第35話 決戦への道

 スオウはその一騎討ちを、沸き上がる客席の上から静かに観察していた。


 驚くべきその決闘の結末は、未だに会場をざわつかせ続けている。

 派手にやったもんだ、と気鋭のプロはフィールドに背を向けながら呟いた。


 対戦者同士の優勢劣勢が決まったところでパートナーが助太刀する格好で試合に参加し、途中でペア戦に復帰することが一騎討ちのセオリーだ。

 ……しかし件の彼女は、そのセオリーさえぶち壊してしまった。


 一騎討ちが始まるやいなや、フブキの張った防御術は派手に豪快に音を立てて飛び散った。

 そしてそのままルメギアの術は相手側のシルドまで破壊してしまったのだから。


 まさに一撃必殺。人々はしばらく何が起こったのか理解することもできなかった。

 その瞬間、フブキ・コガラシペアの敗退が決まったということに。

 試合開始から十秒にも満たない出来事だった。


「心して臨まないと、俺達もあれの二の舞だな」


 空中廊下の手すりに背をあずけ、ため息混じりに言ったスオウに、すぐ側にいたセリーンも眉間にシワを寄せた。


「決勝で当たる私達への牽制でしょうか。彼女が試合開始直後から、あんな風に相手を圧倒するなんて……」

「狙ってやってるとしたら、根からの勝負師だな。試合の前から勝負が始まってることを知ってる。俺達を力ませて、柔軟さを奪うつもりだ」

「それを仕掛けるということは、私達を警戒してるってことですか? だとしたらプロ冥利につきるじゃないですか」

「ま、単にフブキをボコボコにしたかっただけかも知れないけど。俺も少しすっきりしたよ」


 そこで青年は、改めて階下のフィールドに向き直った。

 絶え間ない勝利の熱が、観客のざわめきと共に天まで吹き上がってくる。


 スオウも数多のスター選手というものを見てきたが、『無名』の状態でここまで会場を沸かせる魔術師は希少だろう。

 正体など明かさなくても、目映い程の実力がその人をこの世界にくっきり映し出す。まさに奇跡の成し手と。


「君も彼女が誰か知ってるだろう、セリーン? 俺達が手にできなかった世界一ものを手にした人だ。それでも栄誉や羨望の視線なんて捨てて、一人の魔術師としてこの大会に挑んでる」

「先輩は英雄の栄誉を受けちゃいましたからね」


 挑むように返ってきた言葉に青年は一瞬黙って、


「英雄が無名のアマに負けたら笑い者かな」


 そううっすら笑みを浮かべた。

 弱い語気にセリーンが慌てふためく。


「ど、どうしちゃったんですか? 相手の策略にまんまと嵌まってるじゃないですか。私達を力ませて判断力を奪うっていう。力む前に弱気になってどうするんです?」

「冗談だよ。だけど相手が強いことに変わりはない。警戒するに越したことはないだろ」

「もう……。やる気なくさないで下さいよ? 大会の再開に合わせて、VIP席には偉いご来賓の方もいらっしゃってるんだから。結果がどうなるにせよ、情けない試合はできません」


 その言葉に、スオウは大会が始まって以来無関心だったVIP席に目を向けた。

 客席の中腹に設けられた、この会場一の見晴らしと座り心地の良い高級シートを誇る特別席。

 そこに座る来賓は、導師院に属する者なら知らない者は無い、超の付く大物だ。

 しかし……。


「……あの人なら、俺が全力を尽くしてルメギアに負けても何も言わないだろう」

「え?」

「何も言わないというより、何も言えない、かな」

 

