第37話 決勝

 どこまでも澄んだ青空の下、青年はその場の空気を思い切り吸い込んだ。

 ここまで上ってきたのは学生大会以来、およそ十年ぶりだ。


 競技魔術大会ペアの部・決勝。


 立ち見客で埋まっていく空中廊下。

 外の屋台で売っているホットドッグを片手に席を行き来する親子連れ。

 『一術入魂』。若い競技魔術ファン達が掲げる奇抜な横断幕がはためき、どちらが勝つか負けるかの賭けのふっかけ合いはそこかしこで忙しく。


 そして観客席の最前列。そこには大会関係者と市の職員達が並んでいる。その真ん中にリン市長の姿もあった。

 市長の後ろにはすでに優勝旗が立てられ、最終戦の行方を見守っている。


 どの試合とも異なる静謐と、極限の緊張の中にも何故か冴えていく頭。


 決勝のフィールドに自分がいて、その上に広がる空を見上げている。


 初戦に震え、試合から逃げようとしていたあのときから、随分時が経った気がする。

 実際には、大会の始まりは一月も前ではない。

 それでも色んなものが変わってしまった。


 この大会が始まる前の無知な自分にはもう戻れない。

 水の組織の脅威。いつ戦場となるか分からないこの街。絶大な力を相手にした命のやり取りの前に、無力に過ぎるこの身。


 魔術の世界が、これ程恐怖に満ちた陰惨な世界だったとは。

 

