるバルド王国へ向かった時は、みずから創った【転移】の魔法を用いた為に、飛空艇の利用は今回が初だ。


「見事なものだ」

「貴方にそういって貰えると嬉しいわ」


 心からの言葉であると分かるリュートに、カトレアが微笑む。

 そんな2人の元へ、商会の人間らしき制服をまとった男が歩み寄った。


「おはようございます、会長」

「おはよう、カッソ。今日は出航に良い天気ね」

「はい。まさしく航海日和です」


 この舟が行くのは空ですが、とカッソと呼ばれた男が笑い、カトレアの隣に立つ青年に丁寧に頭を下げた。


「お初にお目にかかります、“時空の賢者”リュート・アーベント様。私はこの商会本部で責任者を任されております、カッソ・イーグルと申します。

 本日は当会の飛空艇をご利用になられるということで、光栄なことに私が案内をさせていただくことになりました」

「リュート・アーベントだ。こちらこそ、わざわざ責任者である君に案内してもらえるとは光栄だ」


 そういって自分と同じように頭を下げたリュートに、カッソは一瞬動揺したように視線を泳がせたが、この年若い賢者が世俗せぞくうといというのは会長より聞いていたので、リュートが顔を上げる頃には完璧に動揺を消していた。


「そのように言っていただけるとは恐縮でございます。

 アーベント様がお乗りになる便はあと30分ほどで出航となりますが、お席までご案内させていただいてもよろしいでしょうか」

「そうだな」


 リュートがカッソの言葉に頷いて、傍のカトレアを振り返る。


「では、カトレア。しばしの間、世話になった」

「良いのよ、リュート。いつでも遊びに来てね。旅先からのお手紙も楽しみに待っているわ」

「うむ。行ってくる」

「はい、いってらっしゃい」


 優しく抱擁ほうようしてくるカトレアにリュートも軽く腕を回し、まるで親子のような別れの挨拶を済ませた。

 カッソに連れられ飛空艇へと乗り込んだリュートの姿が見えなくなり、そして出航時刻となったことで港にベルが鳴り響く。

 飛空艇が、その巨体からは考えられないほど、ゆったりと浮かび上がる。左右から突き出した櫂がそれぞれ上下に動き出し、帆が風を孕んで広がった。

 高度が目標の高さまで上がったところで、飛空艇の向きが変わり、目的地である王都オードルへと向けて空を進む。

 それを見送ったカトレアは眩しげに空を見上げていた視線を下ろし、大学へときびすを返した。


「さて、それじゃあ────私も、準備しなくちゃ」


 そんな不穏な響きを含んだ言葉を、少々迫力のある笑みで呟きながら。

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