 皮肉っぽい笑みを残したまま、青年はVIP席から、まだフィールド近くにいる兄に目を移した。

 先ほどの迅雷のような勝利によほど驚いているのか、少し興奮した様子でルメギアに何か言っている。


「あんな楽しそうな顔は久しぶりに見た」


 あの日以来だ。兄と一緒に優勝旗を手にした、遠いあの日。

 絞まりのない顔で笑う当時の二人の写真は、この間の新聞記事にも使われていた。


 しかし今から思えば、兄弟の優勝は災厄の始まりに他ならなかったのだ。


 この手から優勝旗を奪い、杖ごと折り捨てようとする悪魔の姿。自分に向かって真っすぐ飛んで来る炎の魔術。焼け焦げた街の臭い。全てが拭い去りようもない悪夢のような現実だった。

 最後に悪魔は消え去り、家族は一人減って……そして一家の長い冬が始まった。


 魔術と競争の社会に生まれなければ、もっと上手く幸せな家族になれただろうか。

 力の有無で肉親の情も薄れ、自分を認めることも許されず、激しい劣等感は生涯を嘆いて過ごす道を強要する。


 勝者と敗者の生き方を厳格に分ける世界。

 上ってはくじかれ、秀でれば利用され、自身も実力主義競争社会の消耗品なのだと何度も思い知らされてきた。それはプロになった今も同じだ。


 導師院の紋章を刻む銀のバングルは重く、ときにかせのように右手を締め付ける。


 魔術の世界は深い闇の中。

 水の組織という『バランス』はいまだ導師院を流れ続け、ほとんどの魔術師がその威光に頭をたれる。


 それでも兄はその流れに逆らい、窮地のこの身を救おうとしてくれた。

 弟を信じるとセツガに言い返してくれたその瞬間に、スオウに纏わりついた絶望という呪いは消え去ったのだ。


 人質で、一般人で、アマチュアで、引きこもりやすくて、それでも逆境という枷を切ってプロ魔術師に立ち向かってくれた。


 今日兄があの場所であんな楽しそうな顔ができるのは、自分を縛るいくつもの枷と闘ったからこそ。

 自分自身に勝たなければ道は開けないと、その身をもって示すように。


「俺も本気で戦わないと……例え本流を敵に回しても」

「先輩?」


 ふいに右腕を押さえながら真顔になったスオウに、セリーンが首をかしげる。


 スオウは、その言葉の先は飲み込んだ。飲み込んで、ふっと口元に笑みを浮かべてみせる。


 ずいぶん先の事を考えてしまったが、今は目の前の決勝だ。

 フィールドから退場していくルメギアとメイタロウに、会場から盛大な拍手が巻き起こる。


 プロになった自分では、もう兄を試合で勝たせてやることはできない。

 しかし、この立場で会ったからこそやっと戦えるのだ。いつも自分の味方だった者と。


「久しぶりに、わくわくしてきた」


 困難な敵を前にすればするほど、何故か膨らんでいく希望。もう感じられないと思っていたものが、自分の中にある。

 魔術師にとって、これ以上の高揚があるだろうか。


 靴音を響かせ、青年は一歩一歩踏みしめるように決戦の地、競技用フィールドへと歩き出した。


「ああ、待って下さいよ先輩! 一人で楽しそうに……」


 セリーンもさっさとそれに続く。


 決勝が終わればこのプロ魔術師ペアも解消だ。準々決勝からの短い付き合いだったが、この大会に挑むプロ魔術師として、彼女ほど優秀な魔術師はいなかっただろう。


 プロは試合の外で起こる権謀術数にも対処しなければならないのだから……。


「セリーン」

「はい?」

「今まで俺の監視ご苦労様」

「……。何言ってるんですか、先輩?」


 真の意味で挑むように返ってきた彼女の声を、スオウは背中越しに聞いていた。





「ロドのやつ……」


 沸き起こる盛大な拍手に、その苦い呟きは発した端からかき消されていった。


 呟いた主は二十歳そこそこの青年。しかし、彼が座っているのはこの会場で最も権威ある者に許された席……VIP席だった。

 後方に座る観客の双眼鏡は、時々フィールドではなくVIP席に座る彼に向いている。伝説の人物を一目見ようと。


 彼こそ、プロが大会から撤退した穴埋めとして、導師院が来賓として派遣した重要人物。その右手にはまった導師院所属を表すバングルには、他の魔術師達とは違い、横に一本金のラインが入っている。