 そしてその世界でスオウとリン先生が投げ出そうとしたもは大きく。奇跡が起きなければ、メイタロウは最後に、守ってくれた二人に触れることすら叶わなかっただろう。


 この街で、長い間彼らを避けて生きてきた。

 別世界を生きているのだと、目を逸らしながら過ごしてきた。

 しかし二人の生きている世界はメイタロウの世界と地続きで。それが災禍に見舞われた姿を嘆くという地平でも、遠くから目を開いていなければ知らぬ間に失ってしまうのだ。


 ぐっと、右手に持つ杖を握りしめる。

 袖には、この大会が始まるまで存在しなかった小さなカフリンクスがくっついて、カエルの目が今日を見ている。


 どこまでも深く沈むような闇の中で自分にできること、


「……魔術を続けること。僕にできるのはそれだけだ」


 これから先の不安が尽きることはない。何戦しても震えが止まることはない。

 大流は人の意志なんて関係なく岸辺を削っていく。


 例え周りの景色が変わっても、その中で自分にできるのは、魔術を続けることだけ。大会に挑み続けることだけ。


 しかしそれを知っているだけで、道は開けていく。心は開いていく。


 大会の係が、決勝進出ペアに試合までの残り時間を伝えにくる。ロドとメイタロウは、さらにフィールドの近くまで歩み出た。


 さあ、もうすぐだ。





 試合開始まであと数分。

 スオウとセリーン。ロドとメイタロウ。決勝を戦う両ペアがフィールド近くに進み出るのに合わせて、客席から盛大な拍手と歓声が上がった。


 メイタロウもこの会場で何回か人々の声を浴びているが、やはり何回目でも驚いてしまう。

 それが試合の応援とはいえ、見ず知らずの他人に声を掛けられるような人生を今まで送ってこなかったのだ。


 対するフィールドの向こう側では、


「スオウ様、頑張って!」

「応援してます!」


 スオウのファンだろう女性達が目を輝かせ、手を振りながら彼に向けて声援を送っている。

 スオウも軽く手を上げてそれに応えているんだから。


 ……これが兄弟の違いだ。いつの間に弟はあんなにスマートな人間になったんだか。


 そして向こうの様子をぼんやり眺めていたメイタロウをこっち側に引き戻したのは……。


「勝てよ、ダークホース!」

「歴史変えてやれ!」

「油断するんじゃねえぞ!」


 すぐ後ろの客席から聞こえてきた、一際気合いの入った応援の声。

 振り返れば、今までこの大会で負かしてきたアマチュア選手達が階上で声を張り上げていた。


 呆然と見上げていると、ロドが杖をこつこつ近付いてくる。そしてメイタロウとともに観客席を見渡した。


「アマの世界もいいもんでしょ」

「ああ。でもみんな酔ってるみたいだ」


 え? 応援なのにそんなこと言う? もしかして野次られてる? ということまで声援になって飛んでくる。あまのじゃくな観客達だ。……まあでも嬉しいけど。

 魔術を愛する心がなければ、自分を負かした相手の応援になんて来ない。試合に負けても、彼らは彼らなりに今日という日を楽しんでいるようだった。

 アマチュア達の他にも、


「メイタロウ! ロド! がんばってー!」


 親に連れられた幼い子どもが、両手をメガホンにしながら声を上げる。他の観客達も老若男女問わず、ロドとメイタロウに思い思いの声を掛けてくれる。


 客席では幾人か、旗を振ってこちらを応援してくれる人達もいた。

 あれは確か、三年前奇跡の人の勝利に世界が沸いた当時に流行った『大物食い』を意味するチアリングフラッグだ。

 奇跡の人の出身地である鉱山地帯を表す赤銅色の翼が、清廉な青……魔術界という空へ飛び立つ様子を表している。


 プロを食ってやれという意味ではない。プロとアマ、どちらにも勝利の可能性があることを表す旗だ。


 今まで顔も知らなかったこの街の人々が、ロドとメイタロウに声援を送ってくれる。

 一つ一つが重なって歓声になっていく。


 ただ立っているだけで瞳が潤んでくるが、まだ泣くのは堪えなければならない。


 自分をここまで連れてきてくれた人に、言っておきたいことがあった。


 ロドに連れられペアの部の受付を通り、決勝の舞台に立つまで、メイタロウが最初から最後まで持っている不安の塊。どんなに浮上しても青年の中に一体となって存在する、拭い去れない過去。


 フィールドを眺め渡す背に、青年は「ロド」と声をかける。


「僕にはまだ一つ、どうしても外せない枷があるんだ。君を全力でサポートする気持ちに変わりはないけど、僕はどんな術でも躊躇いなく使えるって訳じゃない」


 ここに至ってもまだ半端者の影は消えない。

 防御術に影響はないだろうが、もしメイタロウが防御術しか使えないせいで負けてしまったら……。


 しかしその不安を裂くように、ロドはフィールドを見たまま言った。


「その枷は、メイタロウの信念から生まれてると思うよ」

「ロド……」


 若き魔術師の視線の向こう側には相手ペアが……スオウがいた。


「それが人生の何戦目の試合でも、負けないと決まった勝負はない。対戦相手じゃなく、自分の中の恐怖に立ち向かうからここにいられる。恐怖に立ち向かうためには、揺るぎない信念が要る」


 敗北する未来への恐怖。目の前で魔術が炸裂する恐怖。……そして対戦相手を攻撃する恐怖。

 幾度となく襲いくる恐怖心と戦い続けること。その自分との闘いこそ競技魔術。

 例えそれが大会の頂点を決める試合であっても、勝たなければならない相手はただ一人。折れそうになる自分だ。


 フィールドを見るロドは、最後に青年に向けてこう付け加えた。


「自分と闘う内に、枷は新しい何かに変わるかも。それは今日かも知れないよ」

「え」


 メイタロウの言葉を遮って、試合開始のアナウンスが入った。

 両ペアがフィールドの前まで歩み出るよう促される。


 ……いよいよだ。


「さあ、最後だね。負けても準優勝だけど……」


 歩き出しながら、ロドが軽く杖を掲げた。


「一番高い所、行こうか」

 

 杖が空を指す。

 その姿に、言葉に、青年の胸は希望で満ちていく。

 頼りがいがあるとかそんなの軽く超えて、必ず勝利に行き着けるような、そんな気持ちになる。


 メイタロウはロドの言葉に、ゆっくりと頷いた。


「出自にとらわれず、各々正々堂々と勝負を。杖に闘志をともし、競技場ここ魔力ちからを示せ」


 審判の唱える宣誓に、会場中が耳を澄ませる。


 さあ、決勝だ。





 審判による宣誓が終わり、試合開始のゴングが鳴るまであと数秒。


 そんな中スオウは、プロ魔術師として大会のセオリーを選ぼうとしていた。


 彼の杖がゆっくりと、フィールドの対岸の魔術師を指そうとしている。

 杖の先にはロドが。プロがここで倒すべき今大会最強のアマチュア選手がいた。


 スオウが申し込もうとしているのはロドとの一騎討ち。

 フブキを完封し今大会最強アマとなった彼女を、プロ魔術師としての威信にかけて倒すつもりだ。

 そしてその対決をここにいる誰もが期待している。


 会場中が息を飲むのを、メイタロウはロドのとなりで感じていた。


 しかし、スオウがロドを指しきる前に、


「え……」


 ロドは、彼女はひょいっと、となりに立っていた青年と自分の位置を入れ替えたのだ。


 上がりきったスオウの杖は、まっすぐメイタロウを指していた。

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