 青年は癖のある黒い髪に、理知的な青灰色の瞳の持ち主で、VIP席で頬杖をつく姿はかなり様になっていたが、今はその端正な顔に呆れと苦悩の中間のような表情を浮かべていた。


「対戦相手は地方大会でも常に上位に食い込む有名なアマチュア選手だったとか。それをものの数秒で倒してしまうとは……いつもながら鮮やかな勝利ですね」


 考え込むような格好になってしまった青年のとなりの席から、身なりのいい若い魔術師がなだめるように声をかける。聞いていた青年はさらに眉間のシワを深くした。


「ああ。これだけ派手にやったら、さすがに導師院うえも放っておかないぞ……」

「まあまあ、この後の決勝にはプロが待っているのですから。スオウ君は導師院でも飛ぶ鳥を落とす勢いの新進気鋭の魔術師です。ルメギアさんでも彼相手には苦戦するのでは?」

「確かに彼ならロドの勢いを挫くかも知れないが……。スオウのパートナーも、一筋縄でいく魔術師じゃないしな」


 青年は頬杖の格好をとき、会場で一場高い観覧席である空中廊下に目を向ける。

 金色のブロンドの魔術師は、今まさにスオウに続いてその場を離れようとしているところだった。

 どんなに見知った相手がいたとしても、最初から最後までこちらに一瞥すらくれない。……その道の仕事を遂行する者として、彼女の立ち居振舞いはまさに完璧なものだった。


「つまる所、決勝の勝敗はルメギアさんとスオウ君の力量にかかっているということでしょうか。ルメギアさんもスオウ君への牽制のために、あんな快勝を見せたのでしょう?」


 思案にふける青年のとなりから、身なりのいい魔術師は決勝の見通しを述べる。

 その言葉に青年が目を向けたのは、今大会最強アマのパートナー……メイタロウという名の魔術師だった。


「いや、試合の前から勝負は始まっている。ロドは多分パートナーの……」

「難しい顔をされていましたけど、どうかなさいましたか?」


 ふいに、青年の言葉は現れた女性の問いに中断された。

 現れたのは、試合の合間にVIP席に歓談に訪れたリン市長だ。


 彼女もまた、試合の熱に沸き上がる観客と同じく嬉々とした表情で来賓達に微笑みかける。


「ロド・フェイデ・ルメギア……素晴らしい魔術師ですね。あれ程のアマチュア魔術師がこの大会に出場してくれるなんて。彼女をご存知なのですか?」

「え、ええ。よく知っています。彼女は昔から、奇跡のようなことをやってのけてしまう魔術師でしたから」


 市長の言葉に、青年はどこか誇らしげで、……少しだけ悔しそうな瞳をフィールドに向ける。勝利に酔うでもなく、とっととその場を退場していく若き魔術師がそこにはいた。

 青年はしばらくその姿を目で追っていたが、すっと大会の来賓らしい表情に顔を引き締めると、ごく冷静に決勝進出ペアへの自分なりの見解を語った。


「ロド……ルメギアの実力はかなりのものですが、それだけではペア戦は勝てません。ペアの部で攻撃術を使う側が自由に動けるということは、パートナーの防御術や判断力が特別に優れているということ。……ルメギアのパートナーの彼、珍しい魔力の持ち主ですね。炎の魔術師のようですが、力に封印をかけて何かを守っている」

「あ、あら。……確かに彼は、堅実な守りの中にもまだ自分の魔術を秘めている魔術師ですが」


 遠くから一人の魔術師の能力を即座に見抜く青年に、リン市長が目を見開く。

 かまわず青年は先を続けた。


「彼の力が決勝で最大限に活かされれば、あのペアは容易にプロすら超えるでしょう。ルメギアもそのために、この準決勝を早々に決着させたようです」